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【二十四節気短編・冬至】 互いの心を知らない、父と娘の話

1 ヒロシの心情

 ヒロシが家の戸を開けて中へ入ると、"我が家の生活感漂う匂いと暖かい空気が相まって迎える筈だと思っていた。しかし出迎えた空気は、外気とほぼ近い気温に我が家の微かな匂いが混ざっているものであった。

 吐く息が白い。玄関で息が白いままなのは懐かしくあった。こんな事を経験したのは一年か二年前だったと記憶しており、本当に久しぶりである。
 この、“屋内寒気状態”といえる原因を作った人物は一人しかいない。というより、この家に住む人間はヒロシと娘のミヒロしかいないのだから、必然的に彼女が起こしたのだと分かる。

 ヒロシは離婚して妻はいない。
 元妻ミエコはお世辞にも良妻ではなかった。家事全般はしっかり熟すも、自らが嫌な想いをすれば過剰といえるほど感情的に訴え、あたかも自らは非の打ち所がない被害者を主張する。
 やや抑えめではあるがパート先でもその気性を無様に晒し、近所ではちょっとした嫌われ者であった。
 建前上、態度は丁寧で愛想笑いも上手く使い分けているため、周りも腹の内を隠しながらも良い雰囲気でやり過ごし合い、人間関係は若干の歪さはあるものの、まあまあ、平均的に上手くいけている。
 しかしこの使い分けが上手いミエコの性格も、家の中に入ると建前スイッチが切れてしまい、気性を荒げ、叫び続けるような事は少ないまでも、過剰に昂ぶりすぎた被害者意識感情を平然と露わにしてしまう。

 ミエコと付き合った当時は、見事に猫を被る彼女が”本当に心の綺麗な女性”だと思い込んだ程にヒロシは魅了されていた。
 しかし結果として行き着いたのは、数多くいる既婚者が結婚後に抱く、『だまされた』という沼地にヒロシも見事に足を入れた顛末である。
 ヒロシにとって運が良かったのは、こういった者が職場や地域活動の中で多く、愚痴のはけ口は所々にあった。不平不満は小出しに発散できていたので、今まで夫婦生活はそれなりに耐え忍ぶことが出来た。

 離婚の理由は夫婦喧嘩でもヒロシの低賃金による金銭面の問題でもない。ミエコが不倫をし、「別の男を好きになって一緒に住みたい」と、悪びれることなく堂々と告げられ、離婚届を一方的に突きつけて出て行かれた。
 出て行く際、中学二年生のミヒロがどちらに付いていくかと訊くも、ヒロシを選んだ事が悔しく、出て行く勢いに拍車が掛かったのかもしれない。

 一応は子供のために母親を演じていたが、どこか愛情が足りていない事をミヒロに見透かされていたのか、単にミヒロがミエコの性格が嫌いだったのか。真相はミヒロの中にあるが、デリケートな問題でもあるからヒロシも無理に聞こうとしない。それは、ミヒロへの気遣いもそうなのだが繊細な問題であり、思春期の娘の心情に触れること自体がヒロシにとっては難解なパズルよりも複雑でしかない。
 話し下手の性格も相まって、ミヒロとの会話はあまり多くない。

 ヒロシにとってミヒロとの生活における有り難い事は多々あった。

 曖昧にしか覚えていない記憶では、小学四年生頃からミヒロは物を欲することが無くなった。
 ファッションもあまり興味が無いらしく、ヒロシの姉でありミヒロの伯母が、姪の為にとばかりに衣服を自らのセンスで買ってくれる。
 特別欲しいものも少なく、毎週千円の小遣いで満足している印象が伺え、貰ったら節約しているのか、単に使う当てが無いのか、貯金して欲しいものを買うための金額に達するのを待っているのか。色々と不明だが、とにかく金銭面での消費は少ない。

 家事に至っては、ヒロシもミヒロもこだわりがなく雑なので、洗濯乾燥機に洗い物を入れて洗濯と乾燥を両方行い、リビングへ乾いた服をばらまいて必要な服を風呂に入る時の着替えとばかりに引っ張り出すのが習慣である。  
 料理は二人揃ってそこそこ出来るから、『出来る時に出来る人がする』という習慣ができあがった。

 掃除は手抜き日と本格日を決め、休日前はどこかを本格的に掃除。とはいっても、一般の主婦がするような掃除をする。
 手抜き日はフローリングワイパーという、歩きながら床を拭くシートを使って歩き、フローリングではない所は衣服のゴミ取り(通称・コロコロ)を使い、気まぐれやテレビ鑑賞時に何気なく転がしてゴミを取っている。

「主婦もこれ位適当で良いのに」
 不意にミヒロが呟く台詞にヒロシも共感するが、世の主婦層が聞くと怒髪天を衝く程に説教は確実なのかもしれないと思いもする。

 二人は揃って口数が少なく、それでも平々凡々と生活出来るのだが、それでもミヒロは年頃の女子高生。ヒロシもそれなりに気を遣っているのだが分からない事が多すぎて仕方が無い。

 まず世間一般では、女子高生は父の服と一緒に自分の服を洗って欲しくないだろうし、一緒に食事をするのが嫌だという。しかしミヒロにそういった感情がないのだろうか、淡々と衣服を洗濯機内へ一緒に入れて洗えるし、食事も一緒にする事を重要視しているように見受けられる。

 何を考えているか分からないと思うのが正しいのか、父親を大切に想う精神が十分に養われているのか、こういった気質か。
 ミヒロに聞かなければ分からないことなのだが、ヒロシは無理に聞こうとしない。それで大丈夫なのだからそのままにしようと決めてしまう性格でもあるからだ。

 そんな放任のような態度を取っているヒロシでも、理解に苦しむミヒロの行動がある。

 節約を意識しているのだろうか、外が暗くなりきるまで部屋の電気を点けず、換気している時がある。
 花粉が飛び交う春でも、酷暑とニュースで告げられる外気温を叩き出す夏でも、台風近く風の強い秋でも、極寒の真冬でも、窓を全開か少し開けて換気に励んでいる。
 けして毎日開けっぱなしではないが、時々風通しをよくしすぎる・・・・・・ほどにする。
 最近ではこの癖が滅多に発動しなかったのだが、ヒロシは、”どうやら再発したのかもしれない”と思うだけに止めた。

 今日は十二月二十四日、クリスマスイブ。
 本来なら友達とクリスマスパーティーでもするのだろうが、ミヒロはイベント事があまり好きでは無い。誕生日プレゼントすらも好きな晩ご飯だけで済ませるぐらいな所を見ると、ヒロシは若干将来を心配してしまう。

 ヒロシはこんな感心が乏しくさせてしまったのは、自分にあると後ろめたく思っている。
 ミヒロが中学生の時に離婚してしまったのだから、寂しい感情がこういった態度を取らせてしまっているのかもしれない。
 この行動の真意が、親への反抗か、それとも気を遣われているのか。どちらにせよ、ゆっくり向き合っていくしかないのだろう。

「ただいま。ミヒロ、もう日も暮れそうだから窓閉めなさい」

 ヒロシの言葉を聞いて、毛布で全身を覆い窓の外を眺めているミヒロは振り返り、返事をしてベランダの窓をしめた。
 台所とリビングの電気をヒロシが点けると、ミヒロは電気ストーブを起動してエアコンの暖房も点けた。

「今日はクリスマスイブだから、晩飯は豪華にしたぞ」

 情けなくもスーパーの惣菜コーナーに並べられたクリスマス用料理ばかりだが、嬉しそうな笑顔を向ける娘を見ると、奮発した甲斐があるとヒロシは内心で喜び自らも微笑む。

2 ミヒロの心情

 ミヒロは物欲が乏しい。いつからそうだったのかと訊かれても、「分からない」と彼女自身が胸を張って言えてしまうほど、昔からそうだったのだろう。だから、衣服などは伯母が決める事が多いのだが、ミヒロは伯母と趣味が合わず、春、秋、冬は、上から羽織れる服を着て模様を隠してしまう。

 服のセンスに焦点を当てるなら、ミヒロとセンスが合う人は父のヒロシしかいない。
 ヒロシのセンスは”平凡で素朴”の言葉が見事に当てはまるようなものばかり。ドラマや映画のヒューマンドラマで例えるなら、地味な服装の脇役が、まさしくと言えてしまう。
 服はシックな色合いを基調とし、模様も目立たないものか無いものを好むので、自然とミヒロもそちらに寄ってしまう。

 互いに口数は少ないほうだが、馬が合うようで、一緒に洗濯物を洗っても、食事を一緒にとってもまるで気にしない。むしろそちらの方が、水道代や時間が節約できるから良しとさえ考えてしまう。

 父と二人きりだが、一家団欒な空間に居心地の良さを感じている。
 わざわざ言葉にするのは違うように思い、さらには小っ恥ずかしくもあるのだろうか、ヒロシにはその気持ちを話したことが無い。

 さて、ミヒロには少し変わった癖がある。それは、気が向いた時に窓を開けて屋内を換気し、流れ込む空気を感じながら物思いにふける事である。ただ単に呆然としているとも言える。

 こういった癖が付いた原因はヒロシと離婚したミエコにある。
 ヘビースモーカーであったミエコのたばこの煙が嫌で、台所の換気扇を回し、リビングの窓を少し開けて換気する所から始まった。きっかけは換気だが、今ではミヒロの趣味に繋がる出来事だ。
 四季折々の空気の匂い。例えるのが難しいながらも、その時期独特の匂い。『空気』の匂いをミヒロは好んだ。

 本日はクリスマスイブ。例年よりも寒く、冬真っ盛りの冷たい空気の匂い。鼻孔を通り、胸に流れる冷たい空気が心地よい。
 暖房器具は付けていないが毛布に全身をくるんでいるから寒さは耐えれる。風もあまり吹いていないから、より耐えれる。
 今まではヒロシが帰ってくる前には終えていたのだが、今日に限ってはついつい時間を忘れてしまっている。

 そうなってしまった原因は失恋であった。

 同じ高校に通う男子生徒が妙に気になりだしたのは三ヶ月前のこと。
 きっかけにこれといった理由はない。ただ、陸上部の練習風景を眺めていた時に気になったのである。
 気になってからは意識してついつい見てしまうものの、会話をしようとしても恥ずかしい抵抗意識が働いてしまい出来なかった。
 そのままズルズルと何も出来ない日常を過ごし、それでもチラチラと見るだけで満足する自分がいるのを感じつつ生活していた。

 十二月二十日、友達に新しい彼氏が出来たのだが、クリスマスのプレゼントを一緒に買いに行こうと言われて向かう。雑貨屋で友達がアレにしようかこれにしようかと悩む最中、ミヒロはほぼ妄想の中で片思いの男子生徒へのクリスマスプレゼントを考えていた。
 そんなこんなで渡すこともないキーホルダーを買い、友達とさらにあちこちの店を回って帰宅した。

 二十四日、友達の彼氏はミヒロが好意を抱いていた男子生徒だと判明した。あまりの出来事に、さすがのミヒロもショックはあった。しかし、平静を装い友達を祝福する自分がいる。

 ショックの衝動が治まると、妙に冷静に思考が働いた。

 自分は一方的な片想いで親密な話をしたことも無い。
 友達へ嫉妬するのは筋違いと理性が働く。
 熱しやすく冷めやすい性格が幸いしてか、急に自身の恋心がどうでも良い感情となった。

 ミヒロ自身、どう例えていいか分からない虚無感を抱きながら帰宅し、趣味の換気を行うと、そこから思考が上手く働かなくなった。

 この気持ちは何だろうか。

 本来なら失恋のあまり、悲しさのあまり泣き叫ぶのが一般的なのだろうが、どういうわけかそういった感情も涙を流す機能も働かない。それよりも、冷静に状況を分析してしまう。

 友達の性格は明るく、品があって礼儀正しく、時々世話焼きな一面をちらつかせる。顔は可愛い部類で普通寄りだがブスではない。正直、いい女子を手に入れたと元初恋相手に言ってあげたいくらいだ。

 考えれば考えるほど惨めで虚しくある。

 世間一般ではクリスマスイブは恋人同士のイベントのようになっている。きっと友達と彼氏も装飾の灯りで煌びやかに見える町へ出かけるなどして、互いの関係を深めているのかもしれない。

 ふと、白くなる息を吐くと、それは楽しいだろうが、自分はこの雰囲気の世界で十分満足していると受け入れてしまっているミヒロがいた。
 どうとも表しにくい感情、好きな空気が、どこか例年の冬より冷たく感じる錯覚。

「ただいま。ミヒロ、もう日も暮れるから窓閉めなさい」

 いつの間に帰ってきたのか分からない父の声を聞くと、現実へ引き戻された。まだ一時間も経っていないはずが、既にここまで時間が経っている事に驚きつつも、ミヒロは素直に父の命令に従った。
 現実に引き戻された頭で想うのは、訳が分からなくなった感情のまま趣味に没頭すると時間が忘れてしまうから、やるなら精神面の状態が無事である必要があると学んだ。

 これといって問題は無いが、それは今住んでいる家が安全なだけで、もしひとり暮らしでもしようものなら、変質者が現われたり覗かれる危険を孕んでしまう。
 こんなブレブレの心情だが学習したミヒロは、次回以降はこういった事がないようにと心に決めた。

「今日はクリスマスイブだから、晩飯は豪華にしたぞ」

 父が娘の為にと見せたクリスマス専用の惣菜を見せたとき、不意打ちを食らったかのように笑顔が現われてしまう。
 なぜ父はこうも自分の不意打ちをつくのが上手いのだろうかと思いつつ、ミヒロは父のこんな素朴で何気ない様子に心地よい気持ちに戻される。

 ミエコと離婚し、どちらかに付くかと選択を迫られたとき、父を選んで本当に良かったと、心底想う。

「お父さん、コレ」
「何だ? ……キーホルダー、くれるのか?」
「うん。……クリスマスプレゼントってことで」
「ありがとう」

 渡る相手が違うキーホルダーだが、所詮は妄想内での初恋相手。買ったことにも父に渡した事にもなんの後悔も無かった。

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