社会人にはいくつもの転機が訪れる
社会人になる前かな。
学生の時に親によく言われてたのは、社会に出たら生涯の定職は訪れるって話だった。
父親は28歳から30歳くらいだったらしい。
10代から溶接の仕事をしてて、そこからヘルニアになってやめてタクシーを取り締まる仕事を二十代からやり始めてたらしい。
そこで、真面目に働いてて、上司から大型特殊うけてみたら?と言われたのが始まりだったらしい。
その後免許をとったあとに定年まで働く職場についた。
この話はよくされてた。
自分が10代の時は、ただ職種の形にこだわってた気がする。
親の言葉は、このときあまり理解できなかった。
30代になったら、家族ができて定職して定年まで働くのかなーと思ったくらいだ。
Webの道に進み出した時は、謎な仕事で親からは大丈夫か?こんな安月給な仕事?定職になるのか?とずっと言われてた。
この道に進む決意してから、もう20年近くなる。
定職になったのかどうかはわからないが、この仕事自体は嫌いではない。ほかの仕事もやったことはあるがここまでのめり込むことはなかった。
終身雇用はすでに崩壊してて、親の世代とは違う世界線にはなってる。
本業もあれば副業もある。
たしかに昔に比べると物価も給料も違う。
ただ今を生きるために勉強したり、チャレンジすることはいくつになってもやっていかなければならない。
自分の転機は、今の会社に拾われたことなのかなと思ってる。ちょうど転職した時期が親と同じくらいの時だったから。
評価されて今の仕事につけたかどうかはわからない。
ただ腐らずに真面目にやるってのを続けたことで次に活かせたのだろうと今は思ってる。
ずっとこの仕事を続けるという時代ではないけども、初心はどんな仕事にも前のめり真面目に取り組む。
これが一番大切なんだろうと思う。
腐ってSNSにぼやきもやってた時期もあるが、それは自分の評価を下げるだけ。
他人は他人と俯瞰するようになってから、自分の仕事を全うするということに集中できるようになった。
チーム開発の場では、他人も巻き込まなければならない。
ぼやいても何も始まらない。自分が能動的に動くことで相手が自ら動かせる働きを自分の働きで見せていく。これが真面目に取り組むという考えなんだろうなと思う。
生涯の職場という遠い昔の名残はない時代だけど、自分自身を身が生き続けることいつの時代も同じことだなと思う。
真面目にやってると社畜っぽいと言われがちだけど、だれかかしらには見られてるんだと思って、行動していくことは根底には持っていかなければならないと思ってる。
当時言われた父親の言葉は、頭の考えから身体に染み付いてるのだろうと思う。
明日からの仕事も真面目に取り組んでいこうとふと思った日曜だった。
黄昏る時間は休日には必要ですね。
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