見出し画像

退院する迄の5日間

8月5日から10日迄入院していました。
事の発端は8月4日の午後3時過ぎ最初の下血。
ランチタイムが終わり、明日の昼の献立と夜の準備、自分たちの賄い休憩等過ごしていた時の突然の出来事。
普段とは違う血便にびっくりしたが消化不良で色素が出た程度的な自分勝手の思い込みでその後、午後5時過ぎから短時間で8回も下血。
お尻からずっと何かが溜まり、ゼリー状のものが排泄される感じでした。
腹痛も気分も自覚症状は何も無く、でも何が何やら便器が真赤に染まっていて病院に3件ほど電話。症状の旨を話すと時間的に救急に連絡して内視鏡等検査をしてくれる病院を探してもらった方が良いと言われ119番をしました。

午後6時過ぎ頃救急隊が到着。
コロナ禍で医療がひっ迫している最中申し訳なさと、本当に受け入れ先の病院がみつからないのだと実体験しました。
救急で搬送されたのが午後7時過ぎ頃。
そこでCT検査と緊急の治療を受けました。
この時この大きな病院は満床で入院の受け入れが出来ませんでした。

※受け入れ先の病院探しの時※
2時間近く病院のERで治療を受けた後、受け入れ先が決まりました。
ホッとしたのも束の間トイレに行かないと多分ダメだと伝え排便した所、我慢したつもりは無いのだが異常なほどの下血が溜まっていて一気に意識が低迷し、便座から起き上がれなくなってしまいました。
少し横になって落ち着いた所、救急車に運ばれ、別の救急隊が片道40分かからないで命を繋いでくれました。
本当にありがとうございます!先の救急隊も感謝です!

※自宅から数えると電車で1時間以上の病院に※
入院できる病院のERで救急隊が引継ぎの手続きをして、そこでしばらく緊急の止血剤やらなにやら検査と治療をしました。
途中便意がありトイレに行かせてもらった。
今度は意識が朦朧以前に飛びそうになって、息も絶え絶えになってしまった。
緩和になるよう適切な治療、投薬をしてもらい一命をとりとめてくれました。

無事にベットに運んでもらいました。
日付はもう5日になってました。
本当に医療の現場に立たれている方、関係者の方々は大変な時代を駆けているなと感じます。疫病が全ての根源では無いにしろ大変な時です…。

入院した5日から7日迄絶食と止血点滴治療が始まりました。
結果体重は10㌔以上おちて、ほぼ寝たきりのせいで身体は脱力と普段出来た事が少しだけ困難になりました。
排便時に下血の有無と日々の採血での数値で安静にしてなければいけないのだ。
6日の採血の結果が望ましくなく輸血が決定される。
6日と7日、二日かけての輸血になった。
その後数値はある程度正常には戻るものの、そこから平均値にはいかないのだ。

8日から流動食が始まり、9日には低残渣食から5分粥食になった。
8月11日祝日の位置が丁度良い退院日時をせき止められ、医師と相談して早期退院になり10日の午後退院した。

今後の経過生活、
しばらくは自宅療養で食事に気を遣う。なるべく負担のかからない刺激の少ないものを食べる事。
今の段階苦ではなく、むしろ今日まで病院の食事でげっぷをするほど満たされていたので多分そんなに今は食べられない。
運動等身体を動かす事とかは制限されてはいないのだが、まだ身体がついていってない。
急な退院でもあり付き添い無しで電車と歩きで帰ってきたのでそれだけでも疲れてしまった(良くない事で、本当はタクシーとかで帰った方が無難だが、私にとって車は一番酔いやすいので避けた)。

だから少しづつ回帰に向かえるよう少しづつ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?