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【エッセイ】語るには値しない

 読者諸君、ご機嫌よう。猛暑の候、咲き乱れる日傘と一向に途絶えぬ蝉の声に暑さはますます増幅するが、それでもご健勝である事を願う。

 私に関しては、暑さに負けぬ強靱な体を持つため、問題はない。熱中症の心配などおくびにも出さず日に当たる。四畳半の自室も、窓を開け、扇風機を浴び続ければ、冷房は要らない。ところで最近、どうしてか寝苦しかったために一度冷房を使ってみたが、ぐっすり睡眠が出来るだけであった。やはり文明の利器は要らぬ。人類はもっと原始へ戻るべきだろう。日進月歩の人間世界に反発しつつ、毎朝日焼け止めを体に塗る私だ。

 さて、卒爾ながら二人の友人の話をしたい。会社の同期である。心の同朋たる男が一人と、我が宿敵たる女性が一人だ。彼らには積もる話が多い。多すぎて堆く積み上がっている。読者諸君には、しばしのお付き合いを願おう。

 今回の話は、彼らとの離別になる。新卒で入社して一年経つが、私は夢を追い、新たな場所へ旅立つことにした。端的に言えば転職する。だが、このまま別れるのも味気ない。いつの日か思い出せる良き記憶を作成するため、我々は最後に江ノ島へ向かうことにした。

 ……話は急がない。閑話休題。まずは彼らの紹介からする。

 男の方は、通称メガネ君。彼は冷静沈着である。臥薪嘗胆を涼しい顔でこなし、静かに精進を続ける様はさながら賢者のよう。無駄口は一切叩かず、虎視眈々と自らの出るべき幕を座して待つのだ。全ての状況へ最適な語彙を添えるために…。そうして、すべからく核心へ突き刺さる賢人の言の葉。人類は彼の前に涙を流すしかない。
 メガネ君は粛々と語る。

「一葉落ちて天下の秋を知る。全ての前兆は僅かな変化にあり」

 彼の眼に我々と同じものは映っていない。冷めた世界が緩やかな速度で流れているのだ。
 ちなみにメガネ君は、眼鏡を掛けているという理由のみで付けた安直なあだ名である。彼を表わすにはあまりにも拙い。

 女性の方は、通称根暗さん。残忍な悪魔である。異性を掌で転がし、心の内で高笑いする玩弄が生業だ。彼女は良く笑うが、本当に笑った事は一度も無い。心は闇に覆われている。優しい笑みと相反する内面が、悪魔たる由縁なのだ。器量も愛嬌もあるだけに、騙されぬよう最新の注意を払わねばならない。根暗さんはふわっと囁く。

「みんなずっと引っかかっていてくれたら、幸せなのに」

 罠というのは気づいたら地獄だが、気づかなければ天国になり得る。騙される者は案外幸福なのだ。そうして根暗は、仮初の幸福に絆された男たちを、喜色満面で操る。
 悪魔との契約はハイリスクハイリターンが常。奴らは人の弱い心につけ込み、利潤を獲得するのだ。生業を全うする彼女は、やはり狡猾と非情の塊である。
 ちなみに、彼女は元の性格が暗いため、根暗さんというあだ名になった。こちらも彼女を説明するには、不足の多いあだ名である。

 ……私の自己紹介は要らぬ。つまらない人間である。

 では、彼らと私の話を始めよう。

決戦前夜

──終幕は胸が詰まる。言葉に出来ぬ物悲しさは、唯一、時間の経過でのみ溶けていく。将来の笑い話を作るのに、どうして我々は大きく心を揺らさねばならないのだろうか。

 感情の起伏は、時間が解決する。この自明の理を盾に取り、他人は偉そうに語るのだ。何かが終わる悲しみは時間が経てば楽になる、と。頭で分かっていても、心を突き刺しにくるその諭旨には、どれほど歳を重ねようとも慣れることがない。

 人生にあと何回の別れがあるか。途端に終わってしまう絶望や、次第に繋がりが薄くなる予感に、我々は際限なく苛まれる。去る者は日々に疎し。忘れられるもどかしさに、免疫はつかないまま。それでも別れに打ち克つのが人生ならば、我が精神が、この人間社会になんと適していないことだろう───。


 「今生の別れだ。我々は江ノ島へ行くぞ」

 とある日、二人を前に大々的な発表をする。最後の舞台は江ノ島にした。やはり、男ならば海と戦い、島へロマンを探しに行くべきだろう。気高い信念を掲げて我々は江ノ島へ挑戦する。

「どうして、江ノ島にしたのですかな」

「ふ、メガネ君。分かってないな。男のロマン、高尚な魂。島というのは、大千秋楽の舞台に相応しいではないか。我々は、海と島の自然に挑戦するのだ」

 メガネ君は首を傾げる。どうやら納得してない。しかし、メガネ君は無理に深掘りはしないのだ。さすがである。皆まで語るのは野暮だという趣きを理解している。すると、根暗が口を開いた。

「江ノ島で自然に挑戦するの……? どういうこと?」

 無粋な女だ。全てを話さない男の格好良さを、全くもって分かっていない。歳を重ねるにつれ、ハードボイルドに変化してきた我が思想に、付いて来ることが出来ていないようだ。

「海と島。その大自然に挑戦するのだ。分かるだろう。一体、何が疑問だ」

「江ノ島って普通に観光地じゃん」

 根暗とは鎬を削らなければならないようだ。男が大自然に挑戦と言ったら、それが全てだろう。随分とふざけたことを抜かしている。確かに一般的には観光地だが、我々が大自然と言ったら大自然なのだ。

「度し難いな、貴様は」

 根暗は怪訝な顔をする。

「え、だって江ノ島で何するの?」

「大自然に立ち向かうのだ!」

「具体的には?」

「え、いや……。カキ氷食べて、水族館行って、砂浜で花火とかしちゃおうかなって……」

「大自然に…挑戦……?」

「ごめんなさい」

 メガネ君は真面目な顔で頷く。

「大学1年生ぐらいのデートプランですな」

「……」

───かくして、江ノ島へ行くことになった。
 しかし、ただ江ノ島へ行くだけではない。見くびって貰っては困る。江ノ島の戦いまで一ヶ月、私は一計どころか三計ぐらい案じた。仰いで天に恥じぬ私という人間の偉大さを、思い知らせるために……。
 驚きと喜びのあまり開いた二人の口が塞がらず、その口へ海辺で拾ったヤドカリを投げ込んでやるイメージまで出来た。やはり私は稀代の戦略家であろう。

 作戦名は、’笑いと感動’である。羞恥心を煽るようなテーマに耳を傾ける気の無くなった読者諸君もいるかもしれないが、それは時期尚早である。作戦は中身が肝要。名前など飾りに過ぎない。青学の駅伝監督も、単純な作戦名を毎年世間に公表しているではないか。同じである。しからば、改めて堂々と叫ぶ。笑いと感動だ。

 笑いは簡単。根暗とメガネ君の笑顔を作るなど、研鑽を積んできた私であれば、間隙を縫って片手間で行おうとも完遂できる。ただし、根暗が本気で笑っているかは問わないが。

 問題は感動なのだ。彼らは物事へ純粋に感動する無垢な心が完全に失われている。誠に厄介である。メガネ君は先天的に無感動。根暗は基本、人の失態や無様な様子でしか感動しない。

 だが、苦難を乗り越えてこその私である。心のこもった素晴らしい贈り物と、愛が溢れる最上の手紙で、彼らの涙を誘うことにした。短絡的だと思うだろうか。決してそんなことは無い。細工は流々仕上げを御覧じろ。いざ江ノ島。

かき氷クライシス

───7月29日。決戦当日は快晴かつ猛暑。
 まず、我々は途中の駅で下車する。洒脱な店でかき氷を食べ、体温を下げることにしたのだ。店に到着したメガネ君はしみじみと語る。

「かき氷を食すなど何年ぶりだろうか。ましてお店でかき氷を食べるのは人生で始めてですな……」

 シンプルで垢抜けた内装。従来のお祭りかき氷とは一線を画すラインナップのメニュー表。メガネ君は呆気にとられていた。もはや荒く削った氷にシロップをかける時代は終わり、彼らは至高のスイーツへと進化している。

 メガネ君はほうじ茶ミルク、根暗はももミルク、私はメロンミルクを頼んだ。数分待つと、単にかき氷と呼ぶには華やかすぎる甘味が出てくる。ガラスの器に高く盛られた氷には、食欲を引き立てる明瞭な色使いが為されていた。メガネ君は依然として唖然としている。言うまでもないが、味も甘くて冷たくて申し分ない。

「ほうじ茶ミルクとは、メガネ君らしい選択だな」

「いやはや。唯一、落ち着きのある名前でしたな。この店のメニューは私には眩しすぎる。ミルクバルサミコという品名を見た時は、ひっくり返りそうでしたぞ」

「へへっ。可愛い」

 そう言って慣れた手つきで、ももミルクを食べる根暗は末恐ろしかった。自分にはももミルクが似合うと分かっている。彼女は食欲を捨て、語呂の良さとパーソナルカラーとの相性でかき氷を選んでいる。美味しそうに頬張ってはいるが、可愛い食べ物を食べている私は凄く可愛い、という考えしか頭に無く、味わうという気持ちがそっちのけの魂胆が透けて見えた。お決まりのすまし顔は、案の定悪魔である。

「お茶が染み渡りますな」

 かき氷と一緒に暖かいほうじ茶が出てきた。メガネ君は、両手で丁寧に茶を啜り、何の気なしにゆったりと店内を見渡している。かき氷はまだそれほど減っていない。根暗より彼の方が可愛かった。

 食べ終えると、二人はとても満足そうに話し始める。

「いやぁ。満足ですな」

「美味しかったね!」

「今日という日は素晴らしい日でした」

「うん、良い休日だった!」

「さて、明日から仕事頑張らないとですな…」

 私は訴える。

「まだ! 江ノ島に!! 行ってない!!!」

 現代かき氷の満足度は恐ろしい。

魚たちと根暗

 かき氷から一時間後、我々はようやく江ノ島に着く。

 辺りは途端に観光地の趣きになった。風と日差しが強い。海が近いことを匂いが教える。

「わぁ、観光地の感じする、、!」

 根暗がやたらワクワクしている。来る途中で買った花火を掲げてはしゃぎ出す。

「騒ぐな。小学生か貴様は。しかも、何だその馬鹿みたいな名前の花火は。『夜王ファイナル』だと? どんなセンスしてるんだ」

「すっごい花火が打ち上がりそうだね」

「まだ昼だぞ。気が早い」

「楽しみ!!  ね!メガネ君!」

「ふむ」

 ここまで楽しそうにされると、やはり根暗の可愛らしさは際立つ。この辺りの愛嬌はさすがである。あざとさと素直の共存が、異性を転がす秘訣なのだろう。

「さて、水族館へ行くぞ」

 騒がしい海を横目に、我々は暑さを避けて水族館へ向かった。

 館内は暗い。視線は自然と、優しく灯る水槽へ誘われていく。一番始めに出迎えた水槽では、浅瀬の岩礁に生息する魚たちが、人工的な波に打たれていた。彼らの忙しなく泳ぐ姿に、自然の厳しさを知る。

「可哀想」

 低く冷たい声が聞こえた。根暗が呟いたようだ。聞き間違えかと思った。

「今、可哀想と言ったか?」

「うん。可哀想じゃない? この子たち、よく見る魚ばっかりだから、流し見で通り過ぎられちゃうし、人間のエゴで強い波に揉まれてるし、取りあえず入り口に置かれた感もあって。負け組さんの水槽なのかな」

 暗い場所に来たからか、本来の根暗が出てきた。
 それにしても、水族館で人が生み出す台詞として不適切である。確かに、魚は望んで水族館にいる訳ではなく、展示される場所を選べる訳でもない。だが、必死に泳いでいる魚に可哀想とは何事だろうか。まして、負け組さん……。恐怖である。根暗は、完全に人間様として魚を上から見ている。

 足が震えてきたので移動することにした。

 次に見物したのは、川魚たちの遡上を観察できる水槽だった。ジャンプ水槽と楽しげな名が付いている。

「可哀想」

「か、可哀想……?」

「うん。だって、’水流や水温を感じ取った魚が、川を遡ったり下ったりする姿を楽しめる’って説明があるけど、それってつまり人間の管理下で動かされるってことでしょ。川を昇ったところでまた突き落とされるの繰り返しだよ。この子たちは何の為に生きてるのかな」

 根暗は間違いなく、水槽を魚の檻として見ている。彼女にとって水族館とは、魚たちの監獄なのだろう。魚が嫌いなのだろうか。本領を発揮し過ぎる根暗に、私は絶句する。近くでは外国人の子供がはしゃいでいた。

「ダッド! ルック! ビッグフィッシュ!!」

 可愛い。根暗にもあのような少女時代はあったのだろうか。何故こんなに捻じ曲がった成長をしてしまったのだ。不可解である。一人っ子で蝶よ花よと愛されてきたはずだが……。今言える事は、水族館の暗度は根暗の狂気を引き出すのに最適ということだ。

 その後、タカアシガニの水槽へ行くと、しばらく無言で観察を続けていたメガネ君が一言。

「蟹を見ると、お腹がすいてきますな」

「メガネ君! あっちの水槽のしらすも、ちっちゃくて美味しそうだよ」

「お、良いですな」

 ……我々に水族館は向いていない。さすがにペンギンの群れを見ているときは、根暗もメガネ君も和やかな会話をしていたが、総じて悲惨なものである。

思案巡らせ、ラストディナー

 憐憫かつ冷酷な水族館探訪を終え、我々はディナーへと向かった。作戦は遂に大詰めを迎える。

「結局、江ノ島の本島には行かないの?」

 根暗の疑問に私とメガネ君は答えた。

「行かぬ。今日は暑い」

「そうですな、暑き日は過度な運動を避けるが吉」

「それもそうか」

 へたれな三人である。

 軽口を挟んだ後に、海沿いのレストランに到着した。夕暮れの海。開放感のある内装と、地上3階から見る江ノ島の風景。舞台は整い始めた。メガネ君は感動の面持ちで呟く。

「まさしく水天一碧の風情ですぞ」

「ふふっ。つまり、エモいって事でしょ?」

「そうですな」

 料理は順番に出される。鰯のマリネ、マルゲリータ、夏野菜とステーキ。充分に堪能し、それぞれの腹も十分満たされた。時は来た。大詰めの開始である。私は贈り物と手紙を取り出す。丁寧な言葉で綴った手紙を、柔らかい口調ではっきりと読み上げた。

───以下、私が読んだ手紙である。

―――――――――――――――――――――

拝啓
 大暑の候、メガネ様と根暗様におかれましては、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。

 さて、今回の伝達事項におきまして、まずは一点、お詫びしたいことがございます。大変申し訳御座いませんが、間に合いませんでした。私の不手際により、全く間に合わなかった事、誠に忸怩たる思いです。重ねて謝罪いたします。

 先日、陶芸を体験するべく、友人と港区を訪れました。私という人間界の大器が去る前に、惜別の品となる器をメガネ様と根暗様へ贈答し、心の穴を埋めて貰おうと考えたためです。

 また、以前、メガネ様とは、諸子百家の一人、道教の祖である老子について語ったことがありますね。陶土をこねて、器物を作るが、その中空のところに、器物の利用がある。だから、有が役に立つのは、無が働きをするからだ、と。

 実際、器というのは器の中にできる空間に有用性があります。つまり、作為的なものに意味はなく、我々はただ自然に身を任せながら成長していくべきだ、と大きく笑い合ったあの日を、昨日のことのように覚えています。我々は無為自然なのです。

 さて、そんなことをつらつらと考えながら、陶器を作る折、陶芸家の先生にある事を伝えられました。

「完成は3ヶ月後の10月になります」

 耳を疑いました。今日、二人へ器を届けるべく、陶土をこねたはずが、渡せるのはとっくに次なる場所で働いている頃。間に合いません。思わず笑みが溢れました。私は思いました。何が無為自然だ、陶器二つぐらい急いで作れよと。

 作戦は変更せざるを得ませんでした。焦る気持ちを抑えつつ、私は一計を案じました。よりメッセージ性を込めた贈り物をしたい。そう思ったのです。陶芸体験の翌週、私は竹馬の友人と共に、江戸切り子の体験に向かいました。まず、根暗様への贈り物です。

 根暗様への贈り物は困ります。異性を弄ぶ事が生業であるために普段から男からの贈り物など腐るほど貰っているうえに、心の奥底で暗いものが蠢いている方へ、何かをプレゼントしたとしても、踏みつけられて無残に破壊されるのが関の山でしょう。そのため、今までは食べ物を中心に、使い切れるものをお送りしてきました。しかし、今日という日は根暗様を感動させたい。よって、敢えて形が残るものを用意しました。

 江戸切り子のグラスになります。側面と底のデザインを私が担当しました。側面はお魚、底は花火になっています。恥ずかしながら、今日の思い出がデザインです。いっそのこと、ドデカく私の名前を彫ってやろうかなとも悩みましたが、さすがに一生使って貰えなくなりそうなので止めました。

 さて、後ほどデザインをよく見て貰うと分かるのですが、少々模様が荒っぽいです。お魚の形は難しく、数回の失敗がありました。その時、江戸切り子の先生に言われたことを覚えています。

「先生! 完全にミスの魚ができたんですが、どうすれば良いですか」

「ちょっとこれは…そうですね……。同期の方に渡されるんですよね……。そうですよね……。んー、ごめんなさい……」と言われました。

 どうやら、先生でも対応できないミスをしました。しかし、それも味だと思って貰えたら幸いです。あと先生が若くて可愛かったので楽しかったです。

 たまにこれを見て、今日の日と私を思い出してください。よろしくお願いします。


 続きまして、メガネ様への贈り物です。江戸切り子の翌日に、莫逆の友人と、藍染めの体験へ行きました。

 我々はいつの日か語り合いましたね。

「青は藍より出でて藍より青し」

 故に、我が舎弟であるメガネ様は、いつか師である私を超えなければなりません。我々において、出藍の誉れとは必然であります。

 藍染めは、蓼藍という植物を発酵させ、粉砕した後にできる、「蒅(すくも)」という染料を、液体にし、その液体に漬けることで布を染めていきます。漬ける、絞る、漬ける、絞るを繰り返すことで、浅黄色→水色→青色→紺色→かち色と、最後は黒に近い青になるまで染まります。

 きっと我々の生涯もそうでしょう。同じような作業を繰り返すことで、徐々に己を知り、自らに深い色を付けていく。そうして次第に大人へなっていく。実際、藍染めは、色が深いほど価値が増すようです。
 仕事へ向き合う毎日の中で、是非、メガネ様には自らの色をつけていただきたい。そして、その志を、この手拭いを見る度に思い出してほしい。そんな思いでございます。大切に使ってください。

 以上が、今日のために用意したものになります。喜んで頂けたでしょうか。ちなみに陶器も渡したいので10月ぐらいにまた会ってください。今日のテーマが達成出来ていることを願うばかりです。

匆々頓首
伊藤


───二人は泣いていなかった。
 それどころか笑っていた。おかしい。一般の人間ならここで咽び泣いているはずだ。此奴らが、これほどまで心の無い人間だとは知らなかった。こうも煮ても焼いても食えない人間だとは。我が獅子奮迅の努力に花を持たせるといった事は考えないのか。

「いや……。涙の一つや二つ、流してみたらどうだ」

「えーん、悲しー」

 根暗は今日の思い出が冥土の土産になるかもしれない。美人薄命を体現してやるしかないようだ。

 肺肝を砕いた私の東奔西走は、思わぬ肩透かしを食らってしまった。しかし、メガネ君と根暗が喜んでいることは伝わる。

「涙すら要らない感情ですな」

 良いように言いくるめられた気もする。だが、これでちょうど良いとも思う。期待とは異なる成果が、正解になる事もある。

 これにて作戦は終了。感動はあまり生まれなかった。作戦、失敗……!

彼と彼女と花火と私

───我々はその後、砂浜で花火をした。

 根暗は手持ち花火をして叫ぶ。

「待って……! 危ない! ちょっと熱い! 火花当たりそう!」

 あれほどはしゃいでいたのに、根暗は花火が苦手だった。

「……」

 メガネ君、手持ち花火はそんなに無言でやるものではない。

 花火は強烈な彩りを脳裏に焼き付ける。千変万化の火花が瞬間瞬間で全く違う姿を見せる。刹那の風情は、儚くも夏の夜に華をもたらす。私はしみじみと、花火を操る根暗とメガネ君を眺めた。

「ちょっと……!  危ないって!! 助けて!!!」

「……」

 三者三様の花火である。根暗の叫び声が響くせいか、少しばかり風情に欠けるが、それも一興。波と花火と根暗の叫び声。無言のメガネ君が、今、何に耳を澄ませているのかは、誰も知る由が無い。

「よし、夜王ファイナルを打ち上げるぞ」

 花火を地面に固定し、導火線に火を付け、全速力で距離を取る。数秒後、火炎が昇り、大きな音で花火は開花した。パーンと大きい音が、見上げた空で響く。量販店で買える花火でも、最近はレベルが高い。さすが夜王ファイナルだった。

 一瞬の輝きの後は、煙の余韻が残る。次第に煙は流れ、純粋に夜空を見上げているだけになる。

「凄い、めっちゃ高く上がるじゃん」

「尚、危険度も高い遊びですな」

「ちゃんと離れないとダメだね」

「そうですな。我々には導火線に火をつける作業はできませんな」

「よし、私とメガネ君は離れて見守ってるから、次の1発もよろしく!」

「──このヘタレどもが!!」

 私は2発目に火をつけ、再び花火は打ち上がる。パーンと大きい音が鳴り、暗色の空を染める。

 物思いに耽り、しばらく夜空を見つめた。今日を以て、メガネ君と根暗との日々は一区切りである。今までほど頻繁には会わなくなるだろう。やはり、去る者は日々に疎しである。詮方ない。

 別れの時は苦手である。何をもってしても表せないもどかしさを、我々は別れの度に増やして引き摺っていく。

 二人はどんな大人になるだろうか……。メガネ君はいつまでも無口だろうか。根暗はどのような歳の重ね方をするのだろうか。彼らが、瑣末な我が人生よりも殊勝な道を歩むことは間違いないと言えるが、近況をすぐには聞けなくなる事は悔やまれる。その分、再び会う未来が楽しみでもある。

 時が来たら、また二人との日々を思い出そう。今はまだ不透明な将来で、今日のことを語り合いたい。ひとまずは心の奥底へしまっておく。あまりに楽しい記憶は、前を向くのに必要ないのだ。

 予想できないこの先と、取り戻せないこれまで。何処にも手の届かないもどかしさは、持っていて然るべきだ。それぞれの不安と寂寥を必死で好転させようとした先に、我々の未来はある。

「鮮明なのは花火だけで充分ですな」

 メガネ君がどうしてそう呟いたかは分からないが、同じ気持ちでいたのかもしれない。潮風と汗で体はべたついていたが、風は清々しかった。

 メガネ君と根暗の存在が人生の回顧をどれほど豊かにしたかは計り知れない。だが、思い出語りばかりに時間は使えない。成功した将来で今日の思い出を語る方が、よっぽど楽しいだろう。しからば、今日までの我々の一年は、まだ語るには値しない。

「良き青春ですな」

「良いね。また遊ぼ、、!」

「そうだな。いつかまた」

 江ノ島決戦、これにて完結。根暗、メガネ君、誠にありがとう。夏の夜は儚い。ではまた。

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