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プーシキン伝記第3章 南方 1820-1824⑫

 バイロンの《チャイルド‐ハロルドの旅》の後、詩人-逃亡者の人物像が、ヨーロッパにおけるロマン主義の主要なテーマの一つとなった。その人物像は、《息詰まるような都市の束縛》(IV,185)、奴隷制度と文明の閉鎖的な世界と、野生の大草原の自由な空間、ロマン主義的主人公が旅をする果てしない《世界の荒野》という対照に融合するのに都合が良かった。その人物像の追放者と囚われ人としての解釈は、結果として決まった流刑地へ連結され、《移動する主人公》からロマン主義の詩風に矛盾する《不動の主人公》への変化を招いた。牢獄のテーマがロマン主義の主人公の経歴に加えられる場合、かならず脱走あるいは脱走を熱望するモチーフに結びついているということは、偶然ではない。
 脱走者の人物像は失望のテーマに結びついていた。心と精神の純粋さを祖国に残し、主人公は生家に建てられた牢獄から脱走するが、生家を想いこがれることをやめてはいない。この一般的なロマン主義的紋切り型が自分の伝記的事情へと率直に移され、プーシキンは《きらめく陽がしずんだ…》という哀歌において、自分の追放を自由意志による脱走に変容させた。
 
  飛べ、船よ、私をはるか彼方の国境へと運んでゆけ
  雲海の恐るべき気まぐれの上を、
  だが 霧につつまれたわが祖国の
  悲しげな岸辺へ向かうのではなく、
  あの国々へ、 情熱の炎で
  はじめての感情が燃えあがった、
そこで 優しいミューズたちが私にひそかに微笑んだ、
  嵐の中 はやくも
  私の茫然自失した若さは咲き終えた、
そこで うつろいやすい喜びは私を見捨て
  冷たい心を苦しみにゆだねた。
  新たな印象の探求者、
  私はあなたのもとへ走った、父祖伝来の土地へ、
  私はあなたのもとへ走った、快楽の教え子たちのもとへ、
つかの間の若さの つかの間の友人たちのもとへ。 (II,1,146-147)
 
 《エウゲーニイ・オネーギン》第一章における人物像は社会的脱落者の二重の描写によってより複雑である:自分の第一の祖国で物思いに沈み、孤立し、作者は第二の祖国‐アフリカ‐で、あとにしたロシアをなつかしむよう運命づけられていた。
 
 わがアフリカの空のもと
 うす暗いロシアをなつかしむ
 そこで私は苦しんだ、そこで私は愛した、
 そこで私は心を葬り去った。 (VI,26)
 
これと関連して、プーシキンはこの章の初版の注釈の中で読者に気づかせたように、この時期、《母方の血筋からのアフリカ出身》を執拗に強調していた(のちに彼はこの注釈を漠然とした初版への言及に取り替えたのは、注目に値する)。デリヴィグへの手紙で彼は弟レフについて書いている:《弟と私は友達にも兄弟にもなると感じるのは、私たちのアフリカ系の血によるからというだけではない》(XIII,26)。
 
 

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