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非色

#非色
#有吉佐和子
#河出書房新社
色に非ず―。終戦直後黒人兵と結婚し、幼い子を連れニューヨークに渡った笑子だが、待っていたのは貧民街ハアレムでの半地下生活だった。人種差別と偏見にあいながらも、「差別とは何か?」を問い続け、逞しく生き方を模索する。一九六四年、著者がニューヨーク留学後にアメリカの人種問題を内面から描いた渾身の傑作長編。

ーーメモーーーーーーーー

桜の花は間近く寄ってみると花びらの肉も色も繊細で痛々しいほどデリケイトだったが、少し離れてみると花霞とはよく言ったものだと感心させられる。花が夢のように白く淡く煙り立つのだ。

人間が生きていることを最低のところで支えているものは何なのだろうかと、私は考えてみないわけにはいかなかった。私は井村の前で、私がプエルトリコ人ではないと力説して撲り倒された。私がニグロの妻であり、母であることを自分に納得させているのは、ニグロがプエルトリコよりましな人種だからなのではないか。

ニューヨークのプエルトリコ人をみる人々の眼を考えてみると、私にはどうもニグロが白人社会から疎外されているのは、肌の色が黒いという理由からではないような気がしてきた。白人の中でさえ、ユダヤ人、イタリア人、アイルランド人は、疎外され卑しめられているのだから。そのいやしめられた人々は、今度は奴隷の子孫であるニグロを肌が黒いといって、あるいは人格が低劣だといって、軽蔑することで、自尊心を保とうとし、そしてニグロはプエルトリコ人を最下層の人種とすることによって彼らの尊厳を維持できると考えた・・・。そしてプエルトリコ人は・・・。

金持は貧乏人を軽んじ、頭のいいものは悪い人間を馬鹿にし、逼塞して暮す人は昔の系図を展げて世間の成上りを罵倒する。要領の悪い男は才女を薄っぺらだと言い、美人は不器量ものを憐れみ、インテリは学歴のないものを軽蔑する。人間は誰でも自分よりなんらかの形で以下のものを設定し、それによって自分をより優れていると思いたいのではないか。それでなければ落着かない、それでなければ生きて行けないのではないか。

この世の中には使う人間と使われる人間という二つの人種しかないのではないか。それは皮膚の色による差別よりも大きく、強く、絶望的なものではないだろうか。使う人は自分の子供を人に任せても充分な育て方ができるけれど、使われている人間は自分の子供を人間並に育てるのを放擲して働かなければならない。肌が黒いとか白いとかいうのは偶然のことで、たまたまニグロより多く使われる側に属しているだけではないか。この差別は奴隷時代から今もなお根深く続いているのだ。

アフリカのニグロはアメリカのニグロを軽蔑している。そしてアメリカのニグロもアフリカ人を軽蔑している。何故だろう。何故こんなことが起こるのだろう。戸惑いながらも、実は私には既に解答が用意されてあった。今夜の黒いお客たちは、国へ帰れば指導者になる人たちなのだ。彼らは使われているアメリカのニグロたちを同族と看なすことはできなかっただろう。そしてアメリカのニグロたちは文明国の国民だという誇りを持っていて、プエルトリコの貧民たちを蔑むと同じように、未開のアフリカの野蛮人たちより自分を優位と思いこんでいるのだ。そうなのだ。問題は色ではないのだ。アメリカの人種差別は階級闘争なのだ。

ーー感想ーーーーーーーー

人種差別とは、色の問題ではなく、階級の問題。まさにそう思ったかも。

まさにタイトル「非色」は〈色に非ず〉

なんで人は自分より以下の人を設定したがるんだろう。

きっと自分以下の人を設定することで自分の価値を測ろうとしていて、ばかにされなくないという自己防衛なんだろうけど、私はその方法では相手が嫌な気持ちになるから間違っていると思う。

まさに自分の価値を自分で決める自己肯定感が大切なんだと思った。

けど、環境が違うと周りの反応も違うわけで、私だって海外に行けばアジア人?日本人?として差別を受けることだってあると思う。

例え自分の自己肯定感が高かったとしても差別されるような環境にずっといると、自己肯定感は低くなってしまうよね。それだけの軸を自分で持っておくことも大切なんだなと思う。

けど、その環境から抜け出すことも選択肢の一つである。でも、この小説の時代にはそういうことはできずに自分の運命を受け入れるしかなかったのかもしれないな。

先人たちが築き上げていった歴史は少しずつだけど良くなっているように思うけど、1964年に書かれた内容なのに、今の現代でも分かってしまうことは悲しい現実。根深い問題だということの表れだと思った。それでもきっと良くなっていっているのは確かであり、知ることで理解できる。

見た目だとか人種だとかで判断されず、個々が見られる世の中になるといいなと思う。


そんなことを言いつつ、ここまでの話は人種と肌の色の話で、階級の問題は難しいものがあるのかもしれない。

人間の中に根強くある他人よりも優秀だと思いたい意識。


これは根深いぞ。人間の心理的に持っているものなのではないかと思う。

昔何かで読んだ『人は境界線を決めたがる。境界線があるから差別が生まれる』という言葉。

アドラーもいうように共同体感覚が大きな目で見ると世界を救うのかもしれない。

個々で言うならば、利己的な人よりも利他的である人こそが評価されるそんな時代になって欲しいと思う。

そうすることである人はない人を助け、ある人はない人を守る。

すると良い循環がうまれるのではないかな。

みんなが自己を保ち、愛を持って相手と接すればきっと良い世の中になると思う。そう信じて自分から行動することにしよう🥹💕


#読書記録 #萌本棚

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