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映画「岬の兄妹」感想と解釈〜彼らはいつ間違えたのか〜

 先日、映画「岬の兄妹」を観た。
 元々気分が落ち込んでいたので、とびきり胸が悪くなるような映画を求めてチョイスしたのだが、どちらかというと「社会の問題を浮き彫りにされて鬱になっている暇もない」という感想だった。
 それはそれとしてこの苦しさを数日引きずる人がいるというのも理解はできる。

 ということで、感想と解釈をダラダラと述べていこうと思う。
 あくまで素人の無責任な言葉であることをご理解の上、お付き合いいただけたらと思う。

 ※当然ながらネタバレのパレードになるため、なにも情報を入れずに作品を楽しみたい方はここでブラウザバックを。

あらすじ

障碍をもつ兄妹が犯罪に手を染めるとき、二つの人生が動きだす―
港町、仕事を干され生活に困った兄は、自閉症の妹が町の男に体を許し金銭を受け取っていたことを知る。罪の意識を持ちつつも、お互いの生活のため妹の売春の斡旋をし始める兄だったが、今まで理解のしようもなかった妹の本当の喜びや悲しみに触れ、戸惑う日々を送るのだった。そんな時、妹の心と体にも変化が起き始めていた・・・。
ふたりぼっちになった障碍を持つ兄妹が、犯罪に手を染めたことから人生が動きだす。地方都市の暗部に切り込み、家族の本質を問う、心震わす衝撃作―。

──映画公式サイトより引用

 ちなみに、あらすじに記載はないが兄の方も片足に障害がある
 常にずるずると片足を引きずって歩いており、その障害が仕事を干された理由に少なからず影響しているようだ。

前提の解釈

 まず、この兄妹の家族構成について。
 作中に幼い頃の家族写真が出てくるのだが、そこに写っていたのは母、兄、妹の3人だけ。父親と思われる人物はいなかった。そこからおそらく彼らの母はシングルマザーだったのだろう、と推察した。
 また、妹が「お母さんは」と問いかけたところで兄が「遠くへ行った」と返し、その上で「だから俺が戻ってきたんだろうが」と独りごちている描写から、母はすでに亡くなっているか妹を捨てて絶縁状態になっているかのどちらかだろう。
 個人的には映画のあらすじで「ふたりぼっち」という言葉が使われていることから前者の方がしっくりくる。

 状況を整理すると、「母が亡くなり、妹の世話をする人間がいなくなってしまったので地元を離れていた兄が戻ってきた」となる。

 兄がこの町に戻る前どこにいたのかは描写されていないが、彼には彼の生活があったはずで、もしかしたらもっと働きやすい職場で働けていたかもしれない。それを「障害のある妹」を理由に地元へ引き戻されたとあれば、全体的に兄が妹に刺々しく接しているように見えるのもわからんではないな……と思う。

 ちなみにここまで読むと本当に寄る辺のないふたりだと感じられるかもしれないが、彼らのことを思ってくれる人物もいる。兄の友人であり警察官の「肇ちゃん」だ。
 困窮するふたりに金を貸してくれたり、兄が妹に売春させていることを知って真っ当に怒ったりしてくれるのだ。その際「もう二度と顔を見せるな」と言いつつも、映画終盤、妹を連れて訪れた兄に以前とあまり変わりのない対応してくれる。

彼らはいつ間違えたのか?

 上記の前提を踏まえた上で、記事のタイトルを回収していきたいと思う。

 私の考えた結論は。
 最初からなにもかも間違えている、だ。

 この記事における「彼ら」は「兄、妹、母」である。彼らは最初から、妹が生まれた時からなにもかも間違えているのだ。
 大きく分けて、彼らが犯した間違いはふたつ。

 ひとつは「福祉に頼らなかったこと」だ。

 まずこの映画を観て思ったのは「ひょっとしてこのふたりは障害者手帳を持っていない?」ということだった。
 福祉の形は刻一刻変化していくものなので、この映画が撮影されていた際の福祉制度がどうなっていたのかまで調べていないので無責任な言葉にはなる。しかし、あまりにもこのふたりは福祉に接続されていない。
 身体障害については詳しくないためなんとも言えないが、妹に関してはこの重さの自閉症で手帳が取れないことはまあないだろうし、障害年金だって降りるだろう。
 仮に障害年金は将来のために貯めておく……にしたってゴミ漁りをしたりティッシュを美味しく食べたりするような状態ならある金は使うだろう、流石に。

 となると障害者手帳を持っていないどころか妹は(もしかしたら兄も)正式な診断が降りていないんじゃないか……? と思った。
 兄妹が生まれた頃、自閉症であることによる差別は拭えない時代だっただろうし気持ちはわからないでもないのだが、それを嫌った結果母自身も家族も苦しんでいるわけで。さもありなんとしか言いようがない。

(これ、実は母親が死んでいなくて妹を捨て、妹の障害年金せしめて生活してたらそれはとんでもなく胸糞悪いな……。と思ったがここでは考えないことにする。)

 もっと言うなら職を失った兄が役所に行って「生活保護の受給の申請に来ました」と言えば映画になることもなくなにもかも穏便に済んだ可能性が高い。

 ただ、彼らには情報を得る手段が足りていない。あの家にはパソコンも、テレビもない。兄が持っているのもガラケーだし、スマートフォンもないのでインターネットで調べることも難しいだろう。
 もちろん地域の図書館などでインターネットを閲覧する手もあるが、あそこまで目を離せない妹がいる時点でそれはハードルが高い。
 ダメ元でなにもわからないまま役所へ行ったとしても、雑にあしらわれてまともに対応されないまま帰されるだろう。
 悲しいかな、行政はそういうものだ。

 貧困で情報が得られない中、いかに福祉とつながるか。
 貧困で苦しむ人間を、いかに見つけ出して福祉に繋げるか。

 これは社会に対する問いであり、本作の明確なテーマのひとつなのではないかと思う。

 そして、もうひとつの間違いは「家族の機能不全」だ。

 本作では、幼い日々の回想以外で過去の描写が出てこない。
 回想の中でも兄は妹を見ていたけれど言葉を交わす様子はない。
 兄が妹を制止する時には必ずと言っていいほど「プリン食べよう」などの食べ物で釣る様子が見受けられる。

 これらの描写から見るに、彼らの家庭では「とりあえずこうしておけばこの子は止まる」以上のコミュニケーションが行われていないのではないか、と感じた。

 母親がどうだったかはわからないが、少なくとも兄妹間ではそういう風に見える。どうにも妹への理解が足りていない。
 この無理解は兄自身を苦しめている。投げた言葉が正しく返ってこない人間とのコミュニケーションは難解で、疲れる。うっかり地雷に触れれば癇癪を起こすのだから余計にだ。

 客に対して妹が「お仕事する」という言葉を覚えたように、幼い頃から密接に関わっていればここまでひどい状況にはならなかったのではないかと思えて仕方がない。

 ……と、ここまで行ったはいいものの、筆者は障害者のきょうだいに障害者のケアを求めるのは間違っていると思う。それはいわゆる「ヤングケアラー」に他ならないからだ。
 しかし、世の中健常だろうが障害者だろうが家族としてのふれあいが全くない家というのも珍しいはず。
 あくまで「ケア」ではなく、「兄」としてのコミュニケーションが足りていなかったのだ。

 その分別をしながらふたりの仲を取り持てるのは間違いなく親だ。このケースで言うなら母だ。
 彼らの母が自分のいなくなる未来を予測して、それでも子供が困らないように……と行動していれば、こんなことは防げたのではないか。そう思えてならない。

終わりに

 久々に映画のレビューのようなものを書いたため、予定より随分長くなってしまいました。
 最後まで読んでいただけて嬉しく思います。ありがとうございます。
 私も障害者の弟を持つ身として、どうにも他人事に思えない映画だったため、珍しく筆を取った次第です。
 今回は福祉と家族について書いたけど、切り口は無限にあると感じる映画でした。学生に妹を売った話や妹を嫁にとってくれないかと頼みにいく話を切り取って「無敵の人の怖さ」みたいな話もできそうだ。誰かぜひ書いてください。
 ちなみにラストシーンの着信音が鳴り響く演出がかなり良いと感じたのですが、皆様はあれを誰からの電話と捉えただろうか?
 私は「客から」だと思います。今後もこの苦しみが続くのだというメタファーだと。

 もしよろしければマシュマロまでご意見いただければと思います。
 おすすめの映画も教えてください。アマプラで観られるものだと助かります。

 マシュマロはこちら。
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 おしまい!

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