私はどんな「眼鏡」で世の中を見ているのだろう
世の中、すべては自分自身の「解釈」。
現時点での、自分探しの行き着くところの究極は、ここにある。
「解釈」は、他の言い方としては、「フィルター」「色眼鏡」「認識」「認知」「観念」「意識」などなど。
1つのこと、ものに対して、見方や感じ方は人それぞれである。
かける眼鏡によって、ものの見え方が変わるとするなら、人の数だけ、違う眼鏡が存在するということだ。
このことを、さとうみつろうさんがわかりやすく説明しているので、少し長いが引用する。
このことに気づきさえすれば、ポジティブなことも、ネガティブなことも、全ては「私の解釈」だと思える。
「気持ちいい」「ワクワクする」「幸せだ」も解釈。
「頭にくる」「イライラする」「がっかりする」も解釈。
全てのことは、外部要因ではなく、あくまで「私の解釈」なのである。
30代の頃、心理カウンセリングに興味を持ち学んでいたときに、「過去と他人は変えられない」と言う言葉に出会い感銘を受けたが、まさにその通り。変えられるのは、自分自身の「解釈」しかない。
ムカつく上司がいたとする。「この人は苦手だなあ」と思う。しかし、中にはこの上司を慕っている人もいる。ムカつくと思うのは私の解釈であり、上司はそういう人でしかない。関係を変えたければ、自分の解釈を変えるしか他に方法はない。
うつ病になる人も、行き着くところは「解釈」の問題ではないか。だから、認知行動療法という治療があるのだろう。認知、つまりものの見方を変えていけば、変わっていけるということだろう。
すべては「解釈」。
怒ったり、嫌な気分になったとき、「自分はなぜ怒ったのか、嫌な気分になったのか」と振り返り、それが自分だけの「解釈」だったと捉えることで、落ち着きを取り戻すことができる。
「解釈」は、個性、性格によって変わる。根底として、何かを信じている自分がいて、それをもとに解釈している。その大元をたどっていけば、自分はどういう人物なのかを見つけることができるのではないか。
今ようやく、自分の眼鏡の存在に気づき、それがどんな眼鏡なのかを探求し始めたところである。
〈今回引用した書籍〉
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