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近代オリンピック開催について~賛成派と反対派の意義~


近代オリンピックはピエール・ド・クーベルタンの主導により 1894 年 6 月 23 日に設立され、最初のオリンピック競技大会は、1896 年ギリシャのアテネで開催された。


2020年開催国であった東京は、COVID-19(新型コロナウイルス)の感染拡大防止の為やむを得ず翌年に開催した。これまでの歴史で中止は夏冬5回あったが、延期になった例はなく史上初となった。


ちなみに中止になった5回中2回は、日本で開催予定の大会だった。


これらのデータを見ると日本はオリンピック開催に、「なにか呪われているのではないか?」とすら思えてくる。たまたまなのかもしれないが・・・。


近代オリンピック、賛成派と反対派それぞれの意義


本題に入る。賛成派反対派についてである。1964年以来56年ぶりに2020年に東京で開催する予定だったオリンピック。


五輪招致を目指していた当時は2011年の東日本大震災から復興を遂げた日本を見てほしいという意味でもインスパイアされていた。


ー五輪招致に力を入れていた時期ー


賛成派の意見

  • 立ち直った日本を見てほしい。

  • 他国からの支援のおかげでオリンピックが開催できるまで復活した。

  • スポーツを通してチャレンジ精神(復興)を継続したい。


反対派の意見

  • オリンピックを開催するなら復興に資金を回してほしい。

  • 終わった後の施設の維持費を懸念する声。

  • 都市開催で制限される交通や規制。


と言ったところです。56年ぶりもう一度日本で開催したい気持ちと大義名分が半々だったのではないかと思います。しかし、2019年中国の武漢が発生源と言われるCOVID-19(新型コロナウイルス)により、延長か中止か、せまられた日本。その時の意見は・・・。


ー開催直前のコロナが流行した時期ー


賛成派の意見

  • これまでの準備を無駄にするくらいなら開催したほうがよい。

  • ある意味日本での感染対策の強さのアピールができる。

  • 感染対策をしっかりやり、無観客試合でも試合ができればアスリートの思いも報われる。


反対派の意見

  • オリンピック開催に力を入れている場合じゃなく、感染対策に力を入れるべき。

  • 世界的パンデミックの最中にやるべき事ではない。

  • 未知のウイルス(解明されていないゲノム)なので、大勢が集まるイベントは控えるべき。


ん!?何かがおかしい。そう、招致前と開催直前の意見がまるで違う。コロナの発生により復興というキーワードは忘れ去られてしまった。


ネットではコロナを理由に開催中止を煽るコメントが続き、否定する理由は何でもいいんだなと思われる。


賛成派から反対派へ


私はオリンピックについて昔は賛成派でしたが、今は反対派です。反対派と言うよりオリンピックというイベントは「なくてもいい」が、近いです。


前文で述べた地震やコロナによる話題性からの意味でなく、存在意義についての見方です。


過去に賛成派だった理由は、世界が戦争でなくスポーツを通して競い、感動や魅力、何かを得る事ができると感じていたからです。スポーツについては、もちろん今でもそう思っています。


では、なぜ反対派になってしまったか?理由として経済効果やIOCの接待、競技における選手や種目の格差です。


経済効果

もちろん開催にあたって莫大な資金が必要です。競技場や選手村、インフラ整備など準備のため経費がかかります。回収するために国をアピールして経済を回す。

「黒字だった赤字だった。」経済効果の話題を棚に上げて、結局は売り上げの話になっているのではないかという事です。スポーツという競技は利用されてるだけ?と感じます。


IOCの接待

賄賂や買収。IOC役員に度々でてくるニュースですが、ほんと腐ってる。多少の「よいしょ」は必要だと思いますが、接待される方IOCに問題があると思います。

オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。


出典;オリンピック憲章(1996年版)より


平和でよりよい世界をつくることに貢献するのであれば、五大大陸で五輪のマークの一つでもあるアフリカ大陸では、何故いまだに開催されないのでしょう?地域の特徴や政治の問題もあると思いますが、そこはやはりIOCが先頭になって積極的に支援するのが本来の姿です。


接待で開催国を選ぶのではなく、自身で作ったオリンピックの憲章に基づいて選ぶのが本来の筋なのではないですか?とIOCに問いたいです。


競技における選手や種目の格差


参加できる選手の条件も考える点が多いと思います。


例えば野球。プロで契約している選手はオリンピックの舞台でケガや故障のリスクを考えると出場を見送る場合があります。もしくは所属チームとして止められる。野球オーナーとの間に契約が発生しているためです。


つまり参加したくても参加できない理由もあるという事。バスケットやサッカーも同じ事が言えます。トップアスリートの姿を見る事ができないなら五輪としての意味があるでしょうか?


オリンピックというフィルターを通して見るスポーツが、疑問に感じて魅力が無くなった理由の一つです。


自分の国から出場するにはライバルが多く無理なので、出場枠に入れそうな国に国籍を変えてチャレンジする人もいます。


夢を叶えるためにそこまでする精神はすばらしいですが、出身国や育った国として関係ない所から出場するやり方は、選手として何かメッセージやすばらしさを伝える事が前提ならまだしも、オリンピックに出場することがゴールになっている気がしてしまいました。


これからのオリンピックについて


4年に一度の大舞台。選手はこれまで積み上げてきたアスリート魂を見せる絶好の機会です。私もスポーツをやっていた経験から勉強になった事やビジネスに精通する部分を学びました。


素晴らしい選手とスポーツを通してオリンピックの意義を貢献するのであれば、開催するべきだと思います。しかし時代の流れに合っていないのであれば一度解散して、新しいものを作るのも有りだと思います。


賛成派反対派別れますが、あなたはオリンピックのあり方についてどう考えますか?

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