香港のチム(尖沙咀)にインド人が多い? 醗酵タンドリーチキン:山弁
日本ではインドからのIT人材が増えてきているそうだ。
「リトルインディア」と呼ばれる西葛西エリアが出来たぐらい日本にはインド人が多く住んでいる。
香港では昔からインド人が多かった。
特に『尖沙咀 チム サー チョイ (チム)』エリア。
有名な香港映画、「恋する惑星:重慶森林」の舞台となった場所だ。
そこにある『重慶大厦 チョン ヒェン ダイ ハ(チョンキンマンション)』にはたくさんのインド系、パキスタン系、更にスリランカ系の人々が住んでいる。
父の会社はチムにあった。小さい頃『彌敦道 レイ デゥン ドォ(ネイザン・ロード)』にある宝石店の前、銀行の前に通る度に、ターバンを巻いたインド人警備員が私たち子供たちにウィンクをしてきた。小さい頃はそれがとても怖かった。よく、母の後ろに隠れていた。
(画素の引用元:http://www.pocketpageweekly.com/feature/9213/)
香港にインド人が多い理由としては、1841年頃、香港がイギリス植民地になったばかりの時の話だ。
警察が人手不足だったため、同じイギリス植民地だったインドから印度人を雇って警察を増やしていたからだ。
母によると1950から1970年代は
印度人の警察がとても多かったようだ。
1970年代の香港は、あまり治安がよくなかった。
強盗、窃盗、すりなどがたくさんあった。母は2度強盗に物をとられたり、私のマンションに泥棒が入ったりしたこともあった。
最近の香港も治安があまりよくないようで
強盗や殺人事件などのニュースをよく聞く。
香港の方言で印度人の呼び方は『亞差 ア チャ』。これは決して良い表現でない。
不快・差別用語であり、2008年には香港《種族歧視條例》差別条例法が立法され『亞差 』を言うと誹謗中傷とみなされ、法的措置の対象となる。
(画素の引用元:http://www.macaodaily.com/html/2021-05/06/content_1514237.htm)
しかし、なぜ『亞差』と呼ばれていたのか?
色んな説があり、その一つをあげると、香港警察の別名『差人 チャイ ヤン』と呼ばれていて、当時、インド人の警察が多かったため、インド人を指す「亞差」という漢字を用いて、インド人のことを『亞差』と呼んでいたらしい。
(引用元:http://robinleung.blogspot.com/2011/06/blog-post_05.html)
チムにある道『Mody Road』という名前はインド系の資産家、スターフェリーの創立者
Sir Hormusjee Naorojee Modyの名前から取ったそうだ。
たくさんインド人がいてもインド料理は、香港ではあまり流行らなかった。
全く流行らなかったという訳ではないが、香港では日本のようにカレーはそれほど人気がない。
私がまだ香港に住んでいた頃、マレー系のカレーしか食べたことがなかった。
インド料理はオーストラリアに渡ってから肉屋さんで味付けしたタンドリーチキンがあり、それを買って帰ってオープンで焼いてた。
タンドリーチキンは私の最初のインド料理だった!
パンの先生、堀田先生のところで習った湯ゲル種とヨーグルト種を合わせてタンドリーチキンの漬け床を作った。漬けた鶏肉はしっとりしてジューシーで柔らかい!冷たくても美味しい!ハイキング山弁に最適。
https://www.instagram.com/reel/CkgZOUXpv0O/?igshid=YmMyMTA2M2Y=
山に持っていくごはんは梅干しと一緒に炊くと、腐敗しにくく、抗菌作用が高められる。さらに、肉はヨーグルト種で発酵したものですから、腐りにくい。次回の記事は発酵タンドリーチキンを紹介したい。どうぞ、動画を見て下さい。
動画リンク
ヨーグルト種の記事はこちらになります。↓
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