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私はどんな「眼鏡」で世の中を見ているのだろう

世の中、すべては自分自身の「解釈」。
現時点での、自分探しの行き着くところの究極は、ここにある。

「解釈」は、他の言い方としては、「フィルター」「色眼鏡」「認識」「認知」「観念」「意識」などなど。
1つのこと、ものに対して、見方や感じ方は人それぞれである。
かける眼鏡によって、ものの見え方が変わるとするなら、人の数だけ、違う眼鏡が存在するということだ。

このことを、さとうみつろうさんがわかりやすく説明しているので、少し長いが引用する。

神様 みつろう君、バラは知っておるか?
みつろう 成人を越えて、「バラ」を知らない人がいるとでも?赤くて美しい、あの花のことでしょ?神様  お前は今、「バラは美しい」と言った。
じゃがある人は、バラを見て「トゲトゲしい」と言うんじゃ。
「事実」と言うバラがもしあるのなら、全てが同じ答えになるはずじゃないか?
しかし、バラを見る人の数だけ答えは違う。それぞれが、見たいように現実を見ておる証拠じゃ。
信じたいように、なにかを信じて、解釈したいように、解釈し、それを人間は「現実」と呼んでおるだけなんじゃよ。
「事実」というバラがなかったように、たった1つの事実なんてどこにもない。あるのは見る人それぞれの、「解釈」だけじゃ。 
みつろう たしかにそう言われると、バラは見る人それぞれで、違うように見えていますもんね。解釈の数だけ、そこに「現実」があるのか。
神様 ちなみにこれは、脳科学者も突き止めておるぞ。「現実」なんてどこにもないとな。
「現実」とは、その人の視覚、聴覚、触覚、味覚、痛覚から来た電気信号を基に、脳内で勝手に創り上げている架空のもので、人の数だけ、異なる「現実」があることを彼らはもう知っておるよ。
みつろう すごい世の中になってきてますね!脳科学者も、物理学者も、「現実なんてない、あるのは解釈だけ」だと言っているんですか?
神様 脳科学者、物理学者どころか、ありとあらゆる最先端の研究者は、みんなもう気づいとるよ。学んでみるといい。

「神様とのおしゃべり」さとうみつろう
ワニブックス

このことに気づきさえすれば、ポジティブなことも、ネガティブなことも、全ては「私の解釈」だと思える。
「気持ちいい」「ワクワクする」「幸せだ」も解釈。
「頭にくる」「イライラする」「がっかりする」も解釈。
全てのことは、外部要因ではなく、あくまで「私の解釈」なのである。

30代の頃、心理カウンセリングに興味を持ち学んでいたときに、「過去と他人は変えられない」と言う言葉に出会い感銘を受けたが、まさにその通り。変えられるのは、自分自身の「解釈」しかない。

ムカつく上司がいたとする。「この人は苦手だなあ」と思う。しかし、中にはこの上司を慕っている人もいる。ムカつくと思うのは私の解釈であり、上司はそういう人でしかない。関係を変えたければ、自分の解釈を変えるしか他に方法はない。

うつ病になる人も、行き着くところは「解釈」の問題ではないか。だから、認知行動療法という治療があるのだろう。認知、つまりものの見方を変えていけば、変わっていけるということだろう。

すべては「解釈」。
怒ったり、嫌な気分になったとき、「自分はなぜ怒ったのか、嫌な気分になったのか」と振り返り、それが自分だけの「解釈」だったと捉えることで、落ち着きを取り戻すことができる。

「解釈」は、個性、性格によって変わる。根底として、何かを信じている自分がいて、それをもとに解釈している。その大元をたどっていけば、自分はどういう人物なのかを見つけることができるのではないか。

今ようやく、自分の眼鏡の存在に気づき、それがどんな眼鏡なのかを探求し始めたところである。

〈今回引用した書籍〉


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