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プーシキン伝記第3章 南方 1820-1824③

 はじめはプレロマン主義、のちにロマン主義が詩人に見られた、何よりも天才、唯一無二の独特な天才の精神が、彼の創作物の独創性に現れていた。詩人の創作物は、1つの壮大な自叙伝的な長編小説として認識されるようになった、そこには幾つもの詩や物語詩が章を構成していた、一方で伝記がプロットとなっていた。ヨーロッパのロマン主義には2人の天才がいた:バイロンナポレオンである ― この2人のイメージが定着していた。1人目は ― 自分の個人的な人生を全ヨーロッパ人の目の前で演ずることによって、詩情を一連の燃えるような自叙伝的な告白に変えた、2人目は ― 自分の人生はロマン主義的な詩を思わせることができることを示した。
 ロシアではジュコーフスキイД.ダヴィドフルイレーエフそれぞれが自分のやり方で、自分の人生を自分の詩情と複雑な糸で結びつけていた。このロマン主義的な人生の感じ方は、当時はまだ伝統ではなく、空想にひたる生き生きとした文学的な(より広義に言えば、 ― 文化的な)体験であったが、プーシキンにとって、彼の芸術的人生のあらたな段階における支点となった。そこに基礎をおいて、彼はさらに遠くへ進み、完全に唯一無二のことばの芸術のみならず、完全に唯一無二の人生の芸術を生み出した。
 ロマン主義的な人生の感じ方はこの時のプーシキンにとって救いだった、なぜならそれは、自分の個性と一致した、その時の彼にとってそれほど必要な感覚を彼に提供していたからである。ペテルブルクでの滞在はプーシキンを格別に豊かにしていた:進歩的な同時代人たちの広汎なグループとの交流や、数々の討論に参加することは、彼をその時代の知性的・思想的な生活のど真ん中に導き、心が張りつめた生活は彼の感情世界を深化させていた。女性たちとの出会いと、感情と心をかき乱す体験のその時代の非常に高い文化に親しむことは、心の繊細さや、知覚する、感じる、気づく、そして感情の単純な連続だけでなくニュアンスを表現する能力を発達させていた。その上、多種多様で異なるスタイルの集団に加わることは、彼の行動スタイルを感情によって豊かにした。これらすべての結果として、自分の個性を自由自在に再編成する能力、様々な状況にあわせて入れ代わる能力、いろいろなものになる能力が格別に発達した。のちにプーシキンはこの特徴をオネーギンに分け与えた:《彼はいかにも初めてのことのように見せることができた》(VI,9)


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