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「水道橋博士のメルマ旬報」第十回

子供の頃、僕の家にはプレゼントを持ってサンタクロースは一度も来てくれなかった。その理由として、家にクリスマスツリーがなかったことや、僕が良い子ではなかったことがあったと思う。だから、サンタクロースの存在を信じていなかった。しかし娘が生まれてから9年間、我が家には毎年、12月25日の朝にクリスマスツリーの下に娘のためのプレゼントが置いてある。

目印になるクリスマスツリーが我が家にあることと、娘が良い子であることが、サンタクロースが来てくれる理由だろう。そして、何より、娘がサンタクロースの存在を信じているということが大事なような気がする。

フランスでは子供の頃に歯が抜け替わる時期に、歯が抜けた夜にネズミがお金を持って来てくれるという風習があり、実際に娘の枕元にも歯が抜けた翌朝には1€が置いてあった。娘曰く、夜中に一度目が覚めた時に三匹のネズミがみんなで協力してお金を運んでいるのを見てしまったことがあるそうだ。信じている人には見えるのだろう。サンタクロースもそれと同じ。

娘は寒風が吹く夜に世界中の子供のために働くサンタクロースのことを労い、牛乳とビスケットをテーブルに置いて用意してた時もあったが、翌朝にはサンタクロースが牛乳を飲み干し、ビスケットを食べた痕跡があった。そして娘はサンタクロースの存在を確信するとともに、感謝していた。娘を見ていると、信じると言うことについて考えずにはいられなくなる。

たまたま、同僚のイスラム教徒がお祈りする姿を見た時があったのだが、信じて疑わず、ただひたすら黙々とコーランの一節を呟きながら祈る姿に衝撃を受けたことがあった。特別な信仰心を持たない僕からすると、どうしてそんなに信じられるのか?と思うが、同僚はもちろんアラーの神の存在を信じているからこそ祈り続ける。僕はどこかで、目に見えないものを、そんなふうに信じて疑わない人に憧れているような気もする。

信じる、はそういうふうに思えると置き換えても良いと思う。

その昔、森達也監督の「職業欄はエスパー」の上映イベントで、スプーンが観客全員に配られたことを思い出した。その時期は、そのドキュメンタリー作品の影響もあって、超能力についてとても関心があり、ある夜、妻と友達とスプーンを本気で曲げようとしたことがあった。なんとなくふざけて、スプーンの持ち手の部分を指でさすって曲げようとしたことがある人は多そうだ。しかし僕も含めて一体どれだけの人が、本気で曲がれと思い、スプーンを握ったことがあるだろうか?

その夜は真剣にみんなでスプーン曲げを始めた。当時、28歳ぐらいだったと思うが、大の大人4人で無言で真剣にスプーン曲げをしてる光景は、今考えても異様だと思う。少なくても5分は無言で、スプーン曲げに集中した。

でも一向に、スプーンは曲がらない。それでもみな諦めずに続けてみる。でも曲がらない。
そのうち、やっぱり曲がるわけはないよ、と誰もが思い出す。その場の空気が、スプーンなど曲がるわけない、というものに変わったころ、妻が突然「あっ、曲がるかも?!」と言いだした。その直後、妻が持っていたスプーンがまるで柔らかい何かのようにぐにゃりと曲がった。

超能力者の清田益章さんではなく、妻が僕の目の前でスプーンを曲げたのだ。知ってる身近な人だから、スプーンが曲がるという現象に説得力が増す。超能力を信じる信じないとかではなく、その光景を見てしまった僕と友達二人は、その事実を受け入れないといけなくなった。

妻曰く、「このスプーンは曲がると思えた。」ということが理由で、曲げられたと言っていた。言い換えると、スプーンを曲げられなかった僕は、真剣にスプーンを曲げようとしてはいたが、実はスプーンが曲がるという現象に対して疑念があったのだ。だから僕のスプーンは曲がらなかった。

後日、妻は再び、一人でスプーン曲げをしようとしたらしいが、スプーンが曲がってしまうと使えなくなると言う理由で、スプーンを曲げをやることを止めたそうだ。曲げたスプーンは、元どおりの形には戻せないらしい。

家中のスプーンが曲がって使えなくなってしまったらたしかに困る。しかし妻がスプーン曲げをしようと思い、キッチンにスプーンを取りに行く姿は、想像しただけでも面白い。

娘が生まれてから今年で10回目のクリスマスがやってくる。娘は相変わらずサンタクロースの存在を信じている。だから今年もきっとサンタクロースは来てくれるだろう。

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