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ついに見れたね見たかった映画(アイネクライネナハトムジーク)。

徒然に綴るブログ、今回は「映画を見て思ったこと」について。

先日、映画「アイネクライネナハトムジーク」をようやく見に行った。公開は9月で、しかも宮城県は全国公開よりも1週間早い先行上映という特別待遇だったにも関わらず、繁忙期のスタートと重なり、見事に機会を逃してしまっていた。仕事の状況と、自分の体力が2時間ちょいの鑑賞に耐えうるかを気にしているうちに、あれよあれよと月日は流れ、公開から2ヶ月近く経ち、上映回数は少なくなっていたものの、ありがたいことにまだ公開中でいてくれた地元の映画館へ滑り込んだ。

この映画の原作者「伊坂幸太郎」の小説が昔から好きだ。多分、僕の人生でその作品を一番多く読んでいる作家さんで、初めて読んだ「アヒルと鴨のコインロッカー」で衝撃を受けた。そこから過去作品を読み、ここ最近は追いきれていないけど新作も出れば読み、アンソロジーやエッセイにも手を出した。映画化されることも多く、それらも見てきた。すべてではないが、「ゴールデンスランバー」「フィッシュストーリー」「ポテチ」などが好きだ。仕掛けが巧みな作風のファンでもあるが、馴染みのある仙台が舞台になることが多いのも共感が強くなっている要因なのだと思う。仙台在住であるという伊坂さんが市内のコーヒーショップを仕事場にしているという話を聞いて、通りがかるたびに覗いてしまっていた時期もあった。

さらに、伊坂さんが「斉藤和義」ファンだと知ってからはより一層。二人の対談本「絆のはなし」も読んだ。作詞の代わりにと書いた伊坂さんの短編小説「アイネクライネ」を、和義さんがそのまま曲にしたという「ベリー ベリー ストロング ~アイネクライネ~」もすごい。小説を読み、曲を聴いてもらうと分かると思うけど、本当にそのまま曲になっている。まがりなりにも作詞作曲している自分からするととても信じられなかった。その曲のリリースの際に新たに書き下ろされた小説の続編と、さらに数編が加えられて刊行されたのが「アイネクライネナハトムジーク」という連作短編小説。それが映画化され、その音楽を和義さんが担当する、というこの一連の流れは、待ってましたと言わんばかりの、双方のファンにとってたまらないものがあった。これぞコラボレーションの極みという感じ。

そんなだったから、原作を読み、映画化を知った時からかなり期待度は高まり、公開後も自分の都合ながら身動きが取れないでお預けになっていたこもあって、ハードルはかなり上がっていた。ところが、この映画はそれを軽々と飛び越えてしまった。「原作と映画のどちらがいいか」という話だとしたら、「どちらもよかった」という結論。

原作で重要な設定や場面が映像化の際に端折られたり改変されていたりすることはよくあることで、見る人によっては「致命的なミスだ!」「がっかりだ!」ということもあるだろう。実際、そういう感想をもったことも少なからずある。ただ、伊坂さん原作の映画においては、進化したエンターテインメントになっていると思うことが多い。「ゴールデンスランバー」の分厚い原作は、独特な世界観や緻密な伏線がびっしり張り巡らされているけど、映画はシンプルな逃走劇としてとても面白いし、キャスティングも豪華で見ごたえがある。「アヒルと鴨のコインロッカー」では、小説ならではの叙述トリックを見事に映像化していた。「アイネクライネナハトムジーク」においても、原作にはない「その後の二人」が描かれていたが、そこは僕自身も知りたかった「その後」で、テーマになっている「出会い」を映画でさらに掘り下げていたように思えてよかった。あとはやはり音楽が原作とは違う。原作にも「斉藤さん」というミュージシャン(?)が登場するが、映画でも謎のストリートミュージシャンが要所でいい味を出し、何より劇中音楽や書き下ろしの主題歌で和義さんが携わっているのが熱い。小説を読んでいる時に頭の中で鳴っていた音楽を、より洗練された“本人の音楽”として実際に聞くことができた感動も大きい。

原作・映画ともに好きな登場人物は「藤間さん」だ。原作を読んだ時の自分のイメージとはちょっと違ったが、映画で「藤間さん」を演じた原田泰造さんもとてもよかった。あんな先輩と飲みに行く人生も良かったなと、脱サラした自分ですらふと思ってしまった。とはいえ、残業中に突然机を蹴り飛ばし、泣き出すような場面を目の当たりにしてしまったら、実際は距離を置いてしまうような気もする…。

原作では「ドクメンタ」という短編で藤間さんがフィーチャーされていて、藤間さんの人となりと、免許センターでの“出会い”が描かれている。藤間さんが自分と同じ様な既婚者でもあるからか、随所で妙な親近感を覚えてしまう。登場人物でいうと、「織田一真」も同じような既婚・子持ちであるのに、どちらかというと断然、“藤間さん側”な気がするのは、性格の違いによる共感度の差なのだろうか…。対照的な二人のようには思えたけど、その藤間さんや織田一真の、人生経験を踏まえた上で振り返る「出会い」というものが、主人公である佐藤や、読者に対してのメッセージになっているのだろうなと感じた。そして、出会ったその後を描かずに余韻として終えた原作も面白かったし、佐藤の“「出会い」後”を見せてくれた映画も、僕にとってはとても印象深い作品になっていた。

さらに、映画では多部ちゃんこと多部未華子さんの佇まいが素晴らしかったのと、“分不相応な美人妻”として登場する「織田由美」役の森絵梨佳さんや「斉藤さん」役のこだまたいちさんのキャスティングが最高だった。あと、濱田マリさんも出番は少なかったけどいいセリフをばっちり決めていた。この辺を書き出すときりがないのでやめておこう。

伊坂作品の映画は、原作がそうであるから当然のごとく、仙台が舞台になっていることが多い。僕自身は仙台市民でないが、馴染みのある場所が次々とスクリーンに映し出されるのは、何となくうれしいものだ。今回はペデストリアンデッキがよく出てくるが、そこはもちろん何度となく通ったことのある場所なので、映るたびにちょっと「おっ」となる。主題歌の「小さな夜」のMVで和義さんが仙台駅周辺で歌っていたり歩いていたりするのもたまらない!

そして、終盤の重要なシーンが、サラリーマン時代に通勤路にしていた交差点付近だったことにも妙にドキドキしてしまった。朝は寝ぼけ眼で、夜は凝り固まった首や肩を回しながら、僕が信号待ちをしていたあの交差点の辺りに、佐藤と紗季さんがいたんだなと思うと、より親近感が深まった。通勤してたのはもう10年くらい前だし、実際にはいなかったのだけど、同じような人たちが、今もあの頃も、あんな風に出会ったり、ケンカしたり、夜中に全力で走り回ったりしてるんだろうなと思うと、何やら感慨深い気持ちなった。

僕の場合、街頭アンケート調査もしなかったし、横断歩道で財布を落とすことも拾うこともなく、ここまで来た。それでも、思い返すと「あーよかったな」と思えるような出会いがいくつかあるが、藤間さんの例があるので、まだまだ油断はできない。ハサミはちゃんと片付けよう。でも、頼まれていたゴミ出しはよく忘れる。出会いも大事だが積み重ねも大事。資源ごみは木曜日!そうだ、今日だった。やはり手に書くべきだったかも。忘れないように。来週また頑張ろう。

それではまたそうのうちに。


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