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「水道橋博士のメルマ旬報」第十八回

2022年7月21日にコロナのPCR検査を受けた。フランス出国前72時間以内のコロナウィルス陰性証明がないと、僕は飛行機に乗れず、日本に行けない。このことに気付き渡航する二週間前ぐらいからずっとストレスであまり良く眠れなかった。もしも検査結果が陽性の場合、展覧会にも行けないし、何より絵を急いで日本に送ったとしても、額装する時間なども含めると、展覧会の初日に間に合わない可能性もある。本当に最悪の事態になってしまうのだ。しかし、僕は勝手に日本へ行けると信じていたので、前もって絵も送らなかったし、最悪の事態のため何も準備をしていなかった。今考えて見ると、リスクマネージメントができない人の典型だ。ただ、ウィルス感染を避けるために、人混みでは自主的にマスクをつけたり、パパ友の飲み会も断ったりした。無神論者の僕だが、ここは神頼み!だと思い、イスラム教徒である同僚に、検査結果が陰性になるように、アラーの神にお願いしてくれと頼んだりした。その甲斐もあってか、無事に陰性の結果を受け取り、展覧会の会期に合わせて、日本へ行けることになった。

今回の日本への帰国は、僕一人だった。娘と妻は愛犬のレフを長期的に人に預けるのは嫌だと言うので、僕以外の家族はフランスで夏のヴァカンスを過ごすことになった。その代わりと言ってはなんだが、お土産をたくさん買って帰ると約束した。

4年ぶりの日本。こんなに長い間帰国しないことは今までになかった。日本にいる自分について、非現実感が増していて不思議な感覚に囚われた。日常でマスクを着用しなくなったフランスから来た僕は、道ゆく人がみんなマスクをしてる日本の光景が異常に見えた。なんの法的効力もないのに、みんな自主的にマスクをしている。公共交通機関やお店などは、マスク着用のお願いがあるから理解出来るが、炎天下の屋外においても、ほぼ90%以上の人がマスクをしている光景を実際に見て驚愕した。

展覧会の一週間前に日本に到着したのは、絵の額装のためだった。額装した絵をフランスからもって行くのは、量的にも不可能だったし、紛失することを防ぐために、絵だけを機内持ち込みにして運ぶことにした。額装は、フランスの自宅から調べて、あらかじめ電話で連絡しておいた、誠美堂という額縁屋さんにお願いした。展覧会の会場であるゴトウギャラリーからも近く便利だし、何より、娘と自分の名前の漢字が一文字ずつ入っている屋号が気に入った。

額縁屋で額装してもらうのは初めてだったので、とにかくプロの意見を聞きながら、良い額装ができればと胸を膨らませてお店に入った。誠美堂は、ご夫婦で経営されている創業55年というお店で、老舗の雰囲気と匂いが店内に入ると感じ取れた。とにかく大小様々な額縁で店内は埋め尽くされていた。

パリの画廊と違い、日本の画廊は作家が額装した状態の絵を画廊に運び展示する。つまり、日本では額代を作家が持つ。もしかしたら画廊によるのかもしれないが、額装した絵が売れ残れば、額はフランスに持って帰らなければならない。そんな事情もあって、正直、何枚を額装するかとても迷った。画廊からは25枚程展示して欲しいと言われていたが、そんなに僕の絵が売れるのだろうかと、少し戸惑った。でも、ここで売れないことを前提に行動することは、良い結果に繋がらないのではと思い直し、思い切って25枚の絵を額装した。とにかく、額装された絵を一枚でも多く見てもらいたいと思ったし、何より僕自身が、その光景を見たいと思った。


展覧会の二日前に、ギャラリーゴトウのオーナーの後藤さんと、ギャラリースタッフでもある娘さんと一緒に展示作業を手伝った。自分の絵を画廊に展示する作業はとても楽しかった。初めての経験だったし、とても思い入れの深い展覧会になると思った。きれいに額装された僕の絵は、画廊のスポットライトの下で、とても嬉しそうに見えた。

そして2022年8月1日、「村中誠展」初日。記念すべき日本での初めての僕の展覧会が始まった。

日本はコロナウィルスの感染者数が過去最高に上昇し、さらに猛暑ということもあり、正直、あまり展覧会の来場者数は望めないと思っていた。実際、12時から開場したものの、ほぼ誰も来なかった。

しばらくして、一人目のお客様がいらっしゃった。若い男性で、SNSで僕の絵を気に入って展覧会に足を運んでくれたという。そしてなんと、絵を1枚購入してくれた。画廊に来て絵を買うということがその方にとって初めての経験だったらしく、少し緊張していると言っていたけれど、それでも勇気を出して僕の絵を一枚買ってくれたことが本当に嬉しかった。お客様が絵を見て、気に入ったものを購入してくれる。その一部始終を目の当たりにできたことが、僕自身が自分の展覧会会場にいる醍醐味だと思った。

そのすぐ後にいらっしゃった親子のお客様もとても印象に残っている。空に向かって遠吠えをしている狐の絵の前で、娘さんは少なくとも5分間はずっと立って見てくれていたと思う。僕はその後ろ姿をずっと見ていた。その後、娘さんはお母さんと話し合い、その狐の絵を購入してくれた。

そして、きっとお忙しくていらっしゃれないだろうと思っていた、水道橋博士が奥様と秘書の方と一緒に来場してくれたのだ。2年前にclubhouseで初めて出会い、話をして、このメルマ旬報の連載陣に加えていただき、のちに新連載の藝人春秋Findersの挿絵の仕事を僕にくださった恩人に、ようやく直接お目にかかることができた。僕はすぐに握手をして、言葉では言い足りないけれど、今までのお礼を伝えることができた。それからメルマ旬報の第一回目に連載に掲載した博士のポートレートを直接本人にお渡しできたことも嬉しかった。しかも額に入れてくださると仰っていただけて、感無量だった。

その直後には、なんと、メルマ旬報の原稿などのやり取りで窓口になっていただいている、副編集長の原さんがいらしてくれたのだ。偶然にもメルマ旬報の編集長の後に副編集長が来場してくださるという、きれいな順番でお二人にお目にかかれたことも、僕らしくないが、運命を感じた。

原さんには、ラジオ番組に誘っていただいたり、メルマ旬報以外でも大変お世話になった。しかも、その場で絵を買ってくださった。本人曰く、絵を買うこと自体が初めてだということだ。その一枚目が僕の絵だということも光栄だ。原さんにも博士と同様に、ポートレートを直接お渡しできて嬉しかった。

こうして展覧会初日が終わった。そこから10日間の会期中、僕はできる限り展覧会会場である画廊にいた。営業開始時間から終了時間まで、ずっと画廊にいたいと思っていたが、それもほぼ達成できた。僕の絵をみに来てくださる方々と交わした会話は、僕にとってかけがいのないものとなった。

銀座という、僕にとって身近でない街にある画廊に通う日々は、なんだか非現実的なことのように思えた。若いころ、芝居の本番のために劇場に通っていた記憶が呼び起こされた。絵の個展は、演劇に例えると、作、演出、主演を全て自分がこなしている感覚だった。そういう風に思えたからこそ、楽しめたとも思える。

そして2022年8月10日、僕の展覧会は最終日を迎えた。合計38枚の僕の絵が、買ってくださった方々の元へ旅に出た。額装した25枚の絵は売れ、その他に持ってきていた絵も売れたので、追加で額縁屋に額を発注した。日本では、絵はそう簡単に売れないと聞いていたので、売れ残る覚悟はあったが、僕の想像をはるかに超えて絵は売れた。

今回の展覧会で僕の絵を買ってくださった方の多くが、絵を初めて購入した人たちだった。様々な画家がいる中で、僕の絵がその人たちの最初の一枚になったことはとても光栄に思えた。日本の、いろいろな場所の、誰かの家の、どこかの壁に、僕の絵が飾られる。
僕の絵が、買っていただいた人々の生活の一部になり、その人々の人生を共に歩ませてもらえることは、とても幸せだ。

日本での非日常からフランスでの日常へ。マスクありの生活からマスクなしの生活へ。妻が運転する車に乗って空港から家に帰ると、愛犬レフ君が取れてしまいそうな勢いで尻尾をふり、僕に飛びついてきた。娘は、買ってくると約束していたお土産の日本製のカラーペンはどこ?と聞いてきた。妻は、日本のスーパーで買ってきたカレールーを今夜の食事に使うから、すぐに荷物から出して欲しいと言った。「Et la vie continue / そして人生は続く」なのだ。

絵を描いて定期的に展覧会を開催することは、もちろんこれからも続けていきたい。

この場を借りて、展覧会に誘ってくれたギャラリーのオーナーの後藤さん、スタッフの皆さん、展覧会に足を運んでくれた方皆様に、お礼を言いたい。とても素敵な時間を過ごさせていただき、本当にありがとうございました。

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