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プーシキン伝記第3章 南方 1820-1824④

 このような能力は心の柔軟性と豊かさを物語っていた。しかしながらの心の中で、内面的な統一性を喪失する危険もはらんでいた。はなはだ卓越した多面性と柔軟性は自分自身の位置を失う恐れがあった。ロマン主義はここでは時代に合っていた。それは、プーシキンが自分と同世代の表明者として韻文の前に立つことを助けただけではなく、彼の個性を独自に建設することを可能にした。
 天才の個性に対するロマン主義の基本的な必要条件の一つは、不変性、同一の情熱への服従、統一性であった。

   彼はどこにいても一人、冷たく、変わらなかった、 ― 

とレールモントフはナポレオンについて書き、ロマン主義的主人公の典型的な特徴を彼に与えた。
 この時期のプーシキンの創作において、前の時代の様式的多様性がロマン主義様式の単一性に入れ代わるのと同じように、詩人の個人的な自分自身の行動は、目に見えてある種の統一的な基準を目標にしている。この理想、規範となったのは、ロマン主義的主人公である。
 ロマン主義的タイプの行動は、別の時代の視点から見ると、しばしば不誠実さ、素直さの欠如が非難されていたが、そこにはただ美しい仮面が認められた。もちろん、ロマン主義の時代は自らのグルシニツキーたちを助長していた ― 皮相的なつまらないフレーズの愛好家たち、彼らにとってロマンチックな長いマントは、自分自身の取るに足らないことや独創性のなさを隠す(まず第一に、自分自身から)都合のいい手段だった。しかし最も深刻な誤りであったのは、同じ現実認識と、同じタイプの社会環境との関係性が、レールモントフやバイロンを生み出しうるということについて、忘れていたことだった。ロマン主義とその細かい小銭を同一視するとしたら、深刻な誤りであった。
  (訳注グルシニツキー:レールモントフ『現代の英雄』第2部第2章「公   
   爵令嬢メリーの登場人物)
 ロマン主義的行動の特徴は、なんらかの文学的タイプを意識的に志向することであった。ロマンチックな気分の若者は、ロマン主義の神話で知られている登場人物たちからいずれかの名前で自分を定義した:悪魔かウェルテルか、メルモスかアハスヴェルか、異端者かドン・ファンか¹。自分の周囲の人々の間で、彼はやはり相応しい人物像にしたがって、文学上(あるいは歴史上)の主人公の役割を割り当てた。このような人物像によって得られた人為的世界は、日常生活の現実の生き写しとなった。それどころか、彼にとって人為的世界は、周囲の《俗悪な》現実以上に現実的であった。彼は世の中と人間をこのように見て、このように理解していた。
  
  ¹ウェルテル―ゲーテの小説《若きウェルテルの悩み》の主人公、悲劇的な恋をして、自殺によって終止符を打った若者;メルモス―イギリスの作家マチューリンの長編小説《放浪者メルモス》の主人公、神秘的な悪人、悪魔的な誘惑者;アハスヴェル(《さまよえるユダヤ人》)―数々のロマン主義作品の登場人物、神にも人間にも拒まれた、さまよえるユダヤ人;異端者ドン・ファン―バイロンの詩からロマンチックな反徒たちと放浪者たちの人物像。


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