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その出展作品なくしましょう

夏休みって課題がたくさん出ますよね。いらない課題も多いのではないかなと思います。私自身が中学生だった頃を懐古しながら少し考えてみたいと思います。

大量の課題

私が中学生の時は、大量の課題が出されていたように思います。自由研究や文化祭用ポスター、それとはべつの火災予防ポスターなんかもあったような。当然、学習帳も出され、夏休みの毎日の日記もありました。今は、自分の考えをまとめたり、アウトプットすることで整理をできているので、文章を書くことに嫌悪感はないのですが、中学生の私はとにかく、日記というものが得意ではなかったし、何の意味があるのかと思っていました。文章力をつけることや、自分の感情を表現することはとても重要なことなので、日記をなくす必要はないと思いますが、毎日つけるのは、大変だと思いました。また、課題帳も分厚く、答え合わせまでして提出することが求められていました。夏休みくらい休んでもいいのにな、と思います。

現代の子どもたちと比べてみる

現代の子どもたちの夏休みはどうだろうか。課題の量は減っていないかな、とも思いますが、私の勤務校では自由研究については、行われていません。また、ポスターコンクール用の課題としてのポスター作成もありません。夏休みの学習帳と、数日分の日記のみ、という課題が出されています。自由研究については、やりたい人がやればいいよ、という感じです。夏休みの読書感想文もありません。子どもたちの学習の担保という面で言えば、学習帳があれば十分ではないかと思います。いろいろなところから、コンクールに出展するための作品応募などありますが、そういったものはできるだけなくす方向で先生方は動かれているように思います。

謎の出展作品

学校現場にはさまざまな団体から作品の出展を求められます。学校の管轄外のもので、文科省主催ではないにも関わらず、窓口を各学校にするという団体の多いこと。若手の先生は、やらなきゃいけないのかなと思い課題を出したり、昨年度踏襲で変化を嫌う先生は引き続き出展するなど、一つずつ無くしていくためには労力がいります。そんなことなら、内緒で無くしてしまっても誰も気付きませんし、怒られもしませんよ。子どもも大変、先生も大変、嬉しいのは主催団体だけ。なんていうふうに利用されるのは癪ですよね。どんどんやめて、どんどん素敵な夏休みにしていきましょう。

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