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教室から消えた沖縄の歴史・仲原善忠原著『琉球の歴史』(上・下)を読む~第12章 王朝後期の文化④

4.漆芸

【解説】
 ここも非常に興味深いところだが、知識不足なのでなかなか突っ込んで書き加えられない。仲原の記述は相変わらずで、思いつくままに書いている(語っている)感じなので、順番を整え、少しリサーチをしたうえで、筆者のような素人が読んでも少しは分かるようにした。
 沖縄県民が誇るべきは、醜悪な王国制度や支那に媚びた象徴の守礼門や、国民を顧みなかった国王が住んだ首里城などではなく、こういった伝統芸能とその技能なのだ。職業左翼は、こういったものは一切顧みない。本当に沖縄の文化が大切だ、アイデンティティが―というのなら、歴史を直視して、伝統文化をいかに後世に伝えていくかだろう。組踊りや民謡だけではない。沖縄漆芸の職人だって減少傾向にあるのだから。
 原本には線画の挿絵があるのだが、それでは「螺鈿」の美しさが全く伝わらないので、東京国立博物館所蔵の琉球漆器の写真を代わりに載せた。

【本文】
 沖縄の漆器は、1974年に沖縄県指定伝統工芸品、1986年に経済産業大臣指定伝統的工芸品となっています。特に、その朱塗と、青貝(アワビ、ヤコウガイなど)をはめた螺鈿(らでん)細工(沖縄ではこれを貝摺=かいずりと言いました)は優れたものです。
 木工品に漆を塗ることは15世紀ごろには沖縄に伝わっていましたが、円いお椀や皿を作る、ろくろの使用は少し遅れて1630年頃からです。漆器は木工と、塗り、絵の3つを組み合わせた複雑な技術ですが、日本には良質の漆があるので陶器よりも早く発達しました。沖縄でも仏壇、お膳、櫛、箱、三味線、棺などに漆を塗るようになりましたが、漆芸品は朝貢貿易で重要な位置を占めていました。
 1612年には貝摺奉行所が置かれ、1663年には朱塗金銀箔(ぱく)の製法を大陸から学び、尚敬王時代の1715年には比嘉乗昌が堆錦(ついきん)塗を考案しました。堆錦とは漆を高くもりあげて、これに絵もようを彫る琉球漆器独自の技法です。朱塗は沖縄の風土に適してたので、他に及ぶものがない色彩を出したと言われています。
 日用の食器の外に、屏風、文机、重箱、硯屏(けんびょう。硯 =すずり のそばに立てて、ちりやほこりなどが入るのを防ぐ小さな衝立状のもの)、酒台(杯を置いておく台)、卓、椅子など、様々なものを作っています。すばらしいものをつくっています。
 この頃から沖縄の漆芸は注目されるようになり、1777年には招きに応じて数人の職人が技術を教えるために薩摩に渡っています。
 多くのものは政府から給料をもらっている職人が作るもので、商品として流通したものではなありませんでしたが、明治になって貝摺奉行所が廃止されると、民間が商品としての漆器を製作しはじめ、那覇市若狭町を中心に日用品が作られてきました。

東京国立博物館所蔵黒漆雲竜螺鈿盆(18-19c)

東京国立博物館所蔵「黒漆雲竜螺鈿盆」(制作年不詳、18~19世紀)
 「螺鈿」は、青貝を薄く削って器に貼り、その上から漆を塗布する。漆が乾いたら木炭などで砥ぎ、最後に鹿の角の粉で艶出しをする。


【原文】
 漆器も沖繩のすぐれた工芸品の一つで、ことにその朱塗、今はおとろえたが青貝をはめた螺鈿(らでん)(沖繩では貝摺というた)はすぐれたものでした。
 漆器は木工と、塗り、それから絵の三つをくみあわしたふくざつなしごとですが、日本にはよい漆があるので陶器よりも早くはったつし、沖繩の中国貿易には日本のうるしぬりは大切なものとなっていました。
 ぶつだん・おぜん・くし・はこ・三味線・棺などに漆をぬることは早くから沖繩につたわっていますが、円いわん・皿をつくるろくろをつかうことは少しおくれます。しかし、一六三〇年ごろにはこれもつくりはじめています。
 青貝の小片をはめこむ貝摺の役人が一六一二年におかれています。
 そののち朱塗金銀箔(ぱく)の製法を中国にまなび(一六六三)、尚敬王時代になると比嘉乗昌は堆錦(ついきん)塗を考えだした(一七一五)。これから沖繩の漆器はだんだん注目せられ、一七七七年にはサツマのまねきによって数人の技術者をやり、漆器の技術をおしえるぐらいになっています。
 堆錦は漆を高くもりあげて、これに絵もようをほりさげる方法です。
 日用の食器の外にびょうぶ、机、重箱、けんびょう、酒台、卓、椅子等すばらしいものをつくっています。
 これらのものは政府から俸給をだす工人がつくり商品として売買されたものでないから、今は技術もほろんでしまったが、朱塗だけは沖繩の風土にてきし、今でもあの色彩はおよぶものがないといわれています。
 右の外、錫(すゞ)細工(酒びん、茶つぼ)紙、筆、墨、米、香、ローソク、花火、たゝみ、すだれ、表具、かさ、その他の技術もすゝみ、中には日本にゆしゅつされていたのもあります。
 生活具、工芸品とくらべて見ると、農具ははるかにおとり、都会ことに上流の人の生活をかざるものが進んでいます。

06貝摺硯屏

貝摺硯屏(かいずりけんびょう)(1747年)
 黒塗りの漆器で、絵及びふち、台のもようは青く光る夜光貝をみがいてはめこんだ美しいものです。貝摺りとも螺釧ともいう。机上のつい立てです。

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