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だからこそ、 尊い。

おはようございます。

今日の結論は「本当にありがとうございます」です。

▼ 支援を頂きました

昨日、人吉豪雨災害について書いたところ、6名の方々からのサポートを頂きました。

以前頂いたサポートを含めて、現時点で9,200円もの支援金を熊本支援チームにお渡しできます

次回のボランティア参加の際に責任をもってお渡して、記事にて報告させて頂きます。
本当にありがとうございます。

今日は、支援についての私見を書きます。

▼ 支援しない立場を尊重する

僕はふだん
「支援金を寄付しましょう」
「ボランティアに行きましょう」

ということは言いません。

善人面するのが嫌というわけではなく、
支援をしない立場を尊重しているからです。

支援をしないのには様々な理由があります。

家計を考えると寄付できない…
夢や目標があり寄付できない…
仕事や育児が忙しくてボランティアに行けない…
持病や身体的理由がありボランティアに行けない…

僕も同じです。

世界では1日に2万5000人以上が飢餓により命を落としています
世間を騒がせているアイツの日本の累計死者数の約5倍の死者数が、飢餓ではたった1日です。
そして寄付により救える命があることを知っていますが、僕は今朝もコーヒーを淹れています。

そんな僕が
「支援金を寄付しましょう」
「ボランティアに行きましょう」
と、
どうして言えるでしょうか。

▼ だからこそ手を取り合う

僕は、知らない誰かの圧倒的な不幸よりも、
自分と家族の小さな幸せを優先してしまう、
普通の人間です。

ほとんどの人がそうだと思います。

世界中のほとんどの人がそうです。

ワクチン開発に投じた多額の研究費を飢餓対策にまわすだけで、比較にならないほどの命が救えることが分かっていても、絶対にしません。

貧しい誰かが飢えて確実に死ぬことよりも、
愛する家族が苦しむ可能性を少しでも減らすことを優先してしまいます。

僕はそれを否定しません。

だからこそ、今回頂いたサポートはとても尊く感じます。

このサポートのおかげで、僕は早く災害ボランティアに行きたくてたまりません。

読んでくださった方々、サポートしてくださった方々が、普通の人間の背中を押してくれます。

本当にありがとうございます。

最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も素敵な一日をお過ごしください✨




長くなったのでキリの良いとこで終わりましたが、明日は支援について、もう少し踏み込んだ内容を書こうと思っています。
タイトルは「支援と分断」的な感じになると思います。
※ あまりにセンシティブな内容になったら、育児ネタに変更するかもしれません。

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頂戴したサポートは「眼鏡オジサンになる日」を日本記念日協会に登録する費用(15万円)に充てられる可能性がありまので、ご注意ください。