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「半自伝的エッセイ(17)」バナナが聖母マリアに変わるまで

ロシアの土人形作家であるナタリア・ネポメンコさんの作品の相場を調べるため、あちこちのオークションサイトを覗いていた時である。どうにも気になる人形が目に留まった。おそらく検索ワードがいくつか共通していたのだろう、その人形の画像がロシアの土人形と並んで表示された。しかし、両者は似ても似つかない代物であった。かろうじて女性と見えるその人形は、やはり土を捏ねて作ったものなのだが、ロシアの土人形が愛嬌のある表情や明るい色彩が特徴である一方、その人形はなんと表現していいのか、一言でいえばグロテスクだった。半死の人を表現したようにも見えるし、最も深い絶望から立ち直ろうとしている人のようにも見えた。

私はなぜかその人形に見覚えがあった。どこで見たのか、まったく記憶がない。もしかしたら見たことがあると思い込んでいるだけなのかもしれなかった。でも、それは一度見たら忘れられない表情をしていた。

いつどこで見たのか思い出せないまま数日が過ぎた。やがてふとした時に、私の脳内にはその人形の画像が、浮かんでは消え、また浮かんでは消えるようになった。それと共に私の耳の奥には「バナナ」という音声が、耳鳴りのように聴こえるようになった。どれだけ連想を働かせても「バナナ」とその人形は結びつかなかった。思い出せないだけならいつか忘れてしまうだろうが、スーパーの果物売り場でバナナを見ても、その人形の姿形が思い浮かんでくる。

こうなるとその人形は私に買って欲しいと訴えかけているようにも思えてきた。仕方なく、というより何かに促されるかのように、ブラウザのキャッシュを辿ってその人形が競売にかけられていたサイトをもう一度見に行った。そのオークションはまだ進行していた。買おうと思えば手に入れることができそうである。ただし、それなりの出費を覚悟しなくてはならない。すでに日本円で五万円以上の応札を集めていた。残り二日できっともっと値段は上がってしまうであろう。

その時である。人形の説明欄に「Iparmuveszeti Vallalat」という文字列があることに気がついた。初めの単語はなんと発音するのかわからなかったが、二つ目の単語「Vallalat」はひょっとしたらその綴りからして私の耳に「バナナ」と聞こえてもおかしくないのではないか? この人形と「バナナ」が、かすかにではあるが、つながった気がした。

だとしても、私はその人形をいつどこで見たのか、そして誰がその人形と関連づけて「バナナ」と発したのか、やはり思い出せないままだった。そこでまず、藁にもすがるような思いで、というのは大袈裟にしても、取っ掛かりとしてはこれしかないような気がして、「Iparmuveszeti Vallalat」とは何であるかを調べることにした。

それは1960年代に数年ほどハンガリーに存在した陶器会社であることが判明した。陶器会社と言ってもかなり前衛的な会社であったらしく、職人というよりは芸術家の集団に近い存在で、今でも探し求める人がいる皿や花瓶を作っていた。一部の芸術家は人形を作っていたこともわかった。人形を作っていた作家の中にはその後、かなり有名になった人もいるそうであった。私はこうして調べたことをすでに聞いたことがある気がした。

ここまできて、ようやくその人形をどこで目にしたのか、記憶が蘇ってきた。チェス喫茶「R」のカウンターだった。それは今から三十年ほど前のことである。ある時、私はカウンターに座ってコーヒーを飲んでいた。私の他に客はテーブルに一組いたぐらいで暇な時間だったと思う。マスターがカウンターの向こうでカタログのようなものを広げて眺めていた。
「それは?」私は訊いてみた。
「ん?これ?」
マスターが差し出してくれたのは、ページ数の割には手に持つとずっしりと重たく、美術展の図録かなにかのようなものだった。各ページに五点ほどの写真とその説明、値段が印刷されていた。英語で表記されていた。どうやら海外のアンティークショップの目録らしかった。パラパラとめくっていくと、相当古そうなチェスの盤駒が掲載されていた。マスターはこれが欲しいのかと私は思った。
「これがお目当てですか?」
どれどれという感じでマスターが目録を覗き込み、私が指差した画像を見た。そして首を横に振った。
私はその目録を最後まで見たが、マスターが他に興味を示しそうな品物が思い当たらなかった。

「どれか買うつもりなんですか?」そう尋ねた私からマスターは目録を受け取り、しばらくページをめくり、あるページで手を止めた。そして、右のページの中程に掲載されていた、一枚の画像を指差した。それがあの人形だった。マスターはその人形の出自みたいなものを説明してくれた。その際に、「Iparmuveszeti Vallalat」なる会社の名前をマスターはおそらく言ったはずで、それが私の耳にはなんとかバナナと聞こえたに違いない。

「どう思う?」マスターが私に訊いた。
どう思うかと訊かれても私にはその人形が不気味なものにしか見えなかった。首をやや前に折り俯き加減のその顔の表情は、何かを悲しんでいるか、絶望しているか、いずれにしても楽しげな様子ではまるでなかった。全身と比較して短すぎる両手を肘のところで曲げ、胸を押さえていた。苦しそうであった。私はその印象を口にするのが失礼なような気がして、直接質問には答えず、「買うんですか?」と尋ねた。
「もう注文した。来月には届くんじゃないかな。それ、俺にはマリア様に思えるんだ」そうマスターは言った。
「これがですか?」と私は咄嗟に言ってしまった。マスターはそういえばクリスチャンだった。言ってはいけないことを言ってしまったような気がして私はマスターの次の言葉を待った。
「これね、十字架の下で嘆くマリア様に俺には見えるんだ。今までその場面のいろんな絵が描かれてきたけど、自分の中のマリア様のイメージは、この人形なんだよね。びっくりした。誰がこれを作ったのか調べたけどわからなかった。サインとかないしね。でも誰でもいんだ、そんなこと」
すでに注文したものをまだカタログで見ているぐらいだから、マスターはその人形が手元に届くのが待ちきれなかったのだろう。

マスターが買ったというその人形の実物は見たことがない。でも、私がオークションで見つけた人形と同じだということは、間違いがなかった。あれだけ強烈な印象を残す人形がこの世に二体とあるとは思われなかった。

しかしである、思い入れのある人形をマスターが自分で生前に売るとは考えにくかった。すると、マスターはもう亡くなっていて、遺族が古物商にでも売ったのだろうか。でもいきなり海外のオークションに掛けられるというのもありえないように思えた。すると、誰かの手に渡り、また誰かの手に渡り、そんなことが繰り返されて、そして今、競売に掛けられているのかもしれない。三十数年というのはそういう歳月なのだろう。

私はその人形を取り戻すことにした。取り戻すという表現はおかしいかもしれないが、私の気分はそう表現する以外になかった。オークションの最終日、私は早朝三時に起きた。オークションの終了時刻が日本時間の朝の四時前だったからである。眠い目をこすりながらパソコンを立ち上げた。さらに入札があったらしくかなりの値段になっていた。それでもまだ私にも買えそうだった。私は現在の最高値を五十ドル上回る金額で入札した。しかし、私の入札はなかったかのようにどんどん値は上がっていった。これが最後と私はまた入札した。それも易々と超える値段が次々に入札された。もう私には手が出なかった。最高値が次々と更新されていくのを、ただ指をくわえて見ているしかなかった。

その人形を落札する資力は私にはなかった。マスターに対して申し訳ない気がした。落札した人に、伝える術はないのだけれど、これだけは伝えたかった。

「その人形はマスターが聖母マリアだと思って大切にしていたものだから」

(この回終わり)

ロシアの土人形作家ナタリア・ネポメンコさんについては「半自伝的エッセイ(1)」 チェスと鳥の置物をお読みください。


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