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教室から消えた沖縄の歴史・仲原善忠原著『琉球の歴史』(上・下)を読む~第5章 按司の時代の社会と文化③

3.オモロの発達

【解説】
 「おもろさうし」につては予備知識がないので、ほぼ仲原の原文引き写しである。ただ、表記に揺らぎがあり、説明が前後するところがあったので、その部分は整えた。仲原はオモロの研究をしていたというが、その思い入れがあったのか、中学レベルにしては説明が少なく、難しいと思う。
 首里城や冊封使のもてなしのために発達した芸能よりも、オモロそのものは古いものであることは間違いなく、これを重視した仲原の着眼点は正しいと思う。

【本文】
 この時代、オモロがさかんにうたわれたらしく、「おもろさうし」にのっているものの多くはこの時代のものです。
 祖先が残してくださった大切な文化遺産のひとつとして、私たちは「沖縄の万葉集」とも言われる、オモロのことを知っておく必要があると思います。
 オモロは11世紀ごろから17世紀のはじめまで、奄美大島、沖繩でうたわれた歌謡です。先島をのぞいた沖縄諸島、大島諸島の島々、村々の歌を、ひらがなで書き出し、1531年から1623年まで3回にわたって、統一王国の首都となった首里でまとめられたものが「おもろさうし」22巻で、1144首収録されています。この中には、首里で学問のある人が作ったもの(お祭り用の神歌)もありますが、大部分は文字を知らない田舎の人々(沖縄の識字率は、明治維新の時点で男性25%、女性12%程度と言われ、農民はほぼよみかきができませんでした。これは本土の半分以下のレベルです)が即興的にうたいはじめた民謡です。民謡なので各地のことば、民俗、信仰、生産、労働、交通、貿易、経済、人々の思想感情、あらゆる人生の営みが素直にうたわれています。一つ二つ例をあげて見ましょう。

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十巻ノ二三、(あがる三日月がふし)
   一、ゑ、け、あがる、三日月や
     ゑ、け、かみぎや、かなまゆみ
     ゑ、け、あがる、あかぼしや
     ゑ、け、かみぎや、かなまゝき
     ゑ、け、あがる、ぼれぼしや
     ゑ、け、かみが、さしくせ
     ゑ、け、あがる、のちぐもハ
     ゑ、け、かみが、まなききおび
(口語訳)十巻ノ二三、(あがる三日月がふし)
   一、あれ! あがる三日月は
     あれ! 神のかな真弓(まゆみ)
     あれ! あがる赤星は
     あれ! 神のかな細矢(ままき)
     あれ! あがる群れ星は
     あれ! 神のさし櫛
     あれ! あがる横雲は
     あれ! 神の愛み(まなみ)帯
 とても清らかな敬虔なうたです。「ゑ、け」は感嘆詞ですから二、四、六、八行には意味の上からは不必要ですが、「ゑ、け」をお囃子としてうたったものをそのまま書いたものです。おもろは、ほとんどがひらがなで、ごくまれに漢字もまじっています。またこの作品のように、うたう時のおはやしも書いてあります。
 これは舟歌です。舟をこぎながら、ふと見上げると、たそがれの大空に三日月が上がっています。「あれ! 三日月が」と驚き、次々と目に入る宵の明星や星の群れ、紫に染まった横になびく雲をうたったものです。
 「まゝき(細矢)」は本土でも沖縄でも今は死語になっています。昔の人がここに書いた通りの発音をしたのではなく「あがる、みかじちや、あがるあかぶしや」と発音したのを、文字で書き取る時に直したものだと思われます。
 最後のききおびは「ききよび」(チチュビ)と発音したものです。

一三ノ三五、(しよりゑとのふし【注1】)
一、まはへ、すつなり【注2】ぎや
  まはい、さらめけば                       
  たう、なばん【注4】
  かまへ【注5】つで、みおやせ【注6】
又 おゑちへ、すつなりぎや
  おゑちへ、さらめけば…… 
(口語訳)一三ノ三五、(しよりゑとのふし)
一、真南風(まはえ)、吹くよ
  さらさらと、鈴鳴(すづなり)【注3】は
  唐、南蛮の
  貢(みつぎ)つみ来て、奉れ、
又 追手が、吹くよ
  さらさらと、(鈴鳴以下は同じ)
【注】
 一、首里歌ということ。
 二、「こうちすづなり」というのが正しい名で、「こうち」とも「すづな
   り」ともいいます。「ぎや」は「が」、前のオモロのぎやも同じ。
 三、「たう(唐)」は明、「なばん(南蛮)」は今の東南アジア諸国のこ
   と。
 四、「かまへ」は貢物、このうたでは輸出品のこと。
 五、「み」は敬語、「おやせ」は捧げよ、王に奉れということ。
 六、船の名前。
 南方への貿易船は、秋の北風に送られて下り、春の南風にのって帰って来ます。初夏の季節風がさらさらと木の葉をざわめかすと、ふと南方へ行っている舟のことを思い出す。そんな歌でしょう。
 舟が那覇港についたことを「待ちに待ちたる、こうちこそ、袖たれて渡たる」とうたっています。帆に一ぱい風をはらんでタカかハヤブサが空から舞い降りる姿にたとえたのです。
 オモロは文学、音楽、舞踊の3つの要素がひとつになっています。ふと感じたこと、又は思いついたことを美しいことばで言い表し(文学的表現)、それと同時に節(メロディ)をつけて歌い(音楽的表現)、歌のリズムにあわせて舞い踊りました(舞踊的表現)。古代の民謡はだいたいこのように構成されています。
 おもろの中には舞踊のないのもあります。また、今まであった節にあわせてうたうと「替え歌」も多くあります。むしろ替え歌が多くあります。
 おもろの文学的表現だけに注目して、すべてを詩人の作品と考えたり、神祭りにうたうものがあるからといって、すべてを神歌と考えたりするのは誤りです。なぜなら、オモロは「うむる」と発音したもので、もともとは「思い」を意味すると思われるからです。
 オモロの節、即ちうたい方は120ほどあります。初めは手拍子にあわせてうたったものですが、鼓が輸入されると、それにあわせる歌が多くなります。次に三味線が入ってくると、うたい方も形式もすべてこれにあわせるようになり、その中で、ノロがお祭りにうたう神歌だけがわずかに元の形での残りました。「くえな」(クェーナ。ノロが歌う祈りの歌)、「あやご」(八重山諸島の歌謡)なども、おもろの中から出て独自に発達したものです。
 おもろを作り、うたったのは部落時代、按司時代、三山時代、王国時代のはじめ(1610年頃)の数百年に及ぶので、それぞれの時代の政治、社会、文化を反映しています。それゆえにおもろは、沖縄と日本の古代、中世のことば、民俗、歴史を研究する上から、その価値ははかり知ることができません。おもろは、祖先が私たちに残してくださった、沖縄の本当の宝物なのです。

【問題】
一、皆さんが住んでいる地方の按司について調べてみましょう。
二、皆さんが住んでいる地方の城跡について調べてみましょう。実際に訪ね
  て、土器や磁器の破片などを探して見ましょう。
三、神女のやるお祭りについて調べてみましょう。
四、「おもろさうし」について詳しく調べてみましょう。

【原文】
二、文化とオモロ
 オモロはさかんにうたわれたらしくオモロ草紙にのっているものの多くはこの時代のものです。
 われわれの祖先がのこして下さった大切なものゝ一つとして、オモロのことを知っておく必要がありましょう。
 オモロは十一世紀ごろから十七世紀のはじめまで大島・沖繩でうたわれた歌謡です。先島をのぞいた沖繩群島・大島群島の村々島々の歌を平仮名で書き出させ一五三一年から一六二三年まで三回にわたり首里政府でまとめたのが「おもろさうし」廿二巻で歌の数は一一四四首あります。この中には、首里で学問のある人が作ったもの(お祭り用の神歌)もあるが、大部分は文字を知らぬ田舎の人々が即興的にうたい出した民謡です。民謡ですから各地のことば、民俗・信仰・生産・労働・交通・貿易・経済、人々の思想感情、あらゆる人生のいとなみがすなおにうたわれています。
 例をあげてみましょう。右は口語訳です。対応する難しい言葉には下線を施しました。

十巻ノ二三、(あがる三日月がふし)
   一、ゑ、け、あがる、三日月や    一、あれ! あがる三日月は
     ゑ、け、かみぎや、かなまゆみ    あれ! 神のかな真弓
     ゑ、け、あがる、あかぼしや     あれ! あがる赤星は
     ゑ、け、かみぎや、かなまゝき    あれ! 神のかな細矢
                       (まゝき)
     ゑ、け、あがる、ぼれぼしや     あれ! あがる群れ星は
     ゑ、け、かみが、さしくせ      あれ! 神のさし櫛
     ゑ、け、あがる、のちぐもハ     あれ! あがる横雲は
     ゑ、け、かみが、まなききおび    あれ! 神の愛み帯
 
 何という清らかな敬虔なうたでしょう、(ママ)ゑけは感嘆詞ですから二・四・六・八行には意味の上からは不必要ですが、「ゑ、け」をはやしとしてうたったのをそのまま書いたのです。これは舟歌です。舟をこぎながら、ふと見上げるたそがれの大空にあがった三日月を見て「あれ! 三日月が」とおどろき、次々と宵の明星、星群、紫のよこぐもをうたったものです。最後のききおびは「ききよび(チチュビ)」と発音しました。

一三ノ三五、(しよりゑとのふし【一】)
 一、まはへ、すつなり【二】ぎや  一 真南風(まはへ)(ママ)、吹
   まはい、さらめけば        くよ
                    さらさらと、鈴鳴(すづなり)                     
                    (ママ)(舟の名)は、
  たう、なばん【三】          唐、南蛮の、
  かまへ【四】つで、みおやせ【五】  貢(みつぎ)つみ来て、奉れ、
又 おゑちへ、すつなりぎや     又 追手が、吹くよ
  おゑちへ、さらめけば        さらさらと、(鈴鳴以下は、右                          
                    におなじ)
○南方への貿易船は秋の北風に送られて下り春の南風にのって帰って来ま 
 す。初夏の季節風がさらさらと木の葉をざわめかすと、ふと南方へ行っている舟のことを思い出し作った歌でしょう。
 一、首里歌ということ。
 二、「こうちすづなり」というのが正しい名で、「こうち」とも「すづな 
   り」ともいいます。「ぎや」は「が」、前のオモロのぎやもおなじ。
 三、「たう」は中国、「なばん」は今の南方諸国のこと。
 四、「かまへ」は貢物のことですがこゝでは品物、貿易品のこと。
 五、「み」は敬語、「おやせ」は捧げよ、王に奉れということ。
一三ノ五には此の舟が那覇港についたことを「待ちに待ちたる、こうちこそ、袖たれて渡たる」とうたってあります。帆に一ぱい風をはらんで鷹か「はやぶさ」が空からまい下るすがたにたとへた(ママ)のです。
 前のオモロにある「まゝき」は日本でも沖繩でも今は死語になっています。
 昔の人がこゝに書いた通りの発音をしたのではなく「あがる、みかじちや、あがるあかぶしや」と発音したのを、文字でかきとる時になおしたものでしょう。
 右のような歌は文学と音楽・舞踊の三つの要素が一つになっています。ふと感じたこと、又は思い(原文は傍点で強調)ついたことを美しいことばで言いあらわし(文学的表現)、それと同時にふしをつけて歌い(音楽的表現)、歌のリズムにあわせて舞いおどった(舞踊的表現)、古代民謡はおおかたこのようになっています。もちろんおもろの中には舞踊のないのもあります。又今まであった「ふし」にあわせてうたうというような替へ歌(ママ)も多い、むしろそれが多いが、これを文学的表現だけに目をつけて、すべてを詩人の作品と考えたり、神祭りにうたうものがあるからといって、神歌と考えたりするのはせまい考え方です。
 オモロは「うむる」と発音したもので、思いということでしょう。
オモロのうたい方即ちふし(節)は百二十ばかりあります。初めは手拍子にあわせてうたったものですが、鼓が輸入せられるとこれにあわす歌が多くなります。今度は三味線が入ってくると、うたい方も歌の形もすべてこれにかわり、その中で、のろがお祭りにうたっている神歌だけがわずかにのこります。「くえな」とか、「あやご」などもおもろの中から出て独自のはったつをしたものなのです。
 おもろをつくりうたったのは部落時代、按司時代、王国時代のはじめ(一六一〇年頃)の三時代にわたるが、すべてその時代の政治・社会・文化を反映しています。それで、沖繩と日本の古代・中世のことば・民俗・歴史を研究する上から、その価値ははかり知ることのできないくらい大きなもので、われわれの祖先がのこして下さった輝やかしいたからといわなければなりません。
 ※資料画像のキャプション
   おもろ草紙はすべて平仮名で、ごくまれに漢字もまじっています。う
  たう時のはやしもかいてあります。

【問題】
一、按司の話をきいたことがありますか。あればそれを文章にかいて出しなさい。
二、城あとなどで磁器の破片をひろったことがありますか。
三、神女のやるお祭りに行ったことがありますか。
四、二つのおもろはどれが面白いですか、どこが面白いですか。

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