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「勇気を出して長距離バス」の巻

 冒頭の写真は、カリフォルニア州フレズノにあるグレイハウンドのバスターミナルである(2007年11月27日撮影)。
 これは、サザンパシフィック鉄道フレズノ廃駅のすぐそばにあるのだが、カリフォルニアは、駅のそば=治安の悪い場所である。鉄道がほぼなくなった今、それに代わる長距離バスのターミナルも同じで、どの都市でも、余りよろしくない場所にあることが多い。深夜発着便は本当に要注意だ。
 アメリカでは、国内の長距離を移動するときに、普通の人は飛行機か、比較的近い距離(大阪-東京程度の距離)なら自分の車を使う。余裕(時間にも金にも)のある人は鉄道を使う。そして、貧乏人はバスを使う。グレイハウンドバスは、全米にネットワークを持つ貧乏旅行者の味方だ。しかし、それゆえに利用に警戒心が必要なのは言うまでもない。
 筆者は一度しか利用したことがないので、余り多くを語る資格はないのだが、かなりドキドキしたことは覚えている。長距離バスに乗ったことがある人なら、口をそろえてそう言う。だからそれは、筆者のの初めてのアメリカ旅行の時だったからではないのは確かだ。
 筆者が乗車したのは、ニューヨークからワシントンDCまで、日中のわずか数時間。乗客はほとんどが黒人かヒスパニック。東洋人すら筆者だけだった。
 こういうことを書くと、人種差別的だと言われるかも知れないが、事実だから仕方がない。大きな荷物は預けたが、カメラの入った鞄は、大事に抱きかかえたまま、居眠りをすることもできず、緊張した時間を過ごした。外の景色も一切覚えていない。ひたすら早く着かないかと思っていたのだった。
 勿論、白昼バスの中で何かが起こるとは考えにくいのだが、他人種に囲まれることに慣れていない当時なので尚更だった。やはりあのとき自分は「単一民族国家」の国民だったのだ、と思う。単一民族国家ニッポンは、「人権派」が主張するような歯の浮いた話ではなく「神話」でもない。精神的には立派な事実なのだ。
 都市の交通機関としての近距離、中距離バスも、やはり貧乏人の味方だ。それ故にやはりこちらも、利用には注意が必要だ。おまけに日本のバスのように親切ではない。欧米の交通機関とは、往年のザ・ぼんちの大ヒット曲のように、客をA地点からB地点まで運行上安全に運ぶということしか考えていない。日本の場合には、客をA地点からB地点に運行上安全に運ぶだけではなく、間違えないように連れて行くということも業務に含まれているし、客もそれに期待している。だから日本語と英語以外にも、むやみに、漢語、しかも簡体字と繁体字、ハングルの表記までしてしまう。しかし外国ではそんなことを期待するのは間違いだ。ジョージアに出張に行ったときに、現地の文字の横に英語表記があってほっとした記憶があるが、英語があれば十分だ。
 アメリカの場合、バス停の名前もクロスストリートの名前だけだから、地元民以外にはわかりにくい。時刻表もバス停にはないことが多い。最初にこれを書いたころ、サウス・ロサンゼルスのバス停で乱射事件があったが、そういった地域で、間違って降りてしまうことのないように、どこで降りるのか、どれくらいで着くのかをちゃんと調べてから乗ることをオススメする。それが面倒くさいなら、バスには乗らないことだ。マジで。
 それから、小銭もちゃんと容易しておくこと。車内で両替など絶対にしてくれない。その代わりに、ペニー(1セント硬貨)でも受け付けてくれる。さすがは貧乏人の味方、といったところだ。

拙ブログ『無闇にアメリカに来てはいけない』より「勇気を出して長距離バス」(2008年03月17日01:01付)に加筆修正した。

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