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「半自伝的エッセイ(15)」羽生九段の影響力

私がチェス喫茶「R」に足繁く通っていた頃、将棋界では羽生善治現九段が次々とタイトルを獲得し、また防衛も重ねていた。羽生九段の指し回しはチェスにも影響を与えていた。少なくとも「R」に出入りしていた面々には。

将棋は小学生の時に指したきりで実戦からはかなり遠ざかっていたものの、私も羽生九段の指し方というか考え方をチェスに応用できないかと、タイトル戦の棋譜は欠かさず見ていた。

羽生九段の指し回しでとりわけ魅力的に映ったのは、局面を複雑化するという考え方だった。チェスは将棋と比べるとシンプルな展開になりやすい。それを複雑にすると面白くなるのではないか。

そう考えたのは私だけではなく、駒が当たっているのにそれを放置し、別の駒を当てたり、まるで別の方面で手を作っていったり、あちらこちらで駒がぶつかり合う対局が「R」では見られるようなった。それはまるで将棋の複雑な中盤の局面のようだった。

「R」でチェスを指していた人たちは、おそらく子供の頃は将棋を指していた人が多かったのだろう。当時もチェスだけでなく将棋も指していた人もきっといただろう。そうした人の胸中には、複雑な局面を厭わないというか、好んで指してみたいという潜在的な希望があったのではなかっただろうか。

今、そうした対局を思い出せる範囲でソフトに解析させると、一手ごとに評価が先手後手に大きく振れたりする。かなりスリリングな対局だったことがわかる。当時指していても面白かった。

ネットで対局していてもそうした局面は滅多に現れない。それもそうだろう、こちらから誘導したとしても相手が受けてくれなければそんな局面は出現しない。一抹の寂しさを覚えると同時に、あんな指し回しはきっとあの時、あの空間だけで指されていたのではないかと思うと、なにか貴重なものにも感じられる。

文中に登場する人名等は全て仮名です(但し断るまでもなく羽生善治現九段を除く)。


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