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完璧主義をやめる

自分にも優しさを

完璧主義であった自分

以前の私は、ある種の完璧主義でありました。弱いところを見せることができない。誰かを頼ることができない。自分一人の力でなんでもやらなくてはいけない。と思い込んでいました。そんな私は、クラス担任を持ったときに、うまく関係をつくれない生徒に出会いました。なにが原因かもわからず、自分のせいであると思い、ただ、何を改善すればいいのかも分からず、教師という仕事をしていることすら嫌になってしまい、死にたいという思いだけが強くなってしまいました。もうどうしようもなくなったとき、教頭先生や校長先生に話を聞いていただき、休職という選択をしました。今思えば、頼りになる学年主任の先生や、同僚の先生方にもっと甘えて愚痴でも何でも言っていればよかったと思います。

子どもにも押し付けていないか

完璧主義であった私を振り返ったとき、子どもにもそれを押し付けていなかったか思い出してみました。すると、案外完璧であることを求めていないことに気が付きました。忘れ物をしても、次どうしようか、今できることはある?など、対策を考えたり、頭ごなしに怒ることはしていなかったな、と思います。まだ、子どもに押し付けていなかっただけよかったのかな、と思いました。しかし、これを子どもに押し付けてしまったら、そうとう息苦しいクラスが出来上がるのではないか、と思います。許容することのできるクラスを目指すべきであると思います。

現在の自分は

休職をいただき、1年間という長い休みの中で、適当に働けばいいや。という結論に至りました。もちろん授業はきちんとやりますが、何でもかんでも自分でやらなくてもいいし、周りの人に頼ろう、自分の責任をそこまで重く受け止めないようにしよう、と思いました。また、人間関係においても、子どもたちには、世の中にはどうしても合わない人がいるから、無理に付き合わなくてもいいけど、無視をしたりいじめたり、排除したりしてはいけないよ、と話をしていましたが、それを自分にも当てはめようと思うようになりました。どんなにこちらが機嫌を取ろうとしても、合わない人は合わないし、無理にいい顔をしなくてもいいと思っています。誰にも嫌われたくない、人間関係も完璧でなくてはならないと思っていた自分は捨てました。学校には様々な先生がいます。たとえクラスの子とうまくいかなくたって、他の先生がその子とうまくいっていて、何の問題もなく生活しているのならそれでいいではないか、と思っています。

子どもとの関係に悩む先生へ

私は、クラスの子どもとの関係がうまく作れず休職をしましたが、そんなに悩まなくて大丈夫ですよ。子どもの話を聞いて、関係をつくれる先生はその子にとってはあなたではなかっただけです。それは、性別もあれば年齢もあるし、声の高さもあるかもしれません。悩んでもうまくいかないときはうまくいかないものです。完璧を求めるのではなく、そこで出来ることをできる範囲で適当にやっていきましょう。そんなあなたを誰も否定しませんよ。否定する人がいても、それはあなたとは合わなかっただけです。そんな人もいます。それでいいのです。適当にやっていきましょう。

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