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「Rebirth(仮)」(20)

前回(19)

兄の回顧ブログの続き

2015年 姉の血で生きる

姉はドナーに決まってから、10年近く勤めた仕事をやめた。まあ辞めたのはいろいろ事情があるが、俺が再発し、ドナーに決まったのがきっかけになったのは間違いない。


細かい事は割愛するが、末梢血幹細胞移植のドナーは入院が必要だ。5日ほどの入院だが、造血幹細胞を採取して、凍結する為だ。


入院してる階は僕と違ったが、空いてる時間は顔を出してくれた。「全然寝れなかった」とか、入院の事を話したりして、入院の大変さが少し理解された感じがして嬉しかった。


姉が造血幹細胞採取をしているのを1度見に行った。僕がされているように管が刺されて、血を吸い取って変な機械に血をどんどん送り込んでいた。

別に姉は採取が終わればすぐ退院するし、具合が悪いわけでもなんでもないが、その光景を見て、可哀想だと思った。自分と重なって見えたのかな。
いつもベッドの上にいるのは俺で見舞いの人が上から覗き込んでる。初めて逆の経験をした。


姉はすぐ退院したが、その後もいつも来てくれて、なんでもない普通の話をしていると、病気、移植の恐怖から気が紛れた。

結果的に白血病を倒す事は出来なかったが、姉の細胞は俺の中で生き、一年半近く悪性細胞を抑えてくれた。

もう俺の中に姉の血はないけれど、感謝の気持ちでいっぱいだ。

ありがとう。

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2016年1月 1度目の移植

結局抗ガン剤は効かなかったので、非寛解のまま移植する事になった。移植する前のマルクでは白血病細胞が10%ほど残っていた。
悪性細胞はいるが、生命を脅かすほど緊急を要する量じゃないので、年末年始は家ですごし、年明けから前処置を開始する日程となった。


一時退院中は、移植前に風邪などひかぬよう、あまり外に出ず、家でゆっくりしてるか、友達呼んで俺の部屋でなんか食って遊んだりしてた。

前処置はそこそこしんどかった。放射線照射もやった。すげーでかい機械だよあれ。いかにも放射線出しそうな感じ。
たしか一生に人間が浴びることのできる放射能の値って決まってて、その限界まで浴びせたんじゃなかったかな?

正確には忘れたけど福島で騒がれてた量のやばいほどの倍数の量って、ネットサーフィンしてたとき白血病の記事あったな。

ちなみに放射線、やってる時は見えないし、痛くもない、ただ生暖かい感覚はあった覚えがある。あと肺は放射線浴びせることができないのでガードしてあるのだが、体は全く固定されてなく、「この体勢キープしてくださいねー」だから怖かった。体を動かせばすぐに肺に直撃すると思って。実際、体が動いたら監視してる人がすぐ照射を止めるんだろうけど。一回1時間くらいだったかなー、もう忘れちゃった。


前処置も滞りなく終わり、途中感染も臓器障害もなく順調に終わった。そして移植日当日。


その日は地元の友達の結婚式だった。


彼は中学からの仲で、傲慢かもしれないけど、結婚式で友人代表みたいななんかがあるなら、俺だろ!って思ってた。だから、再発がわかって行けないってなって、余興のビデオ出演するのも選択肢にあったけど、なんか嫌だった。そんなone
of them としてその式に関わりたくなかったから。


移植日当日、まあSNSにはその俺が行きたくても行けなかった式の情報が溢れるよね。俺の友達もたくさん参加してた。

すごく迷ったけど、そうじゃないとこのブログの存在意義、アイデンティティがなくなるから言うね。

正直俺はその日、心の底から彼らの幸せを祝う事ができなかった。

俺が友人代表だとか自意識過剰なこと言っといて、最低だな。って思った君は正しい。おれはその程度のレベルの人間だっちゅーことだ。

でも、昔から仲の良い友人が友達に囲まれて幸せそうにしてる裏で、俺は俺の血をすてたんだ。5年生存率2.3割にかけて。
移植日をこんな日に合わせて、神様はどうしてこうも俺をいじめるのか。俺がいったい何をしたって言うんだ。って苦しい体調の中いじけてたんだ。

p.s
去年の一時退院中の秩父旅行は最高に楽しかった。mちゃんも育児大変な時期に旦那貸してくれてありがとう!一生の思い出になったよ!

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