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東大総長がなぜ笠置シヅ子さんの後援会長になったのか? 吉田茂首相と講和条約論争をした南原繁東大総長とは?

◼️1945年、終戦。1946年、全面講和か単独講和で論争をしていた吉田茂首相と東京大学総長の南原繁。

この南原繁総長が日本中に東京ブギウギをヒットさせた笠置シヅ子の後援会長となった。

詳細

◼️【タブー・東かがわ市】香川県東かがわ市生まれの笠置シヅ子さんの出生の秘密とは? なぜ東大総長が後援会長だったのか? 婚約者は吉本興業創業者の子息なるも未婚の母となった理由は?



●戦後初の東大総長 南原繁さん




●笠置シヅ子さんの実父 三谷陳平さん





●実母 谷口鳴尾





●吉本穎右。吉本興業創業者 吉本せいの一人息子。



●18歳の笠置シヅ子



●後援会長の南原繁



●宝塚歌劇団の試験に合格せず、松竹楽劇部の養成所に通う。




●養父母 亀井音吉と亀井うめ




●子供の頃の笠置シヅ子








●養母 亀井うめ



●1947年5月に婚約者が死亡、6月に愛娘の亀井エイイ子さんが生まれ、その数ヶ月に日本中に東京ブギウギをヒットさせた。





以上




◼️笠置シヅ子さん人生唯一の自叙伝



◼️日中英トリリンガル教育研究所: 森啓成



◼️日中英トリリンガルのなり方マニュアル


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