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たけのこイエローカレー

「こんにちは、仁一です。ごはん、食べた?」

夫の家系は代々田舎のお寺を守ってきた。

亡き姑は、その田舎の山寺で三男として生まれた。

年の初めに、亡き姑の兄である次男のお坊さんが静かに息を引き取り、久しぶりにお寺で新盆を迎えた。

思い返せば、前回のお寺の新盆は住職である叔父の奥様のお葬式のときだった。

もう15年か、それとも17年も前のことだろうか。

そのとき、義母は「お寺のお手伝いはこれで最後だ」と呟いていたのに…

会社がお盆休みだったこともあり、仁一ジュニア2号の「背釃五」はオーストラリアの婆婆の家に遊びに行っていて、東京にはいなかったし……

たまには嫁業をしないっと……

お墓の掃除から始めることにした。

黒い大理石を炎天下の中でピカピカになるまで磨き上げ、裸足になって、良い汗を流した。

お墓に住み着いている小さなカエルちゃん

新盆なんですが、お坊さんの家系では、通常、現住職が中心となって新盆やその他の法要を執り行うものだ。

しかしこの日は、現住職が新盆参りで多忙を極めており、初日だけ親戚に手伝いを頼むことになった。

お寺の本殿に上がると、迎えてくれたのは叔母一人だけだった。

いつもは大勢の人で賑わうはずなのに、結局その日の手伝いは、叔母、私、義母の三人だけで。

義母は昼過ぎから参戦。

だが、叔母を除けば、そこにいたのは血の繋がっていない「他人」ばかりだった。

叔父の子供たちは

長男はいるけれど、いないも同然。
長女はいるけれど、病気。
次男もいるけれど、養子に行った。

人間関係というものは、実に複雑。

家族という形があっても、必ずしも円満な関係が築けるとは限らない。

仁一はあえて
ノーコメント
ノータッチ
ノーリアクション
を貫いた。

仁一には関係ないから。

……

このお寺は、自分にとって辛い思い出の場所でもあった。

真冬の1月のある日

ここにはお湯も出ず、トイレも掘り穴式だった時代。

お寺のおばあちゃんのお通夜、真冬の雪が降りしきる中、凍り水でお皿を洗い、酔っ払ったお客様にお酒を注ぎ、食べ物を運び続けた。

義母は床まで拭かせていた。

その時、動いていたのはすべて女性たちだった。

男性たちはただ飲んで食べているだけ。

外人の仁一、さらに外資系企業で働いていた自分は、この光景がとても受け入れがたく、女性に対する軽視、それは性差別を背景にした社会構造の問題だと強く感じた。

もう我慢が限界!

その場に居たくなくなり、涙をこらえきれずに外へ飛び出した。

「もう東京に帰る!!!」

そう言いながら、深々と雪が降る暗い道を涙を流しながら去っていったことを、今でもはっきりと覚えている。

そのとき義母は「もうお寺のお手伝いはしばらくないから」と言った。

……

蝉の鳴き声と扇風機の音が響く中、お客様が次々と訪れた。

仁一は、お布施を持ってきてくださった方々に「お暑い中、どうもありがとうございます」と感謝の言葉をかけ、粗品を手渡していった。

すっかり日本の礼儀を自分の体の一部になった。

お坊さんの家系だからか、新盆の初日には100名以上の方々が訪れた。

夕方になり、ようやく四男の叔父と現住職もお寺に戻ってきた。

落ち着いたところで、私たちは5人でお茶を飲みながら、お寺の昔話に花を咲かせた。

昔、このお寺の裏には「動物園だっぺ」と叔母が話してくれた。

「そうだっぺよ!牛(ウジー)、山羊(ヤギー)、鶏(ニーワドリ)、豚(ブター)、なんでもいったっぺ。動物を育てて売ったお金で、子供たちの教育費にしたっぺよー」

昭和初期のこの山のお寺は、貧しかったのだろう。

タバコを栽培して売ったり、梅の木を植えて梅を売ったり、桐の木を植えてそれも売ったりしていた。

全てお金になるため。

「たけのこもたくさんあってねー、おからと塩で漬けて保存していたっぺー。これが美味しかったんだよ」と叔母は言った。

どんな味なのだろうか? たけのこのおから漬け?

食べてみたいものだと思った。

叔母が義母に、「ハ◯◯さん、たけのこのおから漬けを作って仁一に食べさせたら?」と言った。

(義母は現役バリバリの社長だから、料理なんてしないのだけれど???)

そして

お寺のお手伝いは本当にこれで

最後


亡き姑が生まれ育ったこのお寺も、他人の住職様に引き継がれ、代々お坊さんの家系もこれで終わりを迎える。

もうこの家系はお坊さんがいない。


叔母を車で家まで送り届けた。

すると、1万円を塵紙に包み、無理やり私に押し付けてきた。

「仁一、本当にありがとうねー。お手伝いに来てくれて、ありがとう」

叔母は欲がなく、平凡な主婦だが、自分の現状に満足している。

事を荒立てず、みんなと同じように、平穏に生きるだけ。

とても優しい人だ。

そんな叔母のことが好き。

そのように義母に言ったら…

「でも、叔母さんの家では、誰も大学に行っていなかったよね…」

と義母が何気なく放ったその一言がやけに胸に引っかかった。

まるで針で突かれたように。

「余計なこと」っと内心つぶやきながら、その言葉を飲み込んだ。

たけのこのおから漬けを食べたことはないが、淡竹が大好きで、タイイエロー淡竹カレーをよく作る。

もちろん、ハイボールの当てのため!

แกงเผ็ดหน่อไม้
ゲーン・ペッ・ノーマイ 
タイイエロー淡竹カレー


材料 (2人前)  
- ココナッツミルク 100ml  
- イエローカレーペースト 大さじ1  
- 茹で淡竹 100g  
- ナンプラー 小さじ1  
- きび砂糖 小さじ2  
- 市販カレールウ 1/8個  
- ディル 少々  

<作り方:>
1. 中火でフライパンを温め、ココナッツミルクの半量を加える。ココナッツミルクに泡が出始めたら、イエローカレーペーストを加えて約3分間炒め、ペーストが黄金色になり、ココナッツミルクから少量の油が出てくるまで続ける。

2. 淡竹と残りのココナッツミルクを加え、かき混ぜながらカレーが沸騰するのを待つ。きび砂糖、ナンプラー、市販のカレールウを加え、よくかき混ぜる。最後にディルをトッピングして完成。

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