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冬眠していた春の夢 第3話 事故
人生には唐突に生活が激変する時がある。
でも、それはテレビのニュースやドラマの世界の話でしかなかった。
交通事故、地震や土砂災害、火事、殺人事件…。
そういった事故や災害や事件というのは、テレビの中の話だと思っていた。
そして私の生活が激変する出来事は、唐突にテレビから流れてきた。
『…マイクロバス2台が、集中豪雨に伴う土石流に巻き込まれて転落、乗員・乗客32人のうち31人の死亡が確認されました。
乗っていたのは◯◯団体豊橋支部の団体員で、毎年10月に行われている恒例の滝行からの帰路だったという事です』
私はもう中学1年生だったので、瞬時に内容を把握する事はできたけれど、現実味を感じられないでいた。
1人で留守番をしていたガランとした家の中で、テレビの音がどんどん遠ざかっていく気がした。
その時、古い型の家電がけたたましく鳴り、私は受話器を取った。
名古屋の叔母だった。
受話器から矢継ぎ早に叔母の言葉が溢れてくる。
私は時々「うん」と答えてはいたが、叔母からの言葉で理解できたのは「とにかくすぐに行くから」ということだけだった。
祖父母の葬儀は、◯◯団体豊橋支部で合同葬儀としてしめやかに執り行われた。
父と名古屋の叔母、そして珍しく叔母の夫であり母の弟である叔父も参列した。
叔父は私が小さい頃は会った事があるらしいが記憶にはないし、私が豊橋に来てからは一度も会った事がないので、私にとってはほぼ初対面だった。
叔父は普通の会社員なのに、黒い喪服のせいか少し反社っぽく見えるし、目つきが鋭いのが怖かった。
ほぼ初対面だし、少し強面な印象だったので、私はしっかりと目を見て挨拶する事ができず、しかも声も聞き取れないほど小さかったようだ。
「あ?聞こえねぇな。美月、もう中学生にもなるのにちゃんと挨拶もできないのか?」
叔父のかすかに蔑みを含んだ言葉が目の前に降ってきた。
身内に美月という名前を呼ばれるのは久しぶりだ。
祖父母も両親も叔母も、みんな私を「みっちゃん」と呼んでいたから。
私はほぼ初対面の叔父にいきなり呼び捨てにされたのが不快だった。
だから叔父を見返した視線が、きっと自分で思うよりも強めだったかもしれない。
余計に叔父の機嫌を損ねてしまったようで、叔父が何か言おうとしたけど、叔母がとりなしてくれて、私達は黙って離れて焼香の列に並んだ。
私が叔父のそばにいたくなくて端っこに並んでしまった為に、お焼香をする場所の前には、見知らぬおばさん達の遺影が並んでいた。
私を育ててくれた祖父母の遺影は、先生と呼ばれていただけあって真ん中に飾られていたので、端っこの私からは遠かった。
真ん中の祖父母の前でお焼香をしている叔父を見て、何故一度も顔を見せた事がない叔父が、一緒に暮らしていた私をさしおいて真ん中でお焼香をしているのだろう?悲しくもなんともないくせに!
私は叔父に対して怒りを通り越して、憎しみさえ感じていた。
葬儀が終わって、他の参列者達と共に、精進料理が振る舞われている部屋へゾロゾロと向かった。
会食の席ではさまざまな声が囁かれていた。
故人を偲ぶ声もあったけれど、「きっとこれも運命のお導き。神様に選ばれた方々なのだから、幸せにあちらへ向かわれたでしょう」などという、いかにも宗教団体っぽい胡散臭い声や、たった一人の生存者に対して、その奇跡を喜ぶよりも、選ばれなかったかのような非難の声が聞こえてきたことに、私は心底ぞっとしていた。
祖父母の葬儀なのにも関わらず、悲しみ以外の余計な負の感情に振り回されている事が辛くて、私は食事に手をつける気にもならなかった。
早く帰りたい。早く帰って猫達に会いたい。
「それにしても、滝行で身を清めた後に事故に遭うなんて、神様もアコギなもんだな」
昼間のビールで顔が赤くなった叔父が、無遠慮に言葉を発した。
「ちょっと!やめてちょうだい」
叔母にたしなめられ、叔父はフンと言ってグラスのビールを飲み干した。
この人のこの無神経さは一体何なんだろう?
私は母に育てられた記憶が殆どないから、母がどんな人なのかよくわかっていないけど、時々電話で話す母と、弟だというこの人が、全く結びつかなかった。
ましてや大好きな叔母の夫だなんて。
「だけど、一生懸命育ててくれたおじいさんおばあさんの葬式だっていうのに、美月、お前は涙ひとつ見せないな。なんて薄情なヤツなんだ」
叔父はあからさまに私を睨みつけた。
「美月!本当にお前は生意気なヤツだな!俺は昔からお前が大嫌いだったよ」
「あなた!もうやめて!ほら、もうお水にしましょ」
叔母は叔父の手からグラスを取り上げて水の入ったグラスを差し出した。
でも叔父はそんな叔母に見向きもしないで、じっと私を睨みつけてきた。
なんでほぼ初対面のこの人に、こんなにも乱暴な言われ方をしなければならないのだろう。昔からって…叔父が知ってる昔の私って、3歳までの私じゃない。そんな幼児に対して、大の大人が大嫌いだという憎しみの感情を抱くなんて、考えられない事だ。
そもそも私が祖父母のことを偲べないのは、あんたのせいなのに。
知らず知らずのうちに、私は叔父を睨み返していたらしい。
「なんだその目は?!この厄病神が」
「アキちゃん!もうよさないか!」
父が叔父に対して強く言い放った瞬間、私は立ち上がり部屋を飛び出した。
無我夢中で走って、バス停にたどり着いて息を整えていると、そばに同じように息を切らした父がいた。
「あと5分くらいだから、ベンチに座って待とう」
父はハァハァ息を切らしながら、時刻表を見て言った。
それからベンチに座ってバスを待つ間も、バスの中でも、バスを降りて家まで帰る途中も、父は一言も言葉を発しなかった。
私は、おじいちゃんにそっくりだな…と思った。
そして、その無口に心から感謝していた。
家に着いてすぐに、私は物置き小屋にこもった。
小屋に入った瞬間、おもちとミケとクロが同時に「にゃーにゃー」と鳴いて、私に近寄ってきた。
こんな事、今までに一度もなかった。
なんだろう?猫達はわかっているのかな?
私は胸が熱くなって、3匹を交互に撫でた。
その瞬間、身体の奥の方が大きく波打って、津波のように涙が押し寄せてきて、私はその波に巻き込まれるように泣きじゃくった。
人間は殆ど水で出来ているというけど、こんなにも水が出てくるなんて、本当に不思議で、私はこのまま泣き続けたらミイラになってしまうのかもしれないと感じて、顔を上げた。
あたりは真っ暗で、もうすっかり夜になっていた。
猫達は3匹とも私のそばにいて、そして父は、私が物置きを出て家の中に入るまで、一言も声をかけないでいてくれた。
家に入ると、カレーの匂いがした。
父が「お腹すいたろう。カレー作ったから食べるか?」と言った。
「うん。その前に猫にエサやってくるね」
ずっと私に付き添っていてくれた猫達も、さぞ空腹だろうと思った。
今日は特別に、少しお高い猫缶を開けた。
「そんな高いもんを、もったいない。野良猫なんて残飯で充分だろうに」
生前祖母は、わざわざ猫缶を与える私にそう言った。
それでも、私が自分のお小遣いで買い与えていたから、それ以上の文句は言わなかったけど。
父の作ったカレーは甘口だった。
私のことを、まだ子供だと思っているらしい。
それでも、たくさん泣いてヘトヘトだったから、すごく美味しく感じられた。
父はテレビでバラエティー番組を眺めていた。
テレビからはたくさんの笑い声が溢れてくるのに、父は少しも笑っていなかった。
私にとっては祖父母だけど、父にとって祖父は実の父親なのだ。
祖母は父が結婚してから後妻に入った人だから、思い入れはないだろうけど、実の父親が亡くなって、どんな思いでいるのだろうと、少しも辛くないカレーを食べ終えた私は、ふと思った。
第4話に続く。
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