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「半自伝的エッセイ(41)」完全なる双子

そんなに頻繁というわけではなかったのだが、チェス喫茶「R」には時折、双子の姉妹がやってきた。いつも二人で来た。やたら子供が多い世代の子供だった私は比較的双子には慣れていたつもりだった。小中学校を通して同じ学年には三組か四組の双子がいた。学年は違うものの近所にはさらに二組だったか三組の双子が暮らしていた。

双子とはいえ、少し遊んだりすれば、それほど時間が掛からずに区別がつくようになるものである。外見が瓜二つであっても話し方や咄嗟の時の対応に違いが存在したりするからである。

しかし、チェス喫茶「R」で出会った双子の姉妹、夏子ちゃんと春子ちゃんはいくら会う回数が増えても区別がつかなかった。まず外見での区別が困難であった。身長は数ミリも違わないだろうというぐらい同じであり、いつもお揃いの服装をしてくるし、髪型も同じであり、例えばどちらかにホクロがあるとか、眉尻が少し下がっているのが夏子ちゃんで、というような微妙な差異すら許さないといった完璧さがこの二人にはあった。二人の会話を聞いていると、まったく同じ声でやりとりするものだから、今どちらが話しているのかすらわからなくなってきた。

二人は当時大学生だった。高校も同じ、大学も同じ、専攻も同じで、私からするともう少しなんというか違っていてもいいのではないかと思わないでもなかったが、それが二人のやり方だったのだろう。

チェス喫茶「R」に来る人の関心は、この二人のチェスはどちらが強いのだろうというものだった。ただし、二人はチェス喫茶「R」で盤を挟むことは一度としてなかった。ある時、どうして二人で指さないのかと誰かが姉妹のどちらかに尋ねた。すると二人が揃って「面白くないから」と答えた。
「面白くないって?」
「だって」と二人がやはり声を揃えて言った。「だって、相手の手が全部わかっちゃうから」
それではという話の流れになって、まずは夏子ちゃんと常連のCさんが指すことにして、Cさんの後ろで春子ちゃんが夏子ちゃんの次の手を当てるという趣向のゲームみたいなことをやってみた。序盤は比較的誰でも読みやすいので少し局面が進んでからにした。Cさんが指した後に夏子ちゃんが指すだろう手を春子ちゃんが紙に書いて後ろに集まったみんなに見せる方式にした。すべて当たっていた。今度は夏子ちゃんと春子ちゃんを入れ替えてやってみた。これもすべて当たりだった。
たしかにこれでは二人で指しても面白くないというか、そもそも二人で指す理由がないのかもしれなかった。

そんな双子の姉妹からの連想だったのかもしれないが、私はその頃、ダブルポーンの研究に没頭し始めていた。チェスを知らない人のために簡単に説明すると、ダブルポーンというのは将棋の「歩」のような駒であるポーンが同じファイル(列)に並んでいる状態を指す。将棋でいえば二歩のような状態だが、チェスでは反則にはならない。ただし、ダブルポーンというのは基本的にはよくない駒組みだとされていて、初心者向けの指南書などでは必ずといっていいほどダメな例として挙げられていた。しかし、私は実戦などの感覚からダブルポーンがそんなに悪いとは思っていなかった。この双子のようなポーンは同じファイルで同じような役割を担ってくれるから、とりわけ守りに関しては堅牢な駒組みを作ることに役立ったりもした。

ある時、私は春子ちゃんとなぜか居酒屋で酒を飲んでいた。それが夏子ちゃんではなく春子ちゃんであるというのは、本人がそう名乗ったからであって、私としては目の前にいるのが春子ちゃんであると信じるしかなかった。
私の関心は、チェスを指す時のお互いの手を見事に当ててしまう感覚であったり、そこから敷衍して双子であることとはどういうことであるかにあったから、そんな話ばかりを尋ねていた。しかしどうも春子ちゃんはそのことについてはあまり聞かれたくないようだった。
しばらくして、春子ちゃんが「ねえ、仮の話だけど、私と付き合ってってお願いしたらどうする?」と尋ねてきた。春子ちゃんは、というか夏子ちゃんもなのだが、かなりと表現していいぐらいの可愛い女の子だったから、普通ならば断る男はいないだろうと思われた。しかし、この問いには安易に答えてはいけないような気がして、私は答えることができなかった。
「もし、夏子からも言われたらどうする?」と春子ちゃんは重ねて尋ねてきた。「困らない?」
この問いにはすぐに答えられた。「困ると思う」
「でしょ? 私たちって簡単に取り替えがきく存在なの」
私はなにか特別に寂しいことを聞いてしまった気がした。

その頃、私のダブルポーンの研究はだいぶ進んでおり、相手は私がダブルポーンになると自分が有利だというふうに認識しているから、たやすくダブルポーンの局面に持っていくことができた。あらゆる展開で有効なわけではなかったが、こちらがダブルポーンの状態になると向こうはそれで満足してしまうのか、ダブルポーンの威力を過小評価しているところがあって、黒(後手番)であってもまずまず優勢な展開になることが多くなった。

ところが、春子ちゃんの告白というのか完璧な双子であることの根源的な悩みというのかを聞いてしまってからは、このダブルポーン戦術を採用することが春子ちゃんと夏子ちゃんに対する冒涜のように思えてきた。春子ちゃんの悩みそれはすなわち夏子ちゃんの悩みでもあっただろうし、この二人の連想からダブルポーンの研究を始めた私としては、この戦術を採用している自分を二人に見られたくないという思いが強かった。向こうはそんなことは知らないことではあったけれども、もし私がその戦術を駆使しているのを見たら、きっと二人ともなにかしらを感じ取ってしまうだろうと思われた。私はダブルポーン戦術を封印することにした。

それから数十年経った今、オンラインでチェスをやるようになって、たまにその頃研究したダブルポーン戦術がうまくハマりそうな局面になることがある。しかし、そういった局面になると、春子ちゃんの顔が浮かんできて、いやもしかしたらそれは夏子ちゃんの顔かもしれないのだが、いずれにしても双子の姉妹のどちらかの顔が脳裏に浮かび、その手筋を進めることがどうしてもできないでいる。不思議なのは、そんな時、二人の顔が同時に浮かばないことである。おそらくそれは、春子ちゃんが言っていた根源的な悩みに通じることなのだろうと、今頃になってようやく私にはほんの少しだけわかってきたように感じられる。


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