コロナ禍で存在を消された私たち 現場の医療の限界 〜海外の事例、代替療法を探して〜

「コロナ前の出会った医師は、優しい医師が多かったので、とても衝撃的でした。」

これは記録者の一人が、2020年のことを改めて振り返り、会話の中で漏らした言葉である。
コロナ禍の前までは優しく診察してくれた医師が、「コロナではない」と軽くあしらったり、笑って見下してきたり、呆れられたり、キレられたり、患者がコロナ疑いとなった途端、医師の態度が急変してしまったことを私たちは目の当たりにしてきた。中には何年も通院し信頼していたかかりつけ医が、そうなってしまった記録者もいる。

海外では、罹患後の症状が長いという意味から、早々にLongCovidという名称が付けられていたが、冒頭の記録者の「衝撃的」という感想は、何も「患者」だけではなかった。海外の事例ではあるが、未だ数少ない「LongCOVID」というタイトルのついた日本語の論文『“LongCOVID”(ロング・コビッド:新型コロナ後遺症)-患者によってソーシャルメディアから生まれた新しい病名-』(*1)の中で、海外の論文や記事をうまくまとめているので、一部紹介したい。
この論文の中で塩崎氏は、海外の事例を元に私たち(検査難民の存在)のことについても言及している。

「Long-COVIDの罹患率について多数の調査で行われているが、研究によってはCOVID-19の‘患者’とされる対象者のうちの相当数は、実際には感染したと思っている自己申告の患者で、SARS-Co-V-2の抗体検査を受ける機会に恵まれず、医療へのアクセスもなく、したがってカルテなどの医療情報も一切ないままに自宅療養していた人々である。このことが、正確な調査をする際の大きな障壁となっている

と。そして、私たちに対する必要な対応として、Alwan et al.(2020)は、38人の共同執筆者とともに、イギリス医師会雑誌であるBMJ(ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル)に「患者である医師より:COVID-19の持続する症状に取り組むためのマニフェスト」(*2)と題した論文を投稿した。その中で、治療や研究が適切に行われるよう複数の条件をあげているという。その一部に、下記のような提示がなされている。

・死亡率ばかりに注目せず、持続する症状による打撃は無視できないものであることを認識すること
・医療が切迫していた中で自宅療養せざるを得なかった多くの患者も調査対象に含めること
抗体検査が陰性であることを根拠に診療を断らないこと
・医療サービスの在り方や研究に患者の声を取り入れること

また、記録者が漏らした「衝撃的」という感想は、罹患した多くの医療従事者も同じであったという。
塩崎氏は、ある精神科医(Susan)が罹患後1ヶ月後も続く動悸と息切れについて、呼吸器科を受診すると不安が原因として、抗不安薬を処方されたことを例にあげながら、感染した多くの医療従事者が、医師に信じてもらえなかったことは、目から鱗が落ちる体験であっただろうと記している。
また、500人に及ぶ医師だけのLongCOVIDのFacebookグループの中で、ある医師は、

「このような症状に苦しんで、その証拠を見せることができない状況は、患者にとって悪夢というほかないことが容易に想像できます。」

と言ったという。

このように、日本では2021年12月になってようやく、自宅療養者への調査対応の指摘や、陰性を理由に診察を断らないようにという海外の事例を元にした医療社会学的分野の論文が発表され始めた。
これらのことからも、当時の日本の情勢やメディアの一部報道等の「社会」にこそ疑いの目を向けるべきであって、医師が患者「個人」の訴える症状を疑うべきことではないことは明白であった。

記録者の一人も、身内から初めて「エビデンス」という言葉を聞いたとの記述があったが、医療におけるエビデンス(根拠、証拠)とは、EBM(Evidence-Based Medicine、科学的根拠)の実践として使われ、「臨床判断という医療の個別プロセスに、いかにしてエビデンスという一般情報を利用するか」という方法論である(*3)。
この一般情報とは、確率論や統計のことを指し、「未知のウィルス」が日本に上陸した時点で、この確率論や統計からはみ出る患者が出ることも想定しておかなければならなかっただろうし、既存のエビデンスは通用しない事態になる可能性を念頭に置くべきなのは自明の理であった。
私たちに対する医師の反応は、患者の症状や声を聞かずに、いかに従来のエビデンス(もしくは、第5章に記すその他の何かの意図)に頼る診察をしていたかという証拠でもある。
医師側から見れば、エビデンス重視の診断に頼ったのは、医療事故等の裁判を起こされるリスク回避など医療者自身の保身や、独自の見立てがやりにくいという風潮もあったのかもしれない。

しかし、記録者の中にも、「分からないことは分からないと素直に言える医者が少なかったのではないだろうか」と述べた者もいる通り、医療人類学者のヘルマンも、医師―患者間の問題の一つとして、

「近代医療特有の、測定可能な身体的データばかりを強調する疾病の見方は、心理的・道徳的・社会的側面を無視してしまう」

(*4)と述べている。
つまり多くの医師は、血液検査など測定可能な数値でのみ診断の答えを導き出そうとしていたに過ぎなかった。今現在、測定不可能だからといって、記録者にも内科で心因性と診断されるも、心療内科で心因性を否定された者もいるように、本来、即座に心因性等と言えないはずである。「検査で異常が出ない」「エビデンスがない」イコール、「感染の否定」や後遺症の「心因性」に繋がるわけではない。また、それがすなわち、心因性の診断を下すという医師の特権を振りかざすことではない。
波動治療(振動医学)を取り入れているクリニックに通う仲間によると、「血液検査で分かることは少ない」との説明を受けたと話す。血液の状態は測定時点の数値に過ぎず、あくまでも参考程度とのことだ。近代医療、すなわち現代医学(西洋医学)のみの狭い視野による診断ではなく、東洋医学からの視点、周波数といった一歩先に進んだ測定、もしくは「食生活の指導」という原点に立ち返るなど、患者と向き合い柔軟な姿勢の医師と出会えた仲間は、症状も回復傾向にある。
「分からない」ことを患者と共有し、一緒に考えていき、患者の健康に対する意識を変え、ゆくゆくは通院からの卒業、そんな医師こそが真の医師であり、患者の声を中心に交えた医療のあり方ではないだろうか。つまり、新型コロナウィルスが問いただしたのは、これまでの医師―患者という関係性のあり方に対する問題提起、すなわち、医師と患者との双方の平等な「対話」の重要性エビデンスに対する柔軟な考え方の必要性であった。

2020年当時の私たちは、上記のような既存のエビデンスを重視する現場の医師の対応により、自然と代替医療に頼らざるを得なくなった。
記録者の多くも実践しているのは、食事療法、東洋医学(漢方薬など)、鍼灸治療や整体院に通うことである。これらを生活に取り入れることで自然治癒力を高め、身体のベースアップを図り、結果的に後遺症を治すという試みだ。
そもそも、現代医学とは西洋医学であり、西洋医学とは「命のない」臓器などの解剖から始まった学問で対処療法である。対処療法とは、「悪」を検査などで見つけ出し、悪を「排除」するために抗生剤などを投与したり、手術で切り取ったりするものである。
私たちが処方される「西洋薬」には、必ず副作用の注意が書かれている。睡眠薬の副作用に不眠、頭痛薬の副作用に頭痛…、今回、私たちが薬を飲むことでこういった副作用の面が強く出てしまったという声も多い。とは言え、西洋医学の全てを否定する訳ではなく、自己免疫で対応できないなど「緊急」の場合は有効な医療である。

東城百合子さんの「『免疫力が高い体』をつくる『自然療法』シンプル生活」から引用する(*5)。

病気の正体は、体を悪くするような食や生活習慣が少しずつ積み重なり、そこから“育った枝葉”です。
医者に病気という枝葉を切り落としてもらっても、その枝葉を育てた根を変えないことには根本的な治療にはなりません。”
“いま見えている「枝葉だけを何とかしたい」ではなく、自分が歩いてきた過去の食や生活習慣を見つめ直し、ライフスタイルを改革する努力と時間が必要なのです。”
“素直に根っこを張り直す人は、どんな病気でも治る人です。”

悪くなった枝葉を切り落とすのが西洋医学だとしたら、根を張り直す、つまり土を育てるのが食や生活習慣の見直しと言える。

前項に記載した通り、肝硬変が悪化した仲間は食事指導や生活指導をしている肝臓医の元へ通い、食事で数値を元に戻すことに成功した。肝臓だけでなく、後遺症として抱えていた倦怠感も消え、体調もどんどん回復したと話す。「食」ならば、西洋薬のような強い副作用の心配は基本的にはない。
記録者の記述にも複数あるように、腸内環境が悪化したことにより、食事と向き合った仲間は多い。腸がコポコポキュルキュル鳴る、お腹にガスが溜まる、おならが増える(臭いも強い)、舌が白くなる、味覚がおかしい、強い腹痛、体重が激減する(10kg以上減ったという声も多い)、食べるとすぐ下痢になるといった症状から、まずは腸に負担のかけない食べられるものを探すことから始め、徐々に食の奥深さを学んでいく仲間も多かった。

食事療法といっても、現代栄養学のような、「減塩する」「エネルギー計算する」といったことではなく、もっと生命の根本的なところを見る必要がある。塩も人体や生命にとって欠かせないものであり、自然塩といったミネラルを残した製法で作られる塩は、むしろ摂取すべきという研究もある。減塩ではなく、自然塩を選び摂取したことで皮膚症状が治ったり、高血圧が治ったりと、良い塩による身体の良い変化は、Twitterなどでは多く声が上がっている。
日々の食事においては、パンやうどん等の小麦製品、ハムやソーセージなどの加工食品、糖分ばかりの清涼飲料水といった、私たちがスーパーやコンビニで簡単に手に入れられるものから、野菜を中心とした日本食に切り替えることが大切である。加工食品に書かれている「原材料名」にも目を通してみると良いだろう。普段自分が食べているものは何から作られているか、よく向き合ってみてほしい。
記録者にもいるように、農援して土や菌と向き合いながら有機の野菜づくりを始めたり、ほとんど放置していた畑を再開したり、プランター菜園をしたり、自然食品店で無農薬野菜や本物の調味料を買うようになったなど、「食そのもの」と向き合い、生活を変えた者は多い。

また、漢方薬についても一言だけ言及しておきたい。後遺症に苦しむ身体の弱った者が、ネット情報から自己判断で市販の漢方薬を飲むことはできれば控えてほしい。仲間の中には自己判断で漢方薬を飲んだことで体調を悪化させてしまった者もいる。日本では薬局でも簡単に漢方薬を買えるし、内科などあまり東洋医学について詳しくない医師でも、漢方薬の辞典をペラペラとめくって、文字で判断して処方する傾向にある。
東洋医学とはもっと奥深いものがあり、患者一人ひとりのその時その時の状態を詳しく観察し、細かな調合をして処方するものである。体の状態を細かく観察しながら調合してくれる漢方医の元に通う仲間によると、1週間単位で調合の割合や内容が変わるとのことだ。
調合済みの漢方薬が悪いという訳ではなく、きちんと患者の身体を診る、例えば舌の状態、皮膚の状態、手に触れるといった漢方医や、機器を使って個々の身体に合う漢方薬を測定することが出来る医師ならば安心できるだろう。

最近はコロナ後遺症の治療法のひとつとして、慢性上咽頭炎に対するEAT(Bスポット治療)も着目されつつある。実際に私たちの仲間にも、何度も治療に通うことで倦怠感などが和らいだという声がある。ただ、EATを行っている耳鼻科の少なさや、施術者(耳鼻科医)による技量の差、施術には出血や強い痛みを伴うこと、仲間の中にはEATをしてから体調が悪化した者など、EAT自体の認知の低さにより地域格差などの懸念はある。

このように、現代医学(西洋医学)を中心とした医師に「頼る」「依存する」といったことをやめ、食事指導や生活指導の出来る医師の元へ通院先を変えた者は何名もいる。通院せずとも、自発的に食や生活と向き合い、食生活の大切さを実感している記録者や仲間は多い。また、鍼治療やお灸、整体院に通うといったケアを続ける方法を選んだ仲間も多い。ヒーリング方法としては、写真セラピー、528hzの音楽を聴く、呼吸法や瞑想など、各自自身に合ったことを取り入れ、日々「当事者」という視点で治療に励んでいる。

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