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「陪審員制度の罪」の巻

■自由な国の不自由な制度
 自営業の知人のところに、陪審員に選ばれた旨の通知があった。有権者となって以来、これで4回目だという。まだ40代前半。結構多いな、と感じた。これ迄、仕事上の理由をつけて、実際に陪審員になることを拒否してきたらしいのだが、今回はそうはいかなかった。自営業で従業員は自分だけ、どうしても行かなければならない仕事があると申告したのだが、「その理由は通らないので、某月某日に某裁判所に来るように。来なかった場合には、1500ドルの罰金を課す」という、強引な召喚状が改めて届いた。連邦法では強制を禁じている、という話を聞いた事があるが、いずれにしても、近年は言い訳がなかなか通用しないらしい。
 陪審員になったとしても、何の得にもならない。自営業の場合、仕事を休んでも、手当は雀の涙。会社勤めの場合、勤務先が日当を払うハズだが、それが保障されていないことを理由に拒否することはできない。幼い子供がいる主婦などは最悪である。デイ・ケア(託児所)に預ける費用なども自腹である。ロサンゼルスの場合、もらえるのは公共交通のパスだけ、全く割に合わない。

■陪審制度は時代遅れ
 有名人の裁判で陪審員に選ばれたので、裁判が終わってから手記でも書いて一儲けしよう、というような、「野心」があれば話は別だが、普通は、余程暇であるか、そういうことが好きでないと、馬鹿馬鹿しくて陪審員などできない、というのが一般市民の本音である。しかも、意を決して裁判所に赴いても、思想傾向に偏りがある、信仰心が篤すぎるなどと決め付けられ、裁判官や弁護人から忌避されることもあるという。
 法律をよく知っている人も陪審員にはなれない。陪審の評決は、法律の素人が判断しなければならないものである、という原則があるからだろう。しかし、情報化社会のこの世の中、ましてや訴訟社会のアメリカ。真っ白な素人などいるハズがない。
 要するにこの制度は、情報化社会以前の、知識人とそうでない人の差が大きく、裁判が少なく、男性のみに選挙権があった時代の名残りであり、今日の社会状況を考慮していない、アナクロニズムなのだ。

■陪審員逃れ指南書
 運悪く陪審員に選ばれてしまったらどうするか。他州の大学の寮に入っている子供が陪審員に選ばれた。期日には行けないということを当局に告げたが、それでも来いという連絡が来た、という話がある。お役所仕事は万国共通らしい。
 様々な理由を述べてもダメだった場合、初日だけは裁判所に行かねばならない。時間になると、陪審員に対する説明があり、その際に係官に、次のようなことを申し出ればよい。
 「私は神の啓示に従って判断する」
 「私は犯罪被害にあった経験があり、悪を憎んでいる」
 「私は疑わしきは罰するつもりだ」
 「私は泌尿器系の病気があり、30分に1回はトイレに行く」
 「××人はみんな犯罪者だ」
などなどである。
 ネットを検索すると、怒りに満ちた経験談に基づく、具体的な「徴兵逃れ」ならぬ「陪審員逃れ」指南が山のようにある。
 やんちゃざかりの子供がいるし、ベビーシッターを雇う余裕がないから行けない、と訴えたのに却下された母親は、半ばやけくそで、子供を裁判所に連れて行き、好きなように走り回らせて、子供と一緒にお役御免にしてもらったと、秘策を披露している。

■制度の根幹を揺るがしたあの事件
 そもそも、陪審制度は本当に必要なのかという根本的な議論も勿論ある。
 日本でも大きく報道されたO.J.シンプソン事件が、その大きなきっかけとなっているのは言うまでもない。血のついた遺留品、警察とのカーチェイス、そして逮捕。それでもOJは無罪だと、陪審員は評決してしまった。一方、民事では、OJは妻を殺したと認定され、損害賠償を命じられた。
 そもそも、連邦最高裁での判決は多数決なのに(だから、誰が最高裁の判事になるかが、アメリカでは大きなニュースになるのだ)、陪審の評決は全員一致でなければならない、ということが矛盾している。多数決なら有罪評決が下された可能性は高い。しかし弁護人の巧みな誘導(それ以外には考えられない)で、陪審員の意見は「無罪」に一致した。
 9.11同時多発テロの共謀犯、ザカリア・ムサウィのケースは、ひとりの陪審員が死刑を頑なに拒否した為、評決は一致せず、死刑にはならなかった。
 しかもこの制度、驚くべきことに、第1審で無罪評決が出たら、検察側は控訴できないのだ! 金持ちは弁護士にしこたま金を払い、陪審員を誘導させれば、正義なんかより、早く家に帰りたい陪審員は、無罪の評決に一致するだろう。そうすればこっちのもんだ。しかし、これはどう考えても司法制度の手落ちであり、裁判の役目をはたしていない。勿論弁護士が一番悪い。しかし、陪審員の判断だけで簡単に黒を白にひっくりかえせる制度は、どう考えてもおかしい。

■日本における「陪審制度」の復活
 大正12年4月18日に制定された陪審法(法律第50号)の趣旨は、国民の司法への参加と司法の民主化、いうことであった。これは大日本帝国憲法下で、日本に健全な民主主義が根付こうとしていた証拠でもある。そして幸か不幸か、昭和18年に制度そのものが中断していたが、「裁判員制度」として復活しているのは、周知の通りである。もっとも日本の場合、陪審ではなく裁判官を交えるので参審制度になるが、矛盾は抱えたままである。
 相変わらず日本は、アメリカによる失敗の轍を辿るのが好きな国である。

『歴史と教育』2006年5月号掲載の「羅府スケッチ」に加筆修正した。

【カバー写真】日本人が多く住むTorranceのシビックセンター。アメリカも地方都市では、市役所(City Hall)を中心に官庁街が形成され、図書館や裁判所などもその周辺にある。(撮影筆者)

【追記】
 O.J.の事件を思い出しながら記事を校正した。2020年の大統領選挙の不正や、トランプ大統領退任後の弾劾という茶番劇とオーバーラップする。正義よりも重要なものがアメリカにはあるようだ。日本はあんな国になってほしくない。支持しないのは自由だ。しかし不正は不正としなければ、民主主義は成り立たぬ。

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