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教室から消えた沖縄の歴史・仲原善忠原著『琉球の歴史』(上・下)を読む~第8章 王国時代前期の文化⑦

8.文学と芸能

【解説】
 もう少し具体的な記述が欲しいところだが、その点については今後に譲ることにしたい。
 尚真王時代の宮廷オモロ歌唱者・阿嘉犬子については、リサーチの結果、三味線歌謡の祖とされていることはわかったのだが、仲原はそれを「オモロに書かれていない」と否定している。仲原はオモロ研究をしていたので、そちらに分があると思うが、筆者には判断できないので、一応俗説の方も載せておいた。
 ここでも仲原の筆は、前後の時代に飛ぶので、できるだけこの時代のことだけにまとめた。

【本文】
 沖縄に独自の文字はなく、12世紀ごろに日本の本土から、ひらがなが入ってきました。本土ではすでにその400年前からかな文字が使われています。漢字は13世紀の英祖の時代に、仏教とともに入ってきました。こちらは本土より700年も遅れています。文字の記録ができなかったことで、歴史時代以前の沖縄には、わからないことが多いのです。
 文字はなくても、芸能文化は独自の発展を遂げていました。
 お祭りごとに、オモロやクエナを歌い、舞い踊ったことは、すでに書きました。
 オモロはこの時代のものが最も多く残っており、首里城の築城や尚真王をほめたたえたもの、あるいは南方への航海を歌ったものなど、様々なものがあります。尚真王の時代に阿嘉犬子(アカインコ)というオモロの名人がおり、鼓のリズムにあわせて歌うオモロは、神の声のようであったと伝えられています。阿嘉犬子は伝説の「声楽家」ですが、詩人であるとか、三味線奏者であるとかいう記事はオモロには見えません。ただ、現代の琉球古典音楽の世界では、三味線歌謡を始めた人として神格化されているようです。
 しかし、実際に三味線が入ってきたのは、もう少し後の時代のようです。

 以上、数回にわたって、この時代の文化について、少し詳しく書いてきましたが、簡単にまとめておきましょう。
 この時代、首里、那覇という都会が誕生しました。日本本土、明、東南アジアからの文物が流入し、都市に住む貴族を中心に栄えました。仏教が盛んにおこなわれたこともあり、土木や建築、特に石造の建築物や彫刻が発達しました。

【問題】
1、この時代の文化を、ジャンル別に表にまとめてみましょう。
2、戦災をまぬかれた、この時代の石造建築を調べてみましょう。学問・道3、文字の伝来が遅かったことのデメリットは何でしょうか。

【原文】
 歌舞音楽、お祭りごとにオモロ・クエナをうたい舞いおどったことは、前にくわしく話しました。
 オモロはこの時代のが一ばん多くのこっており、首里の城立てや尚真王をほめたたえたもの、或は南方への航海をうたったものとかいろいろのものがあります。尚真王の時代にアカインコというオモロの名人がいて、彼がつゞみにあわせてうたうオモロは神のみこえのようであったといわれます。
 彼れはすばらしい声楽家であって、詩人とか三味線をひいたということはオモロには見えません。
 それでは琉球音楽の中心楽器たる三味線はいつどこから入って来たかという問題になりますがこれはあとで話します(第十三章)。
 以上のことをまとめて見ると、
 「この時代には首里・那覇という都会ができ、日本・中国・南方の文化が流れこみ、土木・建築ことに石造の建築物・彫刻がすばらしく発達した。精神文化の方では仏教がもっともさかんで、土木・建築・彫刻も仏教とかんけいして発達した、文化は貴族的都会的なものであった。」ということになります。
【問題】
一、沖繩文化の特長とみられる織物・陶器・漆器・芸能はどのていどですか。
 二、学問・道徳は行きわたりましたか。
 三、どうして石造文化がはったつしましたか。

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