おじぎ乗り研究

前回の記事で私が脳溢血で倒れ、身体障害者であると匂わせたが脳卒中麻痺のリハビリにエアロバイクが使われることは多い。自転車は足首や膝・股関節や腰に優しい有酸素運動ができる格好の移動手段なのだ。脳卒中などで麻痺が残ると以前の自分とのギャップを考え精神を病む人が多い。私もその一人だがご多分に漏れずメンタルクリニックに通っている。理由は不眠であるが診断はうつ病である。

元々横浜に住んでいる頃は趣味でロードバイクに乗っていた。背筋力300kg、握力90kg、100mは巨漢でありながら11秒台で走り、ゴルフでは400ヤード飛ばす驚異のパワフル人間であった。なので余計片麻痺になって以前の自分と比較して苛立つことは多かった。そして退院から5年経過した昨年11月に妻に京都旅行に連れて行ってもらった。その時には朝イチから動き回り、京都の伏見稲荷大社~東福寺~高台寺~八坂神社~京都市内をブラブラしてその日の歩数は22000歩を越えた。そしていつものメンクリの診察で担当医師から「自転車に乗れるといいんだけどね。」と言われ部屋の片隅でオブジェと化していたロードバイクをオーバーホールすることにした。You Tubeを検索すればロードバイク系の動画が沢山出てきて色々なことを知った。

二十歳の頃にアルバイトに精を出し、必死で買ったロードバイク。そのバイクで横浜からアルバイト先の川崎まで通った事があった。クルマで渋滞することもあり、クルマで通うと約1時間程の25kmの道のりをロードバイクで50分で通えるようになった。道程には坂の街横浜らしい急な坂道の丘をいくつも超えるルートだった。私は速くなりたいとか全く考えず日々の通勤をこなしていた。バイトで可処分所得が多くなり、当時流行り始めたビンディングペダルはlook pp66から始まり、ペダルを完全に固定セず左右に動く機能で注目されたtimeの高級ペダルも試したりした。しかしあまりしっくりこなくてlook pp76カーボンという上位モデルに落ち着いた。

私のロードバイクはミヤタのチームミヤタというモデルの輸出仕様で当時の最高級のカンパニョーロスーパーレコードのフルセットを装着していた最高に金のかかったモデルだった。輸出仕様のためサイズは日本人ではかなり大きな570というシートチューブのモデル。最初のステムは3Tだったがチネリの1Aに変更。より遠くして背筋力を活かしたいと考えた。別に本を読んだり人にアドバイスを受けたわけではない。

結果、私のロードバイクはトップチューブ565mmにステム130mmの長いものをつけることになった。その頃から月間走行距離1000km走り、後ろを付いてくるウィールサッカーも千切り、誰にも追いつけないことはなくなった。乗り方のコツも掴み、体重を上手くっペダルに載せて走れるように変化していった。そしてこの乗り方は誰にも明かさない自分だけのメソッドとなった。

しかしあれから20年ネットを見るとベルナール・イノーや若手のグレッグ・レモンだった記事もファビアン・カンチェラーラやアルベルト・コンタドールに変わっていた。ツール7連覇を成し遂げたアームストロングはドーピングを認めて記録剥奪・永久追放の厳しい処分を受けてロードバイクの世界から消えていた。そして人の姿をした宇宙人と言われるほどの超人ぶりをみせていたカンチェラーラに興味が湧いた。

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