プーシキン伝記第二章 ペテルブルク 1817-1820⑩
我々はすでに福祉同盟の道徳的理想が、英雄的な禁欲主義の色調で彩られていた、ということについて話した。真の公民とは、万人の福祉のために、幸福や、慰みや、友情あふれる宴を拒否する、威厳のある英雄として考えられていた。祖国への愛情につらぬかれた公民は、自分の精神力を恋愛に夢中になって使い果たすようなことはない。優雅な恋愛の詩趣だけではなく、ジュコーフスキイの《この世のものとは思われない》恋の哀歌は、公民に非難の気持ちを呼び起こしている:それらは公民の魂をひどく弱らせ、自由のための行動にとって無益である。ルイレーエフはこう書いた:
愛などまったく頭にうかばない:
ああ!私の祖国は苦しんでいるのだ、 ―
やりきれぬ物思いに興奮した魂は
今ひとり 自由を渇望している。
В.Ф.ラエーフスキイは後にキシニョフで、すでにティラスポリ要塞に投獄されていたが、プーシキンに呼びかけた:
愛をうたうというのか、血が飛び散る場所で。
公民を詩人に対置し、英雄を ― 恋人に、自由を ― 幸福に対置した、英雄的自己犠牲の倫理は、ロベスピエールからシラーに至る自由愛好家たちのグループに広く特徴的であった。しかしながら別の倫理観もあった:18世紀の啓蒙はキリスト教的禁欲主義との闘いのなかで、別の自由の概念を作り出した。自由は幸福と対立しない、むしろそれと合致するものだった。真に自由な人間とは ― 情熱に燃える人、内部の力が解放された人、図々しくも待望の詩人と恋人を望み、かち取る人である。自由 ― それはいかなる枠にも収まりきらず、あふれんばかりの生活であり、一方で自己規制とは ― 精神的奴隷状態の一種である。自由社会は禁欲主義や、個々人の自己犠牲の原理に基づくことはありえない。その反対に、まさに自由社会は、個性をかつてないほどに充実させ、開花させることを可能にするのである。
プーシキンは極めて深く、本質的に18世紀の啓蒙文化と結びついていた。この関係において、プーシキンの世紀に生きたロシア人作家のうちプーシキンと比較することができるのは、ゲルツェンのみである。プーシキンが本能的にもっている人生を愛する精神について、個人的体質の特徴を理論的な詩趣から切り離すことはできない。典型的な例として、英雄的な禁欲主義の概念を明確に表現した頌詩《自由》とほぼ同時期に、プーシキンはゴリツィナへのマドリガル《異郷の世慣れていない愛好家が…》を書き、そこで二つの高遠な人間性の理想が、同等なものとして挙げられている:
…気高く 高邁で 炎のように自由な
魂をもつ公民は
‥‥女性は ― 冷たい美しさではなく、
熱情的で、魅惑的で、生き生きとした美しさをもっている (II,1,43)
ともに自由の刻印が眠っている。
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