【二十四節気短編・秋分】 クネクネ
1 黒く、踊る
チィーチチチチチ……。
蜩の鳴き声が遠くで響いている。けど数はそれほど多くない、指折り数えられる数匹の声。鳴き始めは勢いよく響かせるも、昼間の蝉の騒音より音が上がらず、次第に消えていくように止んでいく。
毎年恒例のように、蝉の類いは最後の最後まで夏の余韻ともいえる存在感を残し続け、昼間も蝉は猛暑日よりも勢力は衰えているものの鳴いてはいる。
秋分も終え、世間ではハロウィン商戦が始まり、関連商品が販売され、飾り付けが目立ちだす。しかし気候としてはまだ暑く、残暑といえばそれまでだが、この暑さで夏真っ盛りと言ってもまだ通じそうな程に暑い。
温暖化の影響と言ってしまえばその通りだが、とはいえ、四半世紀前では考えられないほどに夏の期間が長く感じてしまう。下手をすると秋の期間が一ヶ月あるかどうかも危ぶまれ、暖冬が普通となってしまう日が近いのかもしれないのかもしれない。
そんな残暑が厳しい九月末の夕方のこと。女子高生・マキが下校途中に”ソレ”を見てしまった。
(……まただ)
マキはソレを見たのはその日で五回目である。
”ソレ”は、『人の形をしている影』としか表現できないが、地面に張り付いてる人影と勘違いされそうだが、実際は道路に立っている、人間さながらの輪郭がある影である。
マキは今まで幽霊や妖怪といった類いの存在を見たことはない。それに、テレビ番組や映画などに登場する怨霊などとも様子が違って見える。
黒い影。そう表現するしかなく、近づいても当然触れることもできなければ、向こうからマキを襲ったり憑いたりもしない。
その黒い影は、ただただ踊っているだけであった。
踊る。マキはそう認識しているが、手足や胴体をクネクネと動かしてあっちへ行きこっちへ行きを繰り返す様子からの印象であった。
不気味を前面に押し出したような不自然な存在は、これといって何もしてこない。それはそれで、さらに奇妙なのだが。
初めてソレを見たときはさすがに驚いたマキも、三度目以降は慣れて怖がることもなくなった。ただ謎だけしかない。
黒い影にはまだ謎がある。
マキが影の横を通り過ぎたとき、左手薬指のところに何かが光ったように見えた。しかしよく見ると何もない。以前も胸元に何かが光ったように思えたが、その時もよく見ると消え去っていた。
謎の影。謎の光。存在する意味。マキにしか見えない理由。
分からないことだらけだが、マキは誰にも相談できずにいた。
霊感がある友人も知人もおらず、誰かに相談しようにもどう話していいか分からない。別に害はないからそのままでもいいのだが、どうしようもできないもどかしさを抱いていた。
遭遇五回目の今日、いつも通り無視して通り過ぎようとした時であった。
『……フ…………タ……』
声がした。おそらく影が言っているのだろうが、あまりにも消え入りそうな音で、何を言っているかがはっきりと分からない。
(ふた……り?)
マキにはそのように聞こえた。確信はないが、なぜか頭の中でその言葉に結びついた。
理由は不明。
また謎が増えた。
2 罪に憑かれた主婦
(……監視カメラの死角、人もいない…………今)
女は胡椒の詰め替え用パックを一つ、上着のポケットへ素早く入れた。そして表情を変えず、素知らぬ雰囲気を保って買い物を続ける。
主婦・ヨシヱは万引きの常習犯であった。けして極貧の家庭にいる訳でもなく、並大抵にそこそこ裕福ではある。
ヨシヱには旦那と高校生三年生の娘と高校一年生の息子がいる。
昼間はスーパーのアルバイトをしており、仕事上がりに買い物を済ませ、帰宅するとそのまま夕食の支度と家事に追われる日々が続く。仕事休みでは、朝から家事に追われて休みらしい休みは久しく忘れている。
反抗期で言うことを聞いてくれない息子、
大学受験勉強で苛立ち、気の立っている娘、
あまり話をしない旦那。
ヨシヱは家でも職場でもストレスをため続けていた。そして三年前から定期的に、発散とばかりの万引きに手を染めてしまった。
盗む前の緊張感、
ばれずに逃げる高揚感、
家に着いたとき生まれる、小さな犯罪を起こしながらも気づかれずにやりきった達成感。
毎日似たような日々。
たまっていくストレス。
病気一つせず平凡に過ごせてしまえる。
変化が乏しく、奴隷のようで魅力のない人生。
マンネリ化したヨシヱの人生。
陰の気に満ちた雑念を忘れてしまえる、冒険のような、見つかったら人生が大きく狂ってしまうかもしれない、壊れてしまうかもしれない、そんなスリル。
いっそのこと壊れてしまえばいいと思いつつも、見つかりたくない矛盾な感情がせめぎ合う中、ついつい慣れてしまった不躾な手が一瞬のためらいもなく動いてしまう。
内心では焦りと緊張で埋め尽くされているが、もう表情はソレを微塵たりとも見せない状態を悠然と作り上げる。
万引きの常習犯を捕まえるテレビ番組で、プロの万引きGメン相手でも、ヨシヱは見つからずに達成できるだろうという、無価値な自信すら錯覚してしまうほどであった。
今日も盗みを達成したヨシヱは、内心で決めつけた『安全ライン』であろう、家の見える交差点までたどり着いた。
このまま家に帰り、何事もなかったかのように夕食を作る。今日は酢豚にでもしようと頭の中で思い描き、家事の手順を頭で考えていたときであった。
横断歩道の中腹で、突然背中に寒気を感じた。
この季節、夕方には若干肌寒い風が吹き、長袖の秋服が恋しいと思えるこの日、ヨシヱは気のせいだと思い横断歩道を渡りきった。
『ばれない……ばれない』
背後から声がして、(もしかして万引きが見つかった!?)と思い、振り返った。しかし通行人はいるがヨシヱの方を気にする人はいない。
気のせいだと思い、再び前を向く。
『きづかれない。……もっとやろう』
楽しそうな男の声。けど、静かに、吐き出すような低音の声。
ヨシヱは周囲を見回すも声の主たる人物がどこにもいない。
怖くなって小走りで家へ向かう。久しぶり走ったので、途中で何度も息が切れ、早歩きで進み、家に入ると息切れが激しく、上がり框で腰を下ろしてそのまま仰向けに倒れた。
「……はぁ、はぁ、はぁ……何……何なの?」
『もっとぬすもうよ』
声に驚き上体を起こすと、”ソレ”が入り口の扉前にいた。
「――きゃあ!」
もっと叫びたいが、声が止まってしまった。自分の意思ではなく、説明できない力が働いたかのようである。
上がり框から廊下を這いずり、壁まで寄った。
ヨシヱの眼前に現れたソレは、全身真っ黒い靄のような人型の何かである。何をしているかというと、ずっとクネクネ身体を動かしているだけだ。
クネクネ、と表現するが、不気味な踊りを踊っているようで、手足や胴体の輪郭が波打っているのではない。
『やめれないよね……とめれないよね』
「……な、何がよ」
震えながらも、小声は出せた。それ以上の大きい声は出せないのだが。
『まんびき。……たのしいよね……うれしいよね……きもちいいよね』
なぜソレが楽しそうに話すのかは不明である。
ヨシヱがスマホで警察でも呼ぼうかと思うも、身体がこわばっているように動かない。
『もっとしよう……もっとそまろう……ほら、もうくろいよね』
何に染まり、何が黒いか分からない。それ考えようとするまえにクネクネ動くソレは近寄るので、恐怖の感情が頭を支配して身体をうずくまらせるしかできない。
『ほら……つみはおもいよ……ね』
それの手が伸びてヨシヱの腕に触れると、両腕から手にかけてが黒く染まった。
「ち、ちがう……これ、なに」
『もっともっと……もっともっと……ぬすも、そまろ』
ソレの全身が近寄ってくる。
連動するように息が詰まりそうなヨシヱ。
『くろくなって……いっしょになって……おちようよ』
顔がすぐそばまで近づくと、ソレがヨシヱに抱きつき、ヨシヱを中心に床が黒い沼地のように染まった。
「――嫌! 嫌やよこんなの!」
抱きつくソレはもう言葉を発さず、抱きつきながらも身体を動かしている。その動きに呼応するようにヨシヱは床に沈んでいく。
「もうしない! もう盗まないから! だから助けて! 誰か助けてぇぇぇ!」
必死の叫びもむなしく、ヨシヱは黒く染まった床に沈んだ。
目を覚ました時、ヨシヱは病室のベッドの上だった。
帰宅途中に意識を失い、通りすがりの人が救急車を呼んでくれたのだという。
外は暗く、報せを訊いた家族が駆けつけて心配している様子であった。
意識を失った理由は過労とストレスによるものだと医師は告げるも、本当にそれが原因か? と、ヨシヱは内心で疑っている。夢だとは思うも、黒い人型の存在と会った記憶が鮮明に刻まれており、退院しても数日経っても消えない。まるで昨日のことのように覚えている。
再びいつもの日常に戻ったヨシヱであったが、二つだけいつもと同じではないことがある。
一つは、行きつけのスーパーへ行くと右手に黒い痣が浮かび上がった。それはまるで人に捕まれているようなもので、衝動的に万引きをしたくなる力が働く。
力が働くと、アレは夢ではないと気づかされ、自制を働かせて買い物を済ませるのにヨシヱは必死であった。
二つ目の変化は帰宅途中、遠くの方で、あのときに見たクネクネと踊る”黒い何か”と遭遇したことである。
あまり目はよくないヨシヱだが、”黒い何か”だけははっきりと分かる。まるで焦点が”黒い何か”に合わさっているように思えてしまう程だ。
”黒い何か”は、踊りながらヨシヱを見ている。
これは戒めか、黒い沼へ沈めたいための誘導か。
ヨシヱは、自らの意思で万引きをすることは無くなったが、力に抗わなければならない日々は続いた。この力に負けたとき、ヨシヱは黒い沼の中へ沈む想像だけ強く浮かぶ。
崖っぷちに立たされた思いのまま、ヨシヱは今日も一日を過ごす。
3 望みと共に
オリアは苛立ちが治まらないでいた。付き合っている彼女に別れてほしいと頼まれ、朝から言い争ったからである。
泣きながらも必死に「別れさせてほしい」と懇願する彼女を、数発殴って黙らせた。それでも腹の虫が治まらないオリアはパチンコ屋へと向かう。軍資金とばかりに彼女の財布から二万円を抜き取って。
オリアは昔から争いごとの渦中にいる人間であった。
幼い頃から両親は言い争いと喧嘩が日常茶飯事であり、オリアが五歳の時に離婚。母親と生活するも、すぐに再婚した男性がまたも暴力的な大人であった。
九歳の時にまたも母親は離婚。親権は母親のままである。
「他人に舐められたら負けだ」
「勝ちたいなら喧嘩してでも勝て」
「引くな、戦え」
暴力的な思想を掲げる母親の教育により、オリアは小学中学と、虐めや暴力沙汰の主犯のような存在であった。
高校には行けず、中卒で悪い仲間と過ごす日々を送る。
未成年でもたばこに飲酒、深夜徘徊に喧嘩や万引き。犯罪者の道をふてぶてしくも堂々と突き進む男に成長した。
暴力的なオリアに魅力を感じた女と二十歳の時に付き合い、彼女の金と、自身が博打で稼いだ金で生活を送る。
二十二歳の現在、オリアは面倒ごとが相次いだ。
母親が謎の失踪。
彼女が持ちかける別れ話。
パチンコも競馬も負け続ける。
これらはすべて、金銭面に大きく影響する出来事である。それに加えて先輩のチンピラに頭を下げなければならず、喧嘩も負け続ける。
嫌なことが相次ぎ、夜中も苛立ちで目覚めてしまう。酔った勢いで寝ようと思うも酒もない。
今日もまた、パチンコで大敗し、むしゃくしゃしたまま街を徘徊していた。
(あー、喧嘩してぇ)
一向に治まらない怒りを発散させる手を考えてはみる。しかし、頭も悪いためか、ストレス解消法が浮かばない。
普段から荒れ事を望むがままに生きてきたのだから、災難が続くとこうなっても仕方ないのだが。
ともあれ、オリアはただ何気なく、人通りの少ない道路へたどり着いた。
突然、背中に寒気を感じ、振り返るが誰もいない。
気候は肌寒い風が吹くも、頑丈な身体だからか、12月まで半袖服でも平気である。いつもなら寒気を感じることはそれほどない。
気のせいと思い、家に帰ろうとすると、今度は背中に重みを感じた。
『いい……いいね』
突然声がする。
だれが言っているか分からないが、低音で吐き出すような男性の声がする。
「おい誰だ! 出てこいコラぁ!」
『こっち……こっちだよ』
背後から聞こえ、振り返ると身体をクネクネと動かす、人の形をした黒い何かが踊り続けていた。
「きっしょく悪。ばかじゃねぇの?」
オリアは一切恐怖の色を見せない。
『ておくれ……ておくれ……そまろ、そまろ』
「あ? 喧嘩売ってんのかてめぇ。死んだら自己責任だぞボケがぁ!」
怒りの形相で”黒い何か”に迫る。気迫から、相手の生死など気にせずに殴るだろうことは想像がつく。
『たのしいね……うれしいよね……なぐりたい、あばれたい……かちたい、おそいたい』
オリアは渾身の一撃とばかりに、黒い何かを殴りかかった。しかし、顔面を殴ったはずが、空をきるように手応えがなく、”黒い何か”の一部が右腕にまとわりついた。
「なんだ気色ワル! 離れやがれ!」
”黒い何か”はオリアの腕に纏わり付き、そのまま全身に抱きついた。
『ていこうしないで……もっともっと……てんごくのようなところ……そまっておちよう』
足下に黒い沼地が現れ、オリアはズルズルと沈み始めた。
「おいどうなってんだ! 離しやが――ぐっ!?」
突如、腹部に痛みを感じる。今までの喧嘩経験からなぐられたと分かる。
「な、なん……ぐぅ、がぁっ!」
手足、腹、胸、顔面。全身になぐられた痛みを感じる。
『おちよ……おちよ……すきだもんね……けんか……ずっとだよ』
“黒い沼に沈めばこんなことが続く”
直感で理解したオリアは必死になって抜け出そうともがく。
「やめろ! 離れろや! 助けてくれぇぇ!」
周囲の建物へ救助を訴えるも、誰も窓をのぞきすらしない。
みんな白状だと思いながらも、今度は通りすがりの人へ訴える。しかし、自分の声が聞こえていないのだと気づく。
オリアの声が聞こえない。
姿も見えていない。
こんな奇妙な現象の真っ最中なのに、誰一人として見向きしない。
誰にも気づかれず、足掻いても脱せない状況。
未来は容易に想像できる。
「やめてくれ! おれはこんな死に方嫌だ!」
『しなない……まだしなないよ……いっしょにそまる……しぬまでおちる』
うれしそうに語るも、内容は残酷だ。
どうやって生きながらえるか知らないが、死ぬまで沼の中で痛められ続ける。相手が見えるかもしれないが、死ぬまでやると言うことは、何年先までやるのかと想像すると、さらに恐怖が増す。
老人になるまでと考えると汗があふれ出す。
オリアはいろんな人の名前を叫び、とうの昔に忘れていたであろう涙を流し、叫び続ける。
やがて、抵抗むなしくもオリアは沼に沈んだ。
4 平凡と奇妙
黒い人型の何かを見て半年が過ぎた。
マキは未だに”黒い何か”を見るも、謎は解明されないままだ。とはいえ、もうどうでもよくなっている。
奇妙であり不気味でもあるがマキに害はない。周辺で妙なことが起きるかと思うも、そういったことは起きず、家族も元気で安堵している。
「ねぇお父さん、隣町の事故知ってる?」
マキの母が夕食の片付け中、ソファで寝転んでテレビを観るマキの父に話しかける。いつもの光景で、母のどんな質問に対しても父の反応は同じだと、マキは分かっている。
母の話は、ヤクザのような若い男が事故死した話であった。そこから男が地域でどういった悪人であったかの話へと続く。
いつも通りなら、父はつまみを食べながら缶ビールを飲み、何気ない返事をする。しかし今日は少し様子が違う。
今日、事故死の男がどういった人物かを職場で噂していて、たった今ニュースで放送されていた。そして妻がその話を持ちかける。
相次ぐ偶然に、父は若干の驚く様子を示した。
だが反応もすぐに終わる。
小さな奇跡だが、毛ほどもどうでもいい奇跡だから冷めるのも早い。
こんなやりとりにも母は慣れていて、それでも毎日のように何か話をする。
平凡で平和で、のどかな家庭。
奇妙な何かがこの家に侵入してこないことをマキは願う。
ニュースで映されたオリアの事故現場に現れ踊る、”黒い何か”を見ながら。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?