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<大岳>一つではない、様々な緑が山にはある

8月始まってすぐ、奥多摩にある大岳に登ってきた。

その日はまさに登山日和で、空は青く、真新しい緑が鮮やかであった。登山道に入ると、そばを流れる沢はキラキラと光を反射させながらせせらぎを響かせていた。触ってみると思いの外、水は冷たかった。

乾いた山道に落ちる木漏れ日は風に吹かれ、遊ぶように光りを弾ませていた。道は先まで続き、その影と光りの乱舞を僕は追いかけながら登っていく。

風はひんやりと肌を撫でてはいくが、日差しは容赦なく照りつけていたため、暑さに体力が急ピッチで削られていく。汗がとめどなく流れて、ハンカチもTシャツも1時間経過した頃には汗で絞れるくらいになっていた。持ってきた2リットルの水はどんどん軽くなっていく。登っている途中で見かけた、沢で水浴びしていた子供のように今水に入れたらどんなに気持ちがいいことだろうと何度も思った。暑さにへばっているそんな僕とは裏腹に、日の光を全身に浴びた葉っぱたちは見るからに気持ち良さげだ。

何とはなしに周囲の葉の群れを広く見渡したその時、ふと気づいた。葉の緑色には様々な色合いがあるんだということに。この道は多種多様な緑に覆われているが、一口に同じ緑と言えども、この葉とあの葉の緑は同じ色とは言えない。木々や花の種類が違えば、葉の緑色もまた同じではないのだ。赤みがかった緑、紫っぽい緑、クリームを混ぜたような緑、向こうが透けるくらい薄い緑、ひんやり冷たそうな緑、黒に飲み込まれそうな緑・・・上げればきりがない。それなのに、その色に名前をつけるとしたら、ただ緑としか名づけることができない。

細かく区別・分類するという概念は色にはなく、似たようなものはひとまとめにされる。人間というものは効率を重視し、誰もが分かるように集団的に物事をみているから、その細部まで見て、厳密にどこがどう違うのか気にすることはあまりにも少ないのだ。

緑にはたくさんの異なる緑がある。ただそれだけのことを知っただけなのかもしれないが、その気づきは僕にとって大きかった。はっとするような驚きを伴っていた。この何十年と生きてきて、そんなことを気にかけることはこれまでなかった。その事実を今発見したのだ。

次から次へと塗り替えられるスピード社会の中で、いつのまにか表面的な部分しか見ないようになっていたのかもしれない。何でも十把一絡げにして、知った気になってはいけない。そして、見ることをもっと大切にしたい。そんなことを感じた、その日の登山道だった。

同じ緑といえど、色々な緑があってそれぞれが違うのです。↓

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