【読書感想文】食堂かたつむり
蛇足という挨拶
読者諸君、ご機嫌よう。今日はなかなかの残業であった。人気のないオフィスで、終わりそうにない作業に黙々と取りかかるのは骨が折れる。骨というか心が折れる。恐らく、今宵の私は、今朝の私より、十個ぐらい関節が増えただろう。
ふっ。軽口を挟む元気はある。これくらいではへこたれない。有り余るバイタリティに定評がある、期待の社会人、それが私だ。
本日、ご紹介する本は……。
今日の私のようにちょっと疲れた諸君にも、別に疲れてなんていないと強がっている諸君にも、そもそも働いていないというニートな諸君にも、全員にお勧めしたい作品がある。
小川糸先生の『食堂かたつむり』だ。実に良い小説であった。優しくて、美味しくて、食べる事の尊さが分かって、今日の晩ご飯は凝った料理を一品作ってしまおうかと、思わず丁寧に暮らしたくなる。そんな愛情のこもった小説だった。
基本設定
主人公は倫子さん。どうやらインド人の彼氏に逃げられたそうである。ある日、部屋に帰るともぬけの殻であった。少しずつ貯めていたお金も、彼に料理を振る舞うべく揃えられた調理器具も、一個一個丹念に拭いて漬け込んだ思い出の梅干しも、全てが消えていたのだ。
唯一残ったのは、祖母から受け継いだぬか床のみ。ぬか床の壺を抱え、倫子さんは即座に故郷へ帰った。
久々の故郷で、彼女は思いついた。食堂を開いてみてはどうかと。一日一組限定で、こだわりのコースを提供するのはどうかと。山に囲まれて、近くに海もある。食材には全く困らなかった。
自らの料理の腕を信じ、彼女は本当にやりたかったことを始める。今日の失恋は、まだ引きずったままだが。食堂の名はかたつむり。いよいよ開店である。
料理をすること。
倫子は祖母から料理を教わった。祖母は、味噌も醤油も切り干し大根も、全て自分の手で作っていたのだ。祖母は数年前に息を引き取ってしまったが、料理への志は孫娘へ受け継がれている。
そして、倫子にはぬか床があった。明治生まれの祖母が、その母から譲り受けたもの。とても大切な祖母の形見である。
倫子と祖母は交替でぬか床を揉み続けてきた。祖母の細い腕や、か弱い後ろ姿を、ぬか床の壺を見る度に思い出す。
祖母が亡き後も、丹念にぬか床を育て続けた。みかんの皮や鰹節を加えて、毎日しっかりと手でかき混ぜる。人それぞれに持っている乳酸菌が違い、特に子供を産んだ後の女性の手のひらから出る乳酸菌が一番いいと、祖母が言っていたことも懐かしみつつ。
倫子の食材を慈しむ気持ちは、祖母の薫陶を受けて醸成されたものだろう。一品一品、手間暇をかけて作る。そうして徐々に可視化された真心や愛の完成品が、料理。ならば、料理人には尚のこと愛情が必要である。倫子は、祖母から学んだのだ。
食堂かたつむりでは、一日に一組へしか料理が提供されない。それは、彼女が予約をしてくれた一組に向けて、世界で一つだけのコースを提供するため。恩返しのカレー、恋愛成就のジュテームスープ、家族で最後のお子様ランチ。来てくれたそれぞれの気持ちと目的のために、今日も彼女は料理を作る。
食べるということ。
何もかも失い、ぬか床だけを手にして故郷へ帰った夜。倫子はバスの中で梅干しおにぎりを食べた。その梅干しは、祖母と漬けた梅干しの最後の一個だった。
食堂かたつむりのオープンを手伝ってくれた熊さんに、倫子は感謝のザクロカレーを振る舞った。熊さんはとても喜んでくれた。
相手の男性を亡くして気を病んでいた、とあるお妾さん。長い年月、喪服姿のまま過ごし、一切元気のなかった彼女に、倫子は刺激的なコース料理を提供した。
料理で喜怒哀楽を表現したような、甘いものはきちんと甘く、辛いものはきちんと辛い。参鶏湯スープや柚子のシャーベットを用いた、メリハリの利いた献立であった。
余命間近のおかんに、豚料理を贈った。家族のように大切に飼育してきた豚を、おかんの希望で調理することになった。豚一頭の体を全く無駄にすることなく使う。
倫子は、協力してもらいながらも自らの手で豚を屠殺した。大事に飼育してきた豚を。
豚は料理となり、おかんは亡くなったが、おかんのために一世一代の豚料理を作った苦労、その料理を皆がそれを食す光景、食べ終えた後の真っ白なお皿、きっとそれらは倫子の胸にいつまでも大切に残る。
彼女は、料理に救われ、料理で人を幸せにしてきた。ひたすらに料理と提供する相手を考えることで。
彼氏に逃げられ、彼女は一時的に全て失った。しかし、料理と向き合った彼女の人生は総じて幸せだった。
最後に
食べる事と命を繋ぐのは料理なのだ。
丹精込めて作った料理が、我々の命を繋いでいる。言い換えれば、数多の命を引き継いだ料理によって、我々は生かされている。そのことを努々忘れてはならないのである。
すまない。説教くさくなってしまった。
しかし、意識して食べないと、料理がもったいない。自らが死ぬまであと何回の食事があるか分からないのだ。
お皿に出された命を感じ取る人間は、その一品をより味わえる人間であろう。
ではまた。
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