見出し画像

京大バレー

 今回は大学時代の部活の思い出について。

 高校時代は私立の進学校に通っていて、同級生と馬鹿なこともたくさんしましたが、基本的にはガリ勉でした。部活も自分なりに本気でやってはいましたが、人手不足の上、指導者もいなかったので結果も出ず1勝もしていないのではないでしょうか。1年生のうちは勉強もサボりがちでしたが、そのうち自然とモチベーションは勉強に向けられて、成績が上がっていき京都大学文学部を受験し合格しました。文学部を選んだのは、ちょうどサッカーのアジアカップでの中国サポーターのあまりにも大きな敵意に違和感を感じ、近代の歴史について詳しく勉強したいと思ったからです。

 さて、入学当初は大学に入って本気でバレーボールをしようなどとは全く思っていませんでした。そもそも大学生の部活のイメージなど全くありません。大学生でも部活するんだ?と思っていました。サークルと部活は微妙に違います。部活は高校の部活のイメージに近く、大学の名前を背負って試合に参加します。サークルは、大学を超えて活動していることが多く、サークルとして大会に出場します。それぞれ出場する大会が違うとというだけかもしれません。高校でのインハイに当たるインカレには基本的には部活のチームが出場していると思います。

 スポーツはもともと好きでしたので、サークルに入ってサッカーかバスケをしようと思い、いくつか見学に回りました。ただいくつか回って結局体育会のバレー部に入りました。大学の部活の存在を知り、本気でやるならバレー以外にないとは思っていたので、一応バレー部にも見学に行き、そこで運命の出会いをしました。同級生のO君です。バレーは未経験でしたが、俺は絶対にバレー部に入る、とすでに断言しており、彼と一緒なら面白い部活になるのではと感じ、その日には心の中でほぼバレー部に入ることを決めました。5月末の春リーグ終了までは新入生は仮入部という形でしたが、基本的には毎日練習に行っていました。

 ただ、入ると決めてから、早速部活優先の大学生活を始めましたので、語学の授業を一緒に受ける文学部のクラスにもほとんど顔を出しませんでした。当然クラスメートにはほとんど友達はできませんでした。1、2年生はほとんどバレー以外していません。なんとかかんとか半分くらい単位は取っていましたが、ほぼ授業に行かず体育館で筋トレするか練習するか、体育の授業に参戦するかしていました。

 はじめて見学に行った時は、大学バレーのレベルの高さに驚きました。入学する頃は大体春のリーグが行われていて、チームの雰囲気はピリピリしていました。みんな手を抜かずに練習に取り組んでいるし、表情も真剣で、意識的に甘さを消しているような、絶対に負けたくないという思いを皆が持っているような表情でした。練習前後のミーティングも張り詰めた空気が漂い、先生なしで自分たちでそういう空気を作っているのが新鮮でした。そして何より背が高い。30人ほどのチームでしたが、190cm近い身長の人が当時は3人いましたし、180cmを超えている人も珍しくありませんでした。確か当時は関西2部だったと思います。関西は8部まであるので結果だけ見ても決して弱いチームではありませんでした。僕らの学年になると3部に定着し、3部でも下位になってしまいましたが。

 監督などベンチスタッフは基本的にはOBの方でしたが、コーチとして藤田幸光さんに来て頂いていました。現役時代は松下電器で活躍され、日本代表経験もある方で、月に数回練習に来ていただき、予定があえば試合の時もベンチに入ってアドバイスを頂いていました。バレー部は夏と春の長期休業に合宿をするのですが、その合宿にも毎回来て頂いていました。バレーボールの構造、基本的な戦術、チームのシステム、データの活用についてトップレベルの知識に触れることができましたし、基礎的な技術習得のための練習メニューから実戦的な練習までたくさんのことを経験できました。もちろん心構えも。社会人になって自分が指導する立場になってから参考になることばかりで、中学時代に時間を惜しまず全力で鍛えてくれた恩師といい、僕は本当に指導者には恵まれていたと思います。

 練習は週に2回オフがありましたがその日はトレーニングをすることが多かったので、基本的には毎日体育館にいました。トレーニングメニューは近くのジムで働くアスレチックトレーナーの方を雇い、月に数回トレーニングの指導や栄養指導をしていただきました。そのとき得た知識と自分が実際にやってみて効果を実感した経験も社会人になって役に立っていると思います。練習は1日3時間が基本でしたが、授業が優先でしたので遅刻することもありましたし、出られない練習もありました。大学のトップチームに比べれば練習量は少ないですが、練習は基礎練中心でそれなりにハードでしたし、基本的には1回1回の練習で体力を使い切っていました。年2回の合宿で経験した朝昼晩練習漬けの4泊5日と6泊7日は地獄のようでした。2日もすれば全身筋肉痛でその後はみんな気持ちだけで合宿の練習を乗り越えていました。

 さて、話はあちこちに飛びますが同級生のお話です。同級生はマネージャーを含めて11人いましたが、4年生まで続けたのは結局7人でした。そのうち選手は5人です。たくさんの人がチームを離れてしまったのはやはり寂しいです。一番最初に入部を決めたO君は、真っ直ぐで、思ったら即行動することのできる人です。初心者でしたが、一生懸命練習に取り組んでいましたし、運動神経も良く4年もすれば技術の差は無くなりました。3年生からはキャプテンもしてくれたので、一番苦労をかけてしまいました。S君は同じく初心者でポジションはO君とともにリベロ。彼も運動神経が良く、もともとバスケットをしていたのでオーバーハンドパスが上手で鉄壁のオーバーカットという武器を身につけました。I君は僕と同じアウトサイドヒッター。中学生の時には群馬県選抜にも選ばれていましたし、身体能力はそこまで高くありませんでしたが、その分安定感もあり、一番上手でした。ポジションも同じで身長も177cmと僕に近く、勝手にライバルに認定していましたが、遊びも含めてなんだかんだで一番一緒にいる時間は長かったと思います。彼がいたから頑張ろうと思ったことも多く、自分との比較対象として意識すると自分の強さや弱さなどを自覚することができたと思います。今思えば中学時代にレフトの対角に入っていた同級生と似ていたような気もします。T君はO君と同じ高校で、身長180cmを超える同学年では大型選手。最初はセッターをしていましたが、途中でミドルに転向しました。器用ではありませんが、人一倍真面目で、セッターの時はたくさんトスを上げてもらいました。ミドルになってからは反対にたくさんトスを上げました。筋トレの成果かジャンプ力もあり、ブロックとスパイクが強力な武器でした。人の話を真剣に聞いてくれるので、真面目な相談事をたくさん聞いてもらった気がします。F君は190cm近い長身のミドルで、同級生の中で試合に一番たくさん出場しました。ひたすらマイペースですが、ご飯に誘うと案外ノリが良く、彼にもたくさん部活の話をした気がします。同級生にはFさん、Kさんの2人のマネージャーもいて練習の手伝いをしてくれていました。Fさんは唯一部活を辞めるのを思いとどまってくれた人です。ちょうど3年生になって自分たちがチームの主幹となって結果も出なかった頃でしたし、大学生として研究が忙しくなる頃でした。なぜ思いとどまってくれたのか今思えば不思議ですが、単純に選手もマネージャーも人数が減っていたのですごくありがたかったです。Kさんは他大学でしたし、家も少し遠かったのですが4年間マネージャーをしてくれました。高校時代には選手として全国大会にも出場していたのですごく尊敬していましたし、バレーについて相談することもたくさんありました。マネージャーの仕事はドリンクを作ったり、ボール拾いを手伝ってくれたり、時間を管理してくれたり、試合の記録をとってくれたり、選手がすると負担になるところをカバーしてくれたのですごくありがたい存在でした。

 先輩後輩もたくさん素敵な人がいました。個性的な人ばかりでしたが、バレーに対しては皆真剣に取り組んでいて、心、技、体について周りの刺激を受けながらいろんなことを考えました。もちろん馬鹿騒ぎもたくさんしましたし、遊びも含めてバレー以外でも楽しい時間を一緒に過ごしました。

 たくさんの人間が集まって一つのものを作ろうとすると、それぞれの個性を意識します。まして、30人以上の中から7人のスタメンを選ぶということは、自分の力、他人の力を否応なしに意識します。目標達成のために、集団の中で自分が何をするべきか、何をしたいか考えるという経験はなかなか教室ではできないものです。それは、社会人になって組織の中で、事業に取り組んでいく時にも役立てることができると思います。京大バレー部の場合はスタッフも学生が主体でしたし、言われてやるのではなく、自分たちの選択が大きな意味を持っていたので僕にとってはそれ自体が貴重な経験でした。もちろん「伝統」という名のOBさんの視線はありましたし、チームの選択を完全に自分たちでできていたとは、良くも悪くも思いませんが。それも含めて組織というものについて考える貴重な機会でした。

 僕の場合はバレーボールを通じて自分の力を実感し、自信を深めることもできました。もちろんもっとできることがあったとは思います。情けないことに後輩からもっと頑張れと発破をかけられたこともあります。ただ、その言葉は嬉しくもありました。僕は先頭に立ってチームを引っ張ることを意識的に避けていました。練習で手を抜くことはありませんでしたし、練習でも試合でもチームで一番声を出していたと思っていますが、練習以外の時間で言葉で仲間を引っ張っていくことはしませんでした。自分で苦手だという自覚があったと思うし、言葉以外のもので人を引っ張るという姿に魅力を感じていました。キャプテンにもなろうとしませんでしたし、そのことはいまだに少し後悔しています。それでも、自分で想像していたより遥かに上手な選手になれたし、後輩から発破をかけてもらえる程度には認めてもらえる先輩だったと勝手に思っています。後輩も先輩も含めてチームの中でいろんな価値観に触れ、時にはぶつかり合って価値観を共有していく、そういう経験も部活ならではのものでした。

 学生のうちから組織の運営を経験できたというのもまた、貴重な経験でした。僕は3年生の時「主務」という役職でした。いわゆるマネージャーの仕事で、大会を自分で運営したり、練習場所を確保してスケジュールを立てたり、OBさんやコーチに連絡を取ったり、練習試合のために他校と連絡を取ったり、OB会との連絡やお金の管理、合宿の準備、コーチとの報酬などのやり取りなど、様々な経験をできたことはそのまま社会人になってからも活きていると思います。もちろん同級生含めてチームの皆の協力があってこそです。

 中学、高校の部活と同様、大学の部活もチームによって様々ですが、僕の場合は学生主体でチームを運営していく部活動を体験できてすごく貴重な経験だと感じました。ただバレーをすればいいというだけではなく、バレーをする環境を作っていくという経験は、仕事で言えばお客さんであると同時にお店の人を体験しているのと同じことです。忙しさにかまけてやっつけ仕事になっている部分も正直ありましたし、単に先輩のやっていたことを模倣していることも多かったのですが、それがあまりにもったいないことだと後になって気づきました。また、自分たちで運営することでより体系的にバレーボールと体作りについて学ぶことができました。大学での部活動の経験なしに、指導者としての今の自分はありえません。

 要するに、部活はアクティブラーニングになるのだと思います。それは高校でも同じです。ただし、良いチームをつくることを目標にすれば、ですが。部活以外でも似たような経験はできますが、部活の場合は基本的に皆好きで入部しているので、目標の共有をしやすいということが重要なのだと思います。

 一生懸命部活の魅力を説明しましたが、結局大学で一生懸命勉強しなかったからではないかと自分で自分を疑ってしまいます。バレーしかしていないようですが、アルバイトでもいろんな素敵な出会いがありましたし、学校以外でもバレーをしていましたが、そこも素敵なチームでした。文学部では日本史研究室に入ることができ、太平洋戦争期の九州をフィールドにしてなんとかかんとか卒論を作り、4年で卒業することができました。歴史学や教育学の講義は素直に面白いと思いましたし、研究活動をもう少し真剣にすべきだったという思いはあります。講義の教科書は社会人になってからも読みましたし、そこからさらに読書の輪が広がって自分の勉強の基礎にはなったと思います。勉強不足のまま無謀にも大学院の入試に挑み、落ちて結局5年目の大学生を経験することになるのですが。。

 この程度で大学バレーの魅力を語り尽くせたとは思いません。今回はあまりにも表面的な言葉になりすぎましたが、最後にもう一度部活の魅力を整理すると

 ⑴集団で一つのものを作り上げる経験ができる

 ⑵自己分析をより深くできる

 ⑶心身の鍛錬

 もちろん部活でなければならないわけではありませんが、良いチームはこれらの機会を増やすことができるのだと思います。それが一生ものの財産になっていると感じているので、僕は学生に部活に真剣に取り組むことを薦めるのだと思います。


 蛇足を重ねますが、最後にもう一つ。一昨年現役の練習を見る機会がありました。見る人によって評価は変わるでしょうが、僕は単純に変わらず真剣にバレーに向き合っている後輩たちの姿をありがたいなあと思いました。自分が頑張っていた場所が、自分たちの思いも受け継いでくれてきちんと残っているというのは良いものですね。あ、OB会費を払わなければ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?