主治医への手紙「母親の存在そのものが脅威になってしまっている」

2021/04/07

27歳で一人暮らしをすることになった際、
場所を取るので大量にあった昔の日記を捨ててしまったのですが、
先週昔の自分が何を考えていたか知りたいという思いに駆られて、
4/2(金)に昔書いていたブログを色々と読み返しました。

すると、今よりよっぽど傷つくことなんて顧みずに
ボロボロになりながら懸命に生きる姿がありました。
そして、専門学校では音楽で結果をちゃんと出していました。

過去の自分の姿をブログの文字越しに見て、
今の自分はそんな風に頑張れていないなと気分が落ち込みました。

また、あの頃はまだ若くて希望が沢山ありました。
母に自分の心をボロボロにされても、
私は自分の人生への希望を捨てることなく生きていました。

なんだか落ち着いてしまった今の自分の姿がダサいと思ってしまい、
それが結果としての平穏だったとしても、
私はこんな生き方を望んでいたのだろうかと
先週金曜日は抑うつ状態に陥って、寝込んだまま土日が過ぎました。

それでも月曜日になれば当たり前に仕事があって、
曲がりなりにも社会に必要とされていて、
久々に外に出て歩いたり写真を撮ったり買い物をしたら
気分が上を向いてきました。

在宅勤務で大幅に負担が軽減されましたが、
買出しや病院以外の用事で外に出ないと、
精神的に大分病んでしまうということが分かりました。

ただでさえ頑張り屋であろう自分が、やっとたどり着いた安息の現在、
多分自分が思っていないだけで
今でも人から見たら頑張っているのではないか?

就労支援センターの人には強いと言われたことがあり、
自分ではそんな風に思っていなかったので意外だった、
そんな出来事も思い出しました。

正直母親のことに関しては整理ができないという以前に
あまり触れたくない、関わりたくないという気持ちが先に立ってしまいます。

現在たまに母から食料や私が好きなピザが届くことがあり、
そういった感情を持ってしまうことに申し訳なさも感じるのですが、
それでもやはり傷つき続けながら母親が生きるために犠牲になった
その過去の自分と一緒に今の私は生きていくので、
優先順位としては一生懸命自分を大事にすること、
それ以上に母を思うことは「もう」ないです。

「もう」なしにしよう、という
強い意思を持って生きていかなければいけないくらい、
私は母のために自らを犠牲にし続けてしまいました。

今の母が私に抱いている感情が愛であろうと愛でなかろうと、
私を不安にさせ、疑心暗鬼にさせる存在として 脅威になってしまっています。

父や弟のことに関しても、考えたら色々と不安は尽きないです。

今がずっと続けばと思えていることは確かで、
何か自分にとって大きなものを創造するだとか、あるいはぶっ壊すだとか、
生活を大きく変えるような行動に出ることは、
今を守るためにできなくはなってきていると感じました。

そこに時たま強い無力感を感じ、人と比べて落ち込むこともあります。

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