見出し画像

「人種差別にさらされていたダニエル・イノウエの『FBIファイル』」の巻

 筆者は国防総省を退官した後、セミリタイアのつもりでハワイ島に移住した。2013年のことだ。その頃現地マスコミに大きく報じられた、ハワイ出身の英雄・ダニエル・イノウエ(Daniel K. Inouye,1924年9月7日生~2012年12月17日没)についての興味深い記事をご紹介しよう。

■連邦議会とのパイプを失った日本
 ダニエル・イノウエは、第2次大戦の英雄で、生前彼の言動は所属する民主党内でも重きを置かれていた。亡くなる直前は最長老の議員で、上院仮議長(上院議長は副大統領)だった。つまりイノウエは、大統領に万一のことがあった場合、副大統領、下院議長に次いで、第3番目にその職務を継承する地位にあったということだ。
 2012年12月にその大物親日派議員のイノウエが亡くなって、俄に日本政府は慌てたようだ。直後に共和党の重鎮であるジョン・マケイン上院議員を招いたのもその影響らしい。数年前に再婚(妻は、LAにある全米日系人博物館館長だった故アイリーン・ヒラノ。2020年没)するなど元気だったが、それでもイノウエは88歳だったのだ。そんなことを日本政府は忘れていたのだろうか。彼を通じて新たなパイプを構築することを怠っていたとすれば、余りにも能天気ではないか。アメリカではロビー活動をしなければ、自国に有利な流れなど作れない。反日派の犬になっているような議員は特アに招待され、大名旅行をしているのが常だ。そんな汚いことはできない? しかし、それが外交であり、ロビー活動なのだ。議員という人種は、金と、飲み食いと、マスゲームには弱いものだ。
 さて、『ホノルル・スター・アドバタイザー』などの当地マスコミが、イノウエのファイルの公開をFBIに請求していたのだが、それが実現した。9月17日付の同紙によれば、イノウエは様々な脅迫を受け、ありもしない疑惑の嫌疑をかけられていたという。以下、同紙の記事からまとめてみる。

■虚偽の疑惑、殺人予告
 1989年、ホノルルのFBI事務所に入った匿名の電話は、米国本土・ハワイ間航路の物流輸送を、ほぼ独占的に手がけるマットソン(筆者も引っ越しの際にお世話になった)とイノウエの癒着についてのリークであった。勿論、調査の結果これは事実無根であった。
 87年7月、イラン・コントラ事件の公聴会が行われていた頃、イノウエのヒロ(ハワイ島)事務所の留守番電話に匿名のメッセージが残された。
 「お前がオリバー・ノース海兵隊中佐(事件の中心人物。彼は保守派からはヒーローだと賞賛されていた)を傷つけるなら、我々はお前を殺す」。
 この事件について、ホノルルにあったイノウエ事務所の責任者ジェニファー・ゴトー・サバスは、「イノウエは過剰な身辺警護を断り、脅迫について公にしませんでした。何故なら、彼は(共和党の問題である)イラン・コントラ事件の公聴会が過大に政治問題化することを望んでおらず、そうすることで、連邦全体の緊張と不和が高まることを懸念していたからです」と証言している。実際、イノウエは中庸(moderate)であるとFBIのファイルにも記録されていたそうだ。
 多くの日本人が考えるように、アメリカの政治家を、保守=共和党、リベラル=民主党と単純に色分けはできない。余り過激な意見を表出することで選挙民から敬遠されることもある。保守的なリベラル、リベラルなコンサバ。それが殆どの米国民が求める政治家の姿であり、イノウエは、そういうタイプの政治家だった。
 密告記録の中には、63年にイノウエの事務所に呼ばれたという売春婦による「ご乱行」のレポートもあったそうだが、その売春婦が語ったイノウエの姿は、戦争で片腕を失っていた本人とは似ても似付かぬものだった。

■人種差別に基づく脅迫
 1973年8月、ある男が『バルティモア・モーニング・サン』(メリーランド州)の編集部に、電話をかけてきた。
 「俺たちは、あのジャップを殺す」。
 電話をとった編集助手は、誰のことかと聞いた。
 「イノウエだよ。俺は大戦中にこういう連中(日系人、つまり日本人)と戦ってきたんだ。俺は連中が嫌いなんだよ」。
 そして、イノウエを口汚く罵った後で、あの野郎は射殺されるべきだと主張したという。
 88年にはある上院議員にホノルルの消印がある1通のハガキが送られ、そこには「イノウエのような、汚らしいつり目(陳腐な風刺マンガに出てくる日本人のステレオタイプな外見)をした人間のクズは人種差別の元凶だ。このジャップのお陰で、俺たちは見放されたままだ」と書かれていたという。
 日系人として人種差別に基づく敵性国民の汚名を着せられたにも拘らず、自ら軍に志願して名誉の戦傷を負い、退役後は弁護士を経て、日系人初の上院議員にまで上り詰めたイノウエをしてこれである。現代のヒーロー・イチロー選手がMLBの球場で「差別を感じた」と語ったのも当然なのかもしれない。

■批判を甘んじて受けたイノウエ
 イノウエは生前、民主主義についてこう語ったことがある。
 「私は、どんな方法でも、批判を止めさせることを望まない。何故なら、批判は良いことを強化し、悪いことに注意を向けることで、我々の民主主義を善導し、健全化することができるからだ」。


 日本の政治家は、民主主義国家ですらない特アからの批判と中傷の区別がつかず、それに媚びるかたちで、我が国の民主主義を歪めてきた。
 イノウエのように、「批判」に右往左往することなく、党利党略を超えた国益、国民の幸福を考えることを、政治家には望みたいものである。
 改めて故ダニエル・イノウエ上院議員のご冥福を祈る。合掌。

『歴史と教育』2013年10月号掲載の「日本とアメリカの真ン中で~布哇大島(Big Island)マハロ日記」に加筆修正した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?