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「気に入らぬ風もあろうに、柳かな」

森田先生の残された書籍の中に「森田正馬全集第五巻」というものがあります。
正確に言うと森田先生が行っていた「形外会」という神経症患者を集った勉強会の記録であり、先生の著書ではありませんが、森田療法信者(これは語弊がありますね笑)には聖典(これにも語弊が…笑)のように扱われている書籍です。
ちなみ森田先生は物事を”記録”することを大切にされていました。

今日はその第五巻から、大好きな言葉、

「気に入らぬ風もあろうに、柳かな」

を紹介します。

森田先生はこの言葉に対して、

「気に入らぬ風もあろうに、柳かな」という事がある。「今度あの風が吹いたら、こんな風に靡いてやろう」とかいう態度が少しもなく、柳の枝は、その弱いがままに、素直に境遇に柔順であるから、風にも雪にも、柳の枝は折れないで、自由自在になっているのである。

と説明されています。

自分の解釈でもう少しコンパクトにお伝えすると
「いいこと、悪いこと、いろいろあるけど、自分の事実、その時の心の事実、周りの事実はそのままに、その時の最善の方法で、臨機応変にやりなさい。」
ということなのでしょうか。
どうしても抽象的になってしまいますので、自分の例で具体的に説明すると…、

職場でどうしても苦手な女性部下がいます。真面目で細かいことに気づくのはいいところだと思うのですが、他人に強要が激しく、いわゆる「ネチネチ」した言い方をする女性です。当然上司の自分もその言い方に正直イライラいすることが多々あります。
「合わない人間とは合わない。」これは事実そのもので、人間関係においてはごく自然、どうしようもできないことです。

じゃ、実際どうするか、それは、その時々の「純な心(心の事実)」と「実際の境遇に従順になる」ということです。
具体的に言うと、

その女性が上司である自分のミスをついてまた「ネチネチ」と言ってくる…、
〇ある一日①(純な心)「なんで上司にそういう言い方するかな…。」「もっと素直に指示に従ってくれよ…。」
(「実際の境遇に従順になる」)「自分は上司であるから、広いこころで接してやるか…。」「ここは自分が折れれば、済むのかな…。」
〇ある一日②(純な心)「今日は自分の体調も、機嫌も悪い。」「その言い方は本当に失礼だな。」「本当に頭にくる。」
(「実際の境遇に従順になる」)「今日は一言も口を利かず、できるだけ無視しよう。」「女性のミスを叱る。」
〇ある一日③(純な心)「こないだ少し冷たくすぎたかな…。」「彼女も真面目なところはいいところだし…」
(「実際の境遇に従順になる」)「おはよう!今日は暑いね(こちらから元気よく挨拶する)」「この資料のできは素晴らしいよ(褒める)」
そして、また、何かにつけて「ネチネチ」言ってきて、ある一日①に戻る…。

神経症の方は、真面目で、思いやりが強いので、「人には優しくしないといけない。」「すべての人と平等にわけ隔たりなく、接しないといけない。」という言葉にかくあるべしになってしまっているかと思います。
このかくあるべしにとらわれてしまっては、「風にも雪にも、柳の枝は折れないで、自由自在」にはなれません。
また、柳は「風」ばかりにとらわれず、雪にも、日差しにも、雨や、それ以外にも、「その弱いがままに」「実際の境遇に従順」に、靡いているのだと思います。

私たちも、この柳のようにとらわれず、弱いがままに、軽やかに、自由に、心地よく、靡いていたいですね。
お付き合いいただき、ありがとうございました。

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