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「考えること」を考える。

ヒトは、1日に3万5千回決断してる。。。らしい。
それにともなって、思考しなくてはいけないとなると、考えてる時間ってどんくらいあるんやろ?ってふと思う。
ひとことに考えると言っても、思考の濃度も様々だと思うけれど。

朝、目覚ましが鳴ってから、「このタイミングで目を開けるべきか…あ、いや、あと5分寝れるやん・・・」みたいなのも決断のひとつだろうし、喉が渇いた!お水飲もう!も決断の一つなのだろう。
様々な濃度で決断を繰り返して、わたし達は生きている。
こんな風に言ったらかっこいいけれど、意識的にも無意識的にも決断なくして我々の生活は成り立たないのだ。なんちって。

その決断を下支えするのは、「考える」プロセスしかないのである。

わたしの場合、重要なことを考える時、頭の中にあるものを一旦すべて紙に書きだすようにしている。
脈絡なく単語で書きなぐる時もあれば、チャートっぽくして書く時もある。
見える化したくてそうすることが多い。
一方で、決断していく為に、まだ具体的なイメージが見当たらなくてもやもや~っとしていたものをぎゅっと凝縮しなくちゃいけない場面もある。
そういうのは何度もいろんな人に話していくうちに、新しいことに気が付いたり、不純物がろ過されたりして、すとんと落ちてくることが多々ある気がする。
でも、そんなに都合よくわたしの話を何度も何度も聞いてくれる人がいつでも周りにいるわけでもないし、みんなそんなに暇じゃない。
そんな経験から、わたしはよく独り言をぽそぽそ言いながら、思考をまとめたりしている。頭の中がパンパンになっててひどい時は、家電製品とお話したりする。
まさに、これは反応の返ってこない壁打ち。子供のころに塀に向かってボールなげてたあれやな。
きっと誰かに聞いてほしいのではなく、口に出すことで捏ねたり、削いだりしているのだ。
そういう事を半ば修行のように日常に取り入れているので、あまり人に相談したりすることがなかったりする。

しかし最近、有難いことに今後の展望をヒトに相談したり報告したりする機会を持つことができた。
そんな時に思うのが、あー、すっきりした。お、はっきりしてきた。という爽快感。
ヒトに話すと、自分以外の視点も得られるし客観的な意見ももらえるもんね。
自分で決めなきゃいけないことを、誰かに決断してもらうつもりは毛頭ないので、参考にするレベルではあるけれど。思いや考えを具体化していく中で、こういう時間はとっても有益なんだと思えた。
特に、自分一人で仕事をしていると迷ったりもやったりする時間も多いように思う。
フリーランスさんとか経営者さんとか主婦さんとかきっともやってる人多い気がする。特に、聞いてほしいだけで、何も回答は求めてないんだけどって事もあると思う。
とどのつまり、わたしもみんなもきっと壁打ちの壁が欲しいんだよね?

なかなか気軽に人に会えなくなっちゃった昨今。
気軽にあって、最近どう?みたいな話も全然してない。
だからか独り言はめちゃめちゃ増える。

きっと生きる上での決断の回数は減ってないし、逆に増えていっていると思う。
そんな中で、考えることの質は向上させていきたい。
たとえ家電に向かって話していようが、考えることを放棄しないで自分で決めて生きていきたいね。


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