スロバキアーブラチスラバ①
スロバキアにたどり着くまでが非常につらかった。飛行機での長時間移動はなれたはずだが、いつまでたってもつらい。
深夜12時直前に日本を出発して、14時くらいにスロバキアに着いたので8時間の時差を計算に入れると、およそ丸一日かかった計算になる。
中継地のドバイでは、人生で初めてあれほど大勢のムスリムの人を見た。
また、彼らの着ている独特の白いワンピースのような衣装にも彼らの顔同様、微妙な違いが存在していることに気づいた。
ドバイ空港では到着した場所から、次の飛行機の場所であるFターミナルまでバスで移動したのだが、それが遠かった。30分ほど乗っていたと思う。そしてそこら中にエミレーツ航空の二階建ての大きなジャンボジェットが停まっていた。流石はオイルマネーだ。ただ、その成長速度に空港整備が追い付いていないのか、移動が大変で、待合場所も席数が十分ではなく立っている人が多くいた。
ドバイからスロバキアの首都ブラチスラバまで直通の飛行機に乗ったのだが、顔が平たいアジア人は私ひとりであった。私は片側三列、計六列の一番左窓側の座席であり、隣には母親、息子、娘、祖父母夫婦のスロバキア人家族が座った。なぜかその家族は5歳の一人息子を私の隣に座らせた。彼が不思議そうにちらちらと私の顔をのぞき込んできたので、スロバキア語で一言二言挨拶すると母親の方を振り返って、さらにスロバキア語で何か話し始めた。平たい顔をした私がスロバキア語を話すのがよっぽど奇妙に映ったらしい。そして、息子ではなく母親がスロバキア語で返事をしてきた。息子の方はThank youと言ってきた。外国人はみな英語を話すと思ってでもいるのだろうか、まったく可愛いやつだ。
息子は長旅で疲れているのかすぐに寝たが、寝相が最低だった。最終的には私の太ももに頭を置いて寝ていた。そして、目が覚めると見知らぬ人が目の前にいるのが怖いのか母親に抱き着いてキスをせがんでいた。
結局最後まで私と彼の間の距離は縮まらず、友達でもない年に一度しか会うことのない親戚同士のような奇妙な関係に落ち着いた。飛行機から降りても彼は私の方をちらちらと見てき、私もそれに応えるように微笑みかけた。
空港から町までは電車に乗って行けると前情報で調べていたのだが、どうやらバスのようだ。バスのチケットの買い方が分からず二本バスを乗り過ごした。二本乗り過ごす間も問題は解決せず、これは誰かに聞くしかないと思ったが、皆バスでどこかへ行ってしまい周囲に誰もいなくなった。そうすると向こうからかなり身なりの汚いビニール袋をぶら下げたおじさんが来た。仕方がないので彼にチケットの買い方を聞くと、これを買えばいいと教えられた。彼は私の質問に答えるとゴミ箱を漁ってどこかへ行った。
バスの時刻が近づいてくると続々と人が現れた。注意深く観察していると誰も私が買ったのと同じチケットを買っていない。どうやら私が購入したのは子供用チケットだったようだ。仕方がないので、再度チケットを購入しバスに乗り込んだ。
目的の駅は終点なので特に迷うこともなく、ただひたすら揺られた。
周囲に倣いバスでは乗車時にチケットを機械に通しただけで、チェックされることもなくそのまま降りた。ときどき抜き打ちのチェックがあるのだろう。
終点から目的のホテルまでは10分ほど歩いた場所にある。ただよくよく見てみると終点の一つ前のバス停で降車した方が近かったようだ。まぁ終点とした方が迷う人が少ないから、ホテル側もそうしたのだろう。
初日は長旅で疲れていたので、倒れるようにそのまま寝た。
二日目は観光地をいくつか巡った。古い地区がそのまま残っている街の中心部に行ったり、特徴的な逆三角形の形をしているテレビ局の建物やUFOみたいな展望台が上に乗っかった橋を見たりした。
一番の名所であるブラチスラバ城へは行かなかった。ただでさえ観光名所が少ないブラチスラバでは通常一時間もかければ十分なものでさえ、一日をかけて見なければすることがなくなってしまう。
本当に世界一退屈な首都と云うのはあながち間違いでないかもしれない。
今までのように毎日更新してもよいのだが、まだそこまで退屈しきっていないので、しばらく更新は三日に一回ほどにしたい。
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