大学入試 その5

大学入試 その5

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ちょうど一年くらい前に、とある議員が、つぶやいたらしい。未来を生きる生徒たちの未来の提案。

決してこの提案した子たちを問題にしたいわけではない。このような提案のできるこの子たちの、才能は素晴らしいと思う。

筆者は、日本でこれから必要だと言われている、考える力というのを評価するには学力試験ではなく、小論文や面接といった手段で、それを真に考える力を持つ人が評価するのなら、その方がいいと考えている。

ただ、それを真に評価できる人間が、各大学にどれくらい存在するか、そちらは甚だ疑問である。だからこそ、大学への入学を許可するどうかと言うことであれば、疑念の挟む余地のない学力試験の方がよかろうというのが筆者の意見である。あきらかに、疑念の余地のない学力試験の方が、結果的に入学者の数のみを確保したい大学側の思惑に左右されない入試制度になる。

とある政治家が感動した提案には、小学生から高校までの社会経験を自分の作品集としてアピールしたり、AO入試を拡大するといったことがあげられていた。政治家も含めて、今の大学入試には問題が多すぎて、すべての人が平等に教育を受けられないと発言されることが多い。しかし、社会経験が豊富なことで、大学に合格するなら、こぞって社会経験を行うことになりはしないか?そうなると、人にアピールできるような社会経験を大学入試のためだけにすることになりはしないか?一方で、そういった社会経験は何を指すのかと考えた場合、社会経験をさせてあげられる余裕のある家庭に限られてい来るということになりはしないか?

今でも、塾に行かないと大学に合格しない。塾に通わすには生計に余裕がないと出来ない。結局平等ではないといった議論がある。

筆者は裕福とか貧乏とか関係なく、高校や大学に進学したいものすべてが無料で通学できるようにすべきだと考えている。たった数万円の親の年収の違いで授業料が無償になるか、有償になるかという観点だと、それこそ不平等ではあるまいか?平等不平等の議論をすると、必ずその恩恵を受けられない人に対して不平等だという発言がなされる。筆者にとっては、すべてがすべての人に平等に配分されるなんてことはあり得ないが、同じ立場の人には平等に与えられるべきだと考えている。

これはあくまでも私見で、財源をどうするかといったことを度外視している。

しかし、裕福でなければ勉強できないというわけでもないと一方で考えている。受験産業という言葉があるようにそれで、お金を稼ぐ立場の人もいる。だから塾に行くかどうかはその商売にのるかどうかを判断すればいいのである。お金を払っていくのも自由だし、自分で頑張るのも自由である。

多くの人が勘違いしているが、大学に行かなければならないのは、就職するためであると言っても過言ではない。あとは、該当する課程を修了していないと受験資格のない国家資格を受けるためか。

でも例えば医者になるのに、大学を何故出なければならないかはよくわからない。普通の医者になるのには、過去の症例と病名や処方内容が頭の中にあって、手術の技術は実戦でのみ養われる。そう考えれば、医師免許試験に合格するために、独学してもいいのではないか?筆者は医学部の卒業生ではないので実際がどうなのかはよくわからない。研究者になるには、大学で研究すべきだとは思う。

就職するときに、学歴以外はまったく同じ評価であったら、おそらく両名とも採用ということになると思うが、学歴を記載する時点で、色眼鏡がかかるのは間違いないだろう。

今どきの裕福な人は、大学を出ている必要があったかどうかと考えると決してそうではなさそうだ。確かに大学は出ているが、その発想力は、大学で教えてもらったものではないだろう...

結局いろいろなことに興味を持ち、何気ないことに疑問を持ち、その疑問を解決するために、知識を探り、その中から、誰も考えつかなかった、誰も興味を示さなかったものに、たどり着いたものが、成功している。しかしそのような人達がすべて成功するとは限らない。成功するほうが少数派だろう。でもそれがこれから生きる人たちの夢になれば、みな夢を持って生きていけるのではないか?日本は、今その夢を見ることが出来ない社会なのだろう。

教育改革は、教育そのものを変えることよりも、そういう夢を見ることが出来る社会構造に改革することの方が重要ではないかと筆者は考えている。

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