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「LAの邦字紙の現実」の巻

 最初にお断りしておくが、これは2005年段階のレポートなので、現時点では事情が変わっているかもしれないので、その点はご理解いただきたい。

■ロサンゼルスの日本語活字メディア
 ロサンゼルスには日本語の活字メディアが氾濫している。主流は、生活情報中心で、広告満載の無料配布の雑誌である。『ブリッジ』や『ライトハウス』は、「これが無料なのか」しっかりとした見た目で、本当に無料かなと疑ってしまう出来栄えである。無料と言えば、日系の出版社が発行する複数の「電話帳」は、移民法の解説や運転免許試験の問題などまで掲載し、当地での生活の基礎を、日本語でしっかりサポートしてくれる。書店に並ぶ日本の大手旅行会社が編集した、結構いい加減なアメリカ生活ガイドブックより、余程中身が充実している。
 勿論、これら無料のメディアを支えているのは、日系企業の潤沢な広告費だ。

■老舗邦字紙の現実
 一方、カリフォルニアで邦字日刊紙といえば、ロサンゼルスの『羅府新報』(以下『羅府』)とサンフランシスコの『北米毎日』(以下、『北毎』)である。『羅府』は、1903年創刊の老舗で、名前くらいは聞かれたことがあるかも知れない。日露戦争、日本人への人種差別、世界大恐慌、日米開戦、そして強制退去に伴う休刊……日米の狭間で、多くの記者が、日系人のために心血を注いで紙面を作ってきた歴史は、語り継がれるべきである。
 しかし今、邦字紙は存亡の危機に瀕している。『北毎』も『羅府』も、資本関係はないが、『毎日新聞』から配信を受けて紙面を作っている。オリジナリティは殆どない。『羅府』は『毎日』の買収話を断り、無料の記事配信と引き換えに、『毎日』の広告を掲載することで話がついたらしい。現在のオーナーは日本語を解さず、会社を守ることだけに興味があり、邦字紙としての使命や、新たな読者開拓などには、全く関心がないということだ。
 予想がつくところだが、『北毎』も『羅府』も、何れも経営は火の車のようである。『羅府』は1部40セント(2005年当時。以下同じ)。例えば "The Los Angeles Times” は平日版五50セント(日曜版1ドル50セント)。電話帳みたいな厚さである。通常、新聞社の収入の多くは広告が占める。しかし『羅府』の場合、何とかこの値段でやっていけるのは、日系人のお年寄りが買い続けてくれているからなのだ。
 若い日系人は英字新聞読めない。もしも、日本語を読みたければネットだ。活字を手にしたい駐在員は『朝日』や『日経』の衛星版を読む。現地邦字紙の出番はない。だから『羅府』は、主力読者のお年寄りに合わせた紙面作りをしている。同紙は日英別々の言語と記事で紙面を作るが、その中心は英語版だ。そこに、コミュニティの細かい記事を回覧板のように書くことで、老舗の存在理由が保たれている。ちょうど、沖縄の左翼系新聞と同じだ。

■日本語編集部がいらない邦字新聞
 『羅府』の日本語紙面作りはお手軽である。5年前のリストラで、編集部は名ばかりになった。配信だけで記事を作るから、取材記者はいらないのだ。ここでは編集部=整理部である。記事の内容も推して知るべし。紙面の隙間を埋めるのは、田原護立毎日新聞記者(元NY特派員。UCLAのジャーナリズム専攻出身だそうだが、記事を見た限りでは、日本語がなっていない)らが書くコラム、レギュラー寄稿者用の「投稿」、そして一般投稿者用の「みんなの広場」などである。
 現在編集部にプロの編集者はいないようだ。その弊害が、今回、露骨な反日投稿を掲載するという、大失態を招いた。
 2005年6月7日付投稿欄に掲載された、「戦争と庶民」と題する文章は、どう読んでも中共政府のプロパガンダであった。執筆者はレギュラー投稿者の入江健二医師。この御仁、一応日系社会では有名人だが、以前お伝えしたLAでの反日デモを煽った、某支那人団体と繋がりがあり、当地で行われた、出演者が支那人に土下座して謝るというパフォーマンスが盛り込まれた、猿芝居のチケットを売りさばいていた。要するに確信犯である。 
 この投稿の内容は、日本は支那人へ個人賠償をしろ、日本の犯罪はナチスと同じ、靖国神社はヒトラーの教会、対中ODAは貿易目当てと、書きたい放題である。早速反論を書いたがボツにされた。その代わりに、前述の田原氏が、入江氏の議論を補強する論旨でコラムを執筆して掲載した(後日、別の人が書いた緩やかな反論は載ったが、私はこれをアリバイ工作と見ている)。これでは100年以上も日系人の誇りと人権を守ってきた『羅府』の歴史が泣くだろう。

■『羅府新報』生き残りの鍵
 豊田沖人武蔵工業大学教授は「『羅府新報』と日系人」で、『羅府』の生き残りの為には、「日系人に地元の視点から日本的なものを伝えていくことでユニークな紙面を作り、なおかつ日系だけでなくアジア系との連帯を図っていくことが必要になって来るのではなかろうか」(環境情報学部情報メディアセンタージャーナル第2号、2001年)などと呑気に書いているが、『羅府』とLA日系社会の現状を知らない、机上の空論である。
 指摘の前半は、前述の通り英語の紙面でとりあえず実践されている。また、アジア系との連帯というのは、『羅府』の脳死を意味するだろう。『羅府』よりはるかに発行部数が多い支那語、韓国語の日刊紙があるのに、他のアジア系民族が母国語で印刷されていない『羅府』を買うとでも思うのだろうか。『羅府』の生き残りは、偏に、日本人と日系人の利害を代弁する、邦字メディアとしての本来の役割を思い出すことにあることは明白だ。

『歴史と教育』2005年9月号掲載の「羅府スケッチ」に加筆修正した。

【カバー写真】2005年6月7日。試合前の、ドジャースのダッグアウト。なつかしいシーザー・イストゥリス選手(背番号3)がこちらを向いてくれた瞬間だ。「日系人も在留邦人もスポーツ好きは多いから、せめてスポーツ欄だけでも、『羅府新報』に独自性があればと思う」とこの時書いたのだが、今はどうなっているだろうか。(撮影筆者)

【追記】
 原文に手を加えている時(令和3年1月18日)に、『毎日新聞』が1億円に大幅減資し、「中小企業」になるというニュースが飛び込んできた。まぁ、『朝日新聞』同様、かなり出鱈目な記事を垂れ流してきたから仕方がないと思うが、数年前にあることで知り合ったTBSの記者は、自分は毎日から引き抜かれたと言っていたが、彼の口からも、「実は『毎日新聞』はかなりヤバイ」という話は聞いていた。さて、記事配信を受けている北米の邦字紙は生き残れるのだろうか。

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