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「Rebirth(仮)」(13)

前回(12)

兄の回顧ブログの続き

2013年12月 クリスマスプレゼントと退院

一時退院できる日だけを目指してリハビリを頑張った。思ったより早く体力が回復して、正月は家で過ごせるかもしれない。という状態まできた。

だが、その前に大きなイベントがあった。骨髄の検査をしなくてはならなかった。先生から再発もありえると言われていたので、怖くて仕方なかった。

クリスマスイブ、病院はケーキが出る。夜、彼女のいない悲しい友達も来てくれた。病室で2人で寂しいクリスマスを祝った。

次の日の夜、先生がいきなり来て、
「マルクの結果問題ありませんでした」
と言いに来てくれた。結果を早く俺に伝えたくて急いで来てくれたようだった。
家族と最高のクリスマスプレゼントを喜んだ。

こうして、晴れて2カ月ぶりの家に帰ることができた。
退院の日、先生とたくさんの看護師さんが笑顔で見送りをしてくれた。

2014年2月 癌患者の集い

年末に退院してから2週間ほどは家で過ごすことができた。12月の治療で集中治療は終わりで、これから1年半少し弱めの抗がん剤を使う予定だった。最初は一応入院しながら治療したが、今までに比べて外泊し、家で過ごせる期間は長かった。

ある時両親に癌患者の交流会みたいのに、一泊で行ってみないか?と誘われた。僕は入院中もあまり他の患者さんと交流しなかったし(若い人いないし)あんまり乗り気じゃなかったが、病気を経験しなければ、こんな経験絶対ないし行ってみることにした。

行ってみると20~30人くらい人がいて、40代から60代くらいの人達だった。みな癌の種類や状態は違ったが、末期癌宣告されている人も結構いた。みな色々な経験をしていて、自分の場合は白血病だが、他の癌もとても辛いようだった。

みな僕より大分年上だったが、「死にたくない。少しでも長く生きたい」と言っていた。「人間いくつになっても死ぬのは怖いんだなぁ」と思った。

僕はあまり積極的に参加してなかったが、最終日に少し話す機会があった。そこでこれまで自分が経験したこと、感じたことを話していった。みんな話をすごく真剣に聞いてくれた。
聞きながら泣いている人が何人もいた。自分の話で他人が泣くという経験は初めてだったので、不思議な気持ちだった。

例えば、俺がみんなの仕事がいかに大変かがわからないように、みんなも癌になった俺の気持ちはわからない。苦しみはそれを経験した人間にしかわからない。あの時、あの場所にいた癌患者の方々は自身の経験を通じて、俺の苦しみを理解してくれたんだと思う。

2014年3月 言語文化学科卒業パーティー

入院し始めたころから、1つ目標にしていたことが、大学の卒業パーティーにでることだった。

オーストラリアに行くまでの3年間大学生活は本当に楽しかった。地元の高校行って、野球ばっかやって世間知らずだった俺にとって、大学は自由で、いろんな人がいて、いろんな経験が出来た。だから、学部の友達が大好きだった。

パーティーに行くとみな「無事退院できて良かった!」と声をかけてくれた。病気のことを知らない人とかは「あの人なんで、ニット帽被ってんの…?」みたいな感じだった。今思えば、激痩せ&髪もない状態でよく行ったな。と思うけど、一緒にみんなの卒業を祝えることが嬉しくて全然気にならなかった。

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