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初めて額の裏でヴィジョンが見えた日のお話と私が変わった事での子供達の変化

これは自身のノートを遡ると11月中旬にあった出来事だ。

おそらくこの頃は前回の記事でご紹介した本のうちの「波動の法則」をよんでいた頃だと思う。私は、精神の穏やかな日々が始まってから、「幸せの周波数」について漠然と思いを巡らせていた。何故、私はお金で裕福ではないけどこんなにも幸せだと感じる中にいるのだろう~って謎ばかりな頃。

ふとシンクロニシティを感じさせる出来事が体感として訪れた時があった。
その前に、それが起きるまでの流れをざっとお話させて頂こうと思う。

お金を掛けずに始めたこと

祖母の死を迎えてから「周波数」、「気」というものに関心が高まり出したのが夏の終わり。

私自身はそのどうやら目には見えない「周波数」が生活の中で多大な影響を持っていると直感してから、些細ではあるがある試みを始めだした。

面倒くさがりな私が部屋の掃除を前よりもする様になったり、少し思い切って断捨離しだしたり!!(断捨離においては、手放せていないものはある…)

その頃はまだ暖かかったので、朝起きて、陽が昇ったら部屋のカーテンを【全部】開ける。そして部屋に漂う、空気を循環させる為に複数窓を開ける。お金を掛けない所からまずは始めたのだった。

これを行いだした理由には、「周波数」「気」に関しての試みとは先に述べたけど、この2年余りの間、新型コロナ感染症の影響で子供達の精神的な面がかなりバランスが崩れているのを実感していたからだった

息子は今、中学1年生である。
去年の修学旅行やその他のイベント諸々、どんどん中止となっていった。
かろうじて卒業式は行えたが、色々なものが中止となっていく中で、自分達の時は出来なかった、やりたい事が出来なかったというフラストレーションはかなり抱えているのは見て伺えた。

コロナだからしょうがない。と子供なのに、大人のように理性を働かせ、我慢の連続。

小学校では、テストの点数も普通であったが、中学に入り著しく成績が下がっていた。ちょっと、親として目ん玉飛び出るくらい悪くなっていたのをよく覚えている。小学校の時には、朝学校へ行きたくないなぁと言葉に漏らすことすら無かったのに、新しい環境の中、気持ちが追い付いていかないことは明らかに表面化されてきていた。

娘においては、学校が休校している間に、自宅にずっと居たせいか体重が大幅に増えてしまった。これには、私がかなり原因としてある。

私は仕事が配達員である為、世間が初めての緊急事態宣言が出て、会社や学校などが異例にお休みとなっている間、職場は夏や冬の繁忙期と変わらぬ程に一気に忙しくなってしまった。その頃は未知のウイルス過ぎて、仕事をしている最中もかなり緊張感の中にいた。家で待っている子供達、何もしてあげられない分、すこし「おやつ」を奮発して購入するようになっていた。私のストレス発散を「おやつ」に充ててしまっていたと反省している。

そんな日が続いたせいで、自宅で過ごす娘の運動量と摂取するエネルギーのバランスを崩させてしまった。元々食べることが大好きだった娘は、何処にもお出掛けにいけない中で楽しみを見出すのは食事になっていた。

仕事場に感染を広めてはいけないという意識で、私が頑なにお休みの日の買い物も最小限に、子供達も休みの日でさえ、家から出さないという環境はかなり長く続いた。

色々なものが、目に見えない所で各々が抱え込んでいる。
それが、雰囲気からでも滲み出ている。
何とか少しずつ開放出来ないかなと感じていたのだ。

朝の陽の光を浴び、澄んだ外気を取り入れる日々が始まった。
(うちは田舎なので、近所は家も少なく大通りからも離れている為、比較的外の空気には恵まれている方だと思う。)

変化が出たのはまず母の私からだった。

三日坊主常習犯の私ですが、朝カーテンを開け、窓を開けるという事は苦にならなかったのか、続いていた。寧ろその単純だけど今までしていなかった事が勿体なかったなと感じる。何だかとても心地が良いのだ。

その心地良さの影響もあって、朝怒鳴ることをやめた。
「早く起きなさい」いつもそのセリフが数か増す度に怒りが乗っかっていた。でも、折角良い気分で居るのに、怒るのが嫌だった。

そして、怒るというのは私が、時間までに子供達を学校へ送らなくてはいけない。という〇〇でなければならないの罠によって、私が小さい頃は親に怒られないようにちゃんと起きたのに、なんでこの子達は配慮がないの?!という私が子に対して思っている欲だと気付く。気付いたから手放した。

確かに、学校には時間通りに行くことが望ましい。
でも、学校に行ってるだけ良いやと自分の中で思ったら楽になった。
本人が、学校へギリギリに登校するのが自分で「嫌だな」と感じたら自分で変わっていくと信じることに私はした。

そんな日が続いて、朝の時間が以前よりも穏やかに流れだす。
朝起こさないと起きないという事に変わりはないが、子供達もなんとなく違うのが分かる。

そう実感するようになって、子供の心の中にきっと「わだかまり」としてあるだろう話を今の段階で一度、伝えようと思った。

パパは離婚する前、二人をとても大事に思っていたよ。


旦那と離婚したのは、息子が小学校1年生、娘が1歳の頃だった。
娘はパパの記憶がほぼ無いが、息子には大好きなパパの記憶がある。

小学校の中学年の頃に離婚についてのお話はしたことがあったが、中学生になり、娘も中学年になったので今のママの思いを子供達に伝えることにした。

*****

2人には周りのお友達には居る、パパが居ないね。
これは、ママとパパのせいであって、2人にパパが居ないという寂しい環境を作ってしまって、ごめんなさい。

でも、パパが居ないという環境は2人のせいではないこと。
周りに何か言われるような事があっても、それはママとパパの問題に2人が巻き込まれてしまったこと。

パパは2人のこと、とても大好きだったし、お兄ちゃんはそれも伝わってたよね。妹の〇ちゃんはパパの記憶がないかもしれないけど、2人のこと大好きなのはママにも伝わってたよ。

お兄ちゃんは、ママに気にせず、パパのこと大好きでいて良いんだよ。

ママもパパの事とっても大好きだったんだ。
でもね、一緒に生活していく上で、色んな嘘が沢山増えてしまった事。
パパには、そうしなければいけない理由があったのかもしれない。
でも、真相が見えない中で、じいじ、ばあばにもとても迷惑をかけてしまった。何より、ママがパパを信じられなくなってしまった事が原因だった。

それはね、「大人の事情」だけど、ママは1つだけとっても伝えたいのは、嘘にはついて良い嘘と、ついてはいけない嘘があると思う。

嘘が嘘を隠す為にまた嘘をつく。次第にそれは、大きく信頼を失うものになることがあるという事。2人とも、それは気を付けようね。

ママは2人が大きくなって、もしパパが存命であり会いたいと思ったら会っていいと思ってる。

ただ、そうだなー。ちょっとヤキモチ妬いちゃうかもしれないな?(笑)これは本心だけど、親と子の関係、ママと2人があるように、パパと2人の親と子の関係は尊重するから。

2人は、パパのこと、大切に思っていて良いからね!

*****

この話を終えた後、娘にはやっぱり少し難しかったかもしれないが、息子の表情はトーンが明るくなったことを感じた。きっと、ママに気を使ってパパに対する思いも自分の中で沢山巡らせていたのであろう。少し勇気のいることだったけれど、伝えて良かったと思う。

子どもから感じる、ネガティブな思い。わだかまりをキャッチしたら。それをほぐしていきたいなと改めて思う機会となった。

お部屋に「お花」のある生活

朝の空気の入れ替え、お部屋のお掃除が定着してきた頃。段々と寒くなる事もあって、窓を開ける代わりに何か良い影響がありそうなものをと考えていた。

祖母が亡くなってから、月命日にお花を手向けにお花屋さんへ行く機会が増えた事もあり、お手頃価格のお花を購入した。

今まで、切り花をわざわざ買って部屋に飾るという事をしてこなかった。経済的にもお花なんて買ってる余裕…ない。と思っていたが、お部屋にお花があるってとても良いと気付く!!(笑)

いや、お花が「高波動」とは昔聞いたことありましたよ!!でもその時は全く興味も無いし、そこにお金使うなら違う所に使いたいと思っていた。

いや…何か今までの自分の娯楽費を少し回してでも、お花をお部屋に飾っておきたい。私に与える良い影響力が有り過ぎた!!

全然生活的にはゆとりがある訳ではないのに、お部屋にお花があるだけで、とっても生活に「ゆとり」を感じる。その感覚的に感じる「ゆとり」が多分とっても心身に良い。

娘の習い事の帰りに、個人で営むお花屋さんに寄るのが定番となった。今回はどれにしようかと、二人で笑顔を浮かべて選ぶ。いつかの帰り、今日も店員のおじさん嬉しそうだったね!!と娘が言う。そうだね、コロナ禍であんまりお花売れてないのかもしれないね。だから〇ちゃんが買いに来てくれた事が嬉しかったのかもしれないねと伝える。

彼女の中で、大人になる中で大切にしてほしい思いに気付いてくれたらなとママは思っていた。

そんな生活が2ヵ月ちょっと続いた頃だろうか、とうとう私の身体である現象を実感する事となる。

額に映し出されたヴィジョン

それは、就寝前にストレッチを済ませ、暫くボケーッと仰向けになり目を閉じていた時に起こった。

息子が友達と通話をしながらオンラインゲームをしていた。
何かの拍子に息子が噴き出し笑いのように「ブッは~はははは~~~!!」と笑った瞬間。その「ブッは~」の破裂するような「ブッ」が私に響くように息子が位置する右側の額にジワジワジワ~と青と白い色が見える
それが空の青と雲の白だと認識出来る辺りで広がった左隅に青空を嬉しそうに見上げる息子の顔が映し出されたのだ!!人物は色味が暗かったが、特徴のある輪郭と頬の上がり方、瞬時に息子だと分かった。

ビックリし過ぎた。彼の放った「音」の周波数が私に伝わりそれがヴィジョンとして見えたのだ。とても感慨深かった。
私の状態がニュートラルに近い状態であった、見えたものが彼の感情による喜びの現れだったのか?それとも私が息子の笑う声に喜びを感じ見えたものかの判別まで今の私には出来ないが、目に見えないものを介し私に伝わった。

音の余韻が消えるように、3秒ほどですぐに消えていってしまったが、この現象は私にとってとても大きな衝撃だった。魂の成長により、能力は開花していく。そう思って仕方なかった。

そして、「幸せの周波数」は「笑い」も含まれてるよ~!と点と点を繋げて貰った気がする。(本当にありがとう。目には見えないけど、私の中の私が少しずつ私に教えてくれる。)

これを機に、私は苦手な瞑想を少しずつ始めるきっかけとなった。
そのことはまた別の記事で書きたいと思います。

せっかく素敵な現象を頂いたので、私はまた1つある試みをすることにした。

就寝前に笑いの高いエネルギーに包まれてから寝る習慣

うちは今だいたい平日は22時に子供2人と川の字になって寝る。前までだったら、もう早く寝るよ!!と催促しながら眠りについていた。でも、折角なら良いエネルギーに溢れた状態で、眠った方がその余韻が眠っている間に他に害されず心身に良い影響があるのではないか?と考えた。

いや~、ちょっと恥ずかしいくらいしょうもない内容なのですが、誰かが「オナラ」をしますよ。「ぶぶ~っ」と、そして「あ、神の調べだ…」と私が言う訳です。子供達は「え?!何で神なの?」って反応します。ママは「だって、オナラ聞いたら笑っちゃうじゃん?授業中誰かオナラしたら、誰だよ~!!と思いながらも笑い堪えるでしょう。周りに強制的に笑いを促す。神さまからのプレゼントじゃない?」と言うと、ママしょうもない事言う~と思いつつ。口でオナラの疑似音メロディー合戦が始まるのです。
しょうも無いのに、ひとしきり笑って楽しかったと眠りに落ちるのです。

まぁ、毎日オナラネタでは無いですが、何かしらのくだらない話を笑いながら眠る日は今でも続いています。

単にコミュニケーションが増えたからという見解。でも眠る前に笑ってから眠る心への影響はとても大きいと実感している私が居る。だから今でも止めてないし、子供も前より心が緩んできてくれてるなと感じます。

私自身も、そんな笑いの後に就寝出来るなんて幸せだと思う。



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