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【R24:STORY】つまらない日でも好きになれる音楽を。・Wick Winkle

Vo/Gt.原口、Ba/Cho.ひろと、サポートDr.タニミツによる3ピースバンド、Wick Winkle(ウィックウィンクル)。2015年に結成し、19年から現在の体制に移行した彼らは、東京都を中心に活動している。結成までの経緯とコンセプト、今後の目標に迫った。

「バンドをやりたい」と、燻った6年間

群馬県出身のVo/Gt.原口にとって、長い間、音楽は『聴くもの』だった。

小学生のころは、特にORANGE RANGEが好きだったと振り返る。

「中2のとき、彼らを追いかけてCOUNT DOWN TVを見ていたら、RADWIMPSの『有心論』が流れたんです。びっくりしました。『なんじゃこりゃ』って。そこから邦ロックというか、色んなバンドを聞き漁るようになりました」。

初めてRADWIMPSのライブを観に行ったのは、高校1年生のときだ。

「会場は幕張メッセで、俺は一番後ろのブロックの最前列にいました。ライブが始まった直後、メンバーの姿は、本当に小さくしか見えなくて。でも3曲目の頭で、モニターに、バンッて彼らの姿が出たんです。あまりのカッコ良さに、感動して泣きました」。

そのとき、原口に夢が生まれた。「俺も、あんな風になりたい。誰かを泣かせられる存在になりたい、と思いました」。

ギターを買い、作詞作曲を始めた。

しかし、バンド活動をするには至らなかった。

「自分の高校には軽音楽部がなかったんです。そのあと、大学受験にも失敗して、しばらくふらふらしていて…。ひたすら家で、こそこそ弾き語りして、楽曲のストックを増やしていました」。

バンドを組む環境や、機会に恵まれないまま、6年ほどが経った。

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彼が変わったきっかけは、当時付き合っていた彼女の言葉だった。

「自称バンドマンと付き合うのは嫌だ、って泣かれちゃったんです。どうせなら、ちゃんとしたバンドマンがいい、と」。

その出来事を機に、心を入れ替えた。

「それまで、いつかどこかで運命的な出会いがあって、バンド活動を始めるんだろうと思ってたんです。ある日、誰かと、ビビッときて『一緒にやろうぜ』みたいな」。

しかし、現実は甘くない。原口はインターネットを検索し、メンバー募集の掲示板に、片っ端から投稿していった。

「音源とかは載せずに、『楽曲は作ります。本気です』って熱いメッセージを送りまくりました。唯一ひっかかってくれたのが、ひろとでした」。

音嫌い」がベースに惚れ、音楽をするために上京

熊本県出身のBa/Cho.ひろとは、幼いころから音楽に囲まれて育った。

「親が音楽好きで、B'zとか、昭和歌謡とか、色んな曲をかけていました。母と姉はクラシックピアノを習っていて、家でよく弾いていました。自分はゲームしながら、バックミュージックとして、聞くともなく聞いてたんです」。しかし子どものころは、それらに興味をもっていなかった。

「むしろ『うるせえな』って思ってましたね。音が嫌いでした」。

転機が訪れたのは、中学1年生のときだ。

「中学の先輩が、仲間と一緒に週1でスタジオに通っていて、『お前も来いよ』って誘ってくれたんです。暇だったので、ついて行きました」。

先輩はドラムを叩き、仲間はギターを弾いていた。

「ふたりが色々やってて、カッコいいなと思っていたら、『ベースいないけどやる?』と声をかけてもらいました。バンド系の音楽をろくに知らなかったので、『ベースって何ですか?』と聞き返すところから始まりました」。

帰り道に、リサイクルショップへ連れて行かれ、ベースを購入することになった。

「先輩に『何をやればいいですか』と訊いたら、洋楽のCDを何枚か貸してくれて、『この音がベースだよ』と教えてくれました。しばらく聴きこんで、真似をして弾いているうちに、ハマっちゃいましたね」。

SUM41やblink-182など、アメリカの青春ロックやパンクにのめりこみ、中学3年生になるころには、Red Hot Chili Peppersばかり弾くようになっていた。初めて人前でライブをしたのも、同じ時期だ。

「高校に入ったら、周りはRADWIMPSとかELLEGARDENとか、流行りの邦楽を聴いてて、『なにそれ?』ってなりました。でも、そのころにはベースが好きすぎたので、どんどん弾きました」。

もっと音楽をやりたいと考え、高校卒業後は、上京することにした。

「地元でコピーバンドやっていても仕方ないし、『自分はどこまでできるんだろう?』って気持ちがありました」。

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しかし、東京へ来てから、バンドを組むのは簡単ではなかった。

「どうやってメンバーを探せばいいのか、途方に暮れました。とりあえずネットの掲示板を見て、6~7組くらい会いましたね。明らかに怪しい人もいました」。

紆余曲折ののち、原口からのメッセージを受けとった。

「まず会って、『どういうの好きなんですか?』とか『オリジナル何曲あるんですか?』とか話して、結構いいなと思いました。次の週には、ふたりでスタジオに入ってました」。

原口が作る楽曲に、大きな魅力を感じたと語る。

「最初は、自分の辞書にない音楽だったので、驚きました。『今まで聞いたことのない、変な曲だ』とか『これは無理だな』とか思ったけど、聴いていくうちに、だんだんと癖になったんですよね」。

何より、スタジオで演奏を合わせた原口は、バンド未経験者とは思えないほど上手かった。

「歌いながらギターを弾くって、結構難しいんですけど、彼はすんなりやってました。『こいつと色々やれたら面白いかな』って思いました」。

こうして2015年、Wick Winkleの結成が決まった。

もっと大きな舞台に立って、多くの人に音楽を届けたい

バンド名の由来を訊ねると「元々、RIP VAN WINKLEっていう、外国版の浦島太郎みたいな存在の名前を使おうとしてたんです。単純に、字面と響きがカッコいいから」。

しかし、該当の名前は、既に別のバンドが使っていた。

「どうしようかって相談するうちに、ひろとがWinkleの単語を気に入って。音と意味が合う言葉を探していって、Wick Winkleに決まりました」。

ふたりにとって念願のバンド結成となったものの、順風満帆とはいかなかった。「俺たち以外のメンバーが何人か入れ替わって、やっと体制が安定したのが、2019年くらいですね。サポートでDr.タニミツが加入してくれて、3ピースバンドとして確立できました」。

『暗くて明るいポップなロック』をコンセプトに、19年2月10日には1st EP『PoolBag』を、20年8月28日には1st album『日常トリビュート』をリリース。下北沢近松にてレコ発ライブを行い、それぞれ成功を収めた。

YouTubeへの動画投稿にも取り組んだ。各CDのトレーラーはもちろん、21年1月31日には代表曲『苛苛』のMusic Videoを公開。22年1月26日に公開した『赤裸々』のMVとともに、好評を博している。

現在は、毎月2~3本、下北沢を中心に渋谷、赤坂などのライブハウスへ出演。22年初夏には、新たなEPのリリースを計画中だ。

今後の目標を訊ねると、原口は「俺はやっぱり幕張メッセとか、アリーナに立つのが、高校生のころからの夢です」。

ひろとは「ある意味、既に満足してるんですよ」と語る。「バンドをやって、ライブハウスのステージに立つのが好きなので、そういう意味ではもうゴールしちゃっています。あとはどこまで行けるかって話で、できれば、もっとたくさんの人に俺たちの音楽を聴いてほしいですね」。

特に、同年代の人に、Wick Winkleを聴いてもらいたいと考えている。

「最近の音楽には飽きちゃったなって人が、『こういうのいいね』って感じてくれたら嬉しいです」。

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5年後までには、全国ツアーをすることが目標だ。「関東でしかライブをしたことがないので、これから打って出たいと思っています」。

10年後には、一定の支持を集めていたいと語る。

「たとえば『デビュー〇周年記念でライブします!』とか。小さい箱だろうが、大きい箱だろうが、そういうお祝い事があって、ちゃんと人に集まってもらえるようなバンドになりたいです」。

ふたりの方向性は出会ったときから一貫していると、原口は笑う。

「俺はいつも、少し先の未来を見ていて、ひろとは今を見ている。その温度感は変わりません。ただ、ふたりとも振り返らない。『あのころがよかったな』というのはなくて、常に最高を更新し続けているんです」。

Wick Winkleの音楽を通じて、伝えたいメッセージがある。

「作詞をしていると、別れ、サヨナラがテーマになることが多いです。卒業とか、失恋とか、死別とか。どんな人とのどんな別れでも、ちゃんと受け止められるように。俯いている人の背中を押せるような作品を届けたい、と思っています」。

出会いと別れを繰り返す人生に疲れたときは、彼らの音楽を聴いてみてはいかがだろうか。

text:momiji

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