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【SSW27:STORY】生まれ変われる音を追いかけて・犬塚モブ

シンガーソングライター、バンドマンとして活動している犬塚(いぬづか)モブ。高校生のときに受けたオーディションをきっかけに、音楽で生きていくことを志した彼は、ライブ漬けの日々を送ってきた。コロナ禍ではSNSを利用し、さらに活躍の幅を広げてきた彼が目指す未来とは。


オーディションをきっかけに、音楽の道へ

静岡県出身の犬塚モブは、高校2年生ごろまで、サッカー部の活動に熱中していた。「子どものころからサッカーが好きだったんです。特に優秀な選手だったわけじゃないけど、ずっと続けていました」。

しかし、彼の通う高校には荒れた生徒が多かった。いつしか彼は、部活をするどころか、学校に行くこと自体が嫌になってしまっていた。

「不登校気味で、部屋に閉じこもっていた時期がありますね」。

そんな彼を見かねた母親からの一言が、転機となる。

「母に『サッカーの他に好きなことはないの?』って聞かれて、『歌うことかな』って答えました。よくカラオケに行っていたんですよね」。

ONE OK ROCKやflumpool、NICO Touches the Wallsなどの邦ロックを中心に、好きなアニメの主題歌なども好んで歌っていた。

犬塚の答えを聞いた母親は、彼に芸能プロダクションのオーディションを受けさせた。

「有名なタレントさんを多数抱えている、業界最大手の一つです。いきなりそんなところに挑戦して、門前払いされるかと思いきや、最終審査まで残ることができました。そのとき、『もしかしたら僕は音楽で生きていけるかもしれない』と思ったんです」。

しかし、全てを捨てて夢を追うには早すぎる、とも考えた。「金銭面の問題もあるし、今すぐ上京しても、上には行けないだろうなって」。

そこで高校卒業後は、地元の大学に進学するとともに、ボイストレーニングスクールに通い始めた。ほどなくして、音楽事務所からオファーを受けた。

「その事務所では、楽曲提供を受けてCDを出したり、カラオケで曲を配信してもらったりしました。でも僕自身は、その曲があんまり好きじゃなかったんです。だから『自分でオリジナル曲を作ろう!』と決めました」。

本格的にギターを弾き始め、2週間後には、路上で歌うようになった。

「7000円のギターで、簡単なコードだけ覚えて、とりあえず3曲弾けるようにしました。歌がちゃんと歌えれば、なんとかなるだろうと思ったんです」。

初めて路上ライブをした日の出来事が、彼が活動を続ける原動力になった。

「名前も知らないおじさんが、『がんばって』と言って、1000円札を置いて行ってくれたんです。『自分は路上ライブをやっていくべきだ』って思わせてくれたというか、とても感謝しています。いつかまた、どこかで会って、お礼を言いたいですね」。

毎日のように路上ライブを行っていると、あるとき、高校時代の同級生から『ライブハウスに出演する』と連絡があった。

「彼がコピーバンドをやっている姿を見て、『いいなぁ。僕もこういう場所で演奏してみたいな』と思いました」。

早速、メンバーをかき集めてバンドを組んだが、初ライブの結果は散々だった。「乱闘騒ぎを起こしちゃったり、友達をなくして落ち込んだり。色々あったけど、やっぱりバンドは楽しかったんですよね。最初はコピーバンドで、そのうちオリジナル曲をやるようになっていきました」。

ギター弾き語りでの路上ライブも続けており、気づけば、1年以上が経っていた。学業も忘れたわけではなかったが、ますます音楽にのめりこむ自分がいた。

「保育園と幼稚園の先生になりたかったので、資格をとるために勉強していました。でも結局、一番身に着いたのはピアノですね。大学のピアノ教室で、ずっと弾いてました」。

ソロでは、週に一本以上、ライブハウスで歌っていた。

「当時は、メジャーデビューしているアーティストさんたちと対バンさせてもらってました。そのうち、東京のライブハウスを紹介してもらって、遠征するようになりました」。

最初のバンドであるDaisy Walkersが解散した後は、2015年6月に、スリーピースロックバンド・Palm in the Sunを結成。このバンドでの活動は、彼の音楽人生においてターニングポイントとなった。

「最初は期間限定というか、無理やりメンバーを寄せ集めたようなバンドだったんですけど、遠征では大塚Deepaさんや新宿Marbleさんに出させてもらって、2年目には全国ツアーをしました。大学を休学して、ほぼ毎日ライブするようになりました」。

アルバイトをしながら、バンド漬けの日々を送った。

「ラーメン屋のバイトでは、時給900円なのに、月給24万円もらってました。どんだけ働いてたんでしょうね。忙しすぎて、友達とも彼女とも遊べなくて、かろうじてライブの時だけ休みをもらえてました」。

日々のライブハウス出演に加えて、幾つかのロックフェスに参加し、特に下北沢で開催されたKNOCKOUT FES 2018 springでは会場がほぼ満員になるなど、活躍は目覚ましかった。

しかし、メンバーのスキャンダルによってSNSで炎上するなど、トラブルも多かった。

「特に人間関係が大変で、僕から解散を言い出しちゃいましたが、良い思い出です。当時、兄弟のように仲良くしていて、ライバルでもあったバンドのメンバーたちは、今はプロの歌手やミュージシャンとして活躍しています。凄い奴らと、高いレベルで音楽できてたなって思います」。

その後は、メンバーを変えてDaisy Walkersを復活。静岡を拠点に、ワンマンライブを開催するなど精力的に活動した。

「個人としても、地域参加型のインターネット番組でMCをやらせてもらったり、南海キャンディーズさんの番組に出させてもらったりしていました」。

そんな折りに、コロナ禍が世界を襲った。

「音楽で生きていく」を現実にしたい

「たまたま、2020年の1月に、正社員として就職していたんです。ちゃんとお金を作って、生活しようと思って。そのあとすぐにコロナが来たから、もしラーメン屋を続けてたら、大変だっただろうな」と、彼は振り返る。「就職先は配送業で、忙しくはありましたが、ちゃんと仕事があったのは運がよかったですね」。

生活面の心配はなかったとはいえ、音楽活動への影響は大きかった。

「学生時代からずっとバンド漬け、ライブ漬けの日々だったので、急に何もできなくなったのは、しんどかったです。でも、すぐ切り替えました。今できることを考えて、SNSを活用することに決めました」。

それから約2年間、Twitter(現X)やInstagramへ、毎日のように動画を投稿した。

「オリジナル曲も、カバー曲も、何でも。知らない曲をいっぱい覚えたので、楽器が上手くなったと思います。人との繋がりも増えました。まずはオンラインのトークルームで喋って、情勢が落ち着いてからはリアルでも会ったり、コラボ配信をしたり。今、僕が仲良くしてる人って、そういう繋がりが大半です。ある意味、コロナ禍でありがたかったことですね」。

20年夏には、地元のボーカリストを集めて、男女混合ボーカルユニット・Night Streetを結成した。

「コロナ禍の憂さ晴らしでもないけど、人がいなくて広いところ、たとえば山とかに集まって、ときどき歌ってたんです。その仲間たちでユニットを組んで、オリジナル曲を作るようになりました」。

彼らがJリーグの藤枝MYFCのサポーターと一緒に制作した『夢のカケラ』は、同サッカークラブの応援ソングとなった。

「自分の作った曲がスタジアムで流れるっていうのは、元サッカー小僧として、とても嬉しかったです。今でも子どもやサポーターの皆さんが歌ってくださってて、グッときちゃいます」。

同楽曲を収録したCDを21年11月14日に発売するなど、精力的に活動していたNight Streetだが、諸般の事情により23年7月に活動休止してしまう。

ソロでの活動も転換点を迎えた。22年10月23日、YouTubeにてオリジナル楽曲『雨上がり快晴の空』のMVを公開。同時にアーティスト名を「犬塚モブ」と改め、新たなスタートを切った。

「それまで本名というか、あだ名の『だいちゃん』で活動していました。ありがちな名前で、検索でも見つかりづらいので、音楽仲間が新しい名前を考えてくれました」。

さらに今後は、活動拠点を静岡から東京へ移す予定だ。

「上京するなら、今かなと。こっちで働きながら音楽をして、DTMや芝居なども幅広く勉強して、世に知られた存在になることを目指します。2年後には紅白歌番組に出られるようなアーティストになりたいし、ゆくゆくは音楽関係だけで食べていきたいです」。

「音楽で生きていきたい」という気持ちは、高校生のころから変わっていない。

「長く活動を続けていると、山あり谷ありで、悔しいこともたくさんありました。それでも、やっぱり、音楽が好きなんですよね。僕にとってはコミュニケーションの手段で、人と繋がるきっかけです。これからも上を目指していきます」。

彼の挑戦の行く末を見守りたい。

text:momiji 

Information

https://www.instagram.com/utau_inuzuka_mob/

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