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たまには昔の話をしようか

突然ですが、前職に入社した頃の話をします。
重い話ですが、今はそこそこ元気に働いてますのでご心配なく。

1.1回目の転職

就職氷河期のど真ん中で中小IT企業に新卒で入社した私は、30歳手前でユーザ系IT企業(とあるメーカーの子会社)に転職しました。リーマンショックの直前、景気が少し回復していた時期で、氷河期世代の転職を「リベンジ転職」と呼ぶ人もいた時期です。

当時は結婚して間もない頃。年収も少し上がり、やりたかった仕事が出来る、と希望に胸を膨らませていた・・・のですが、なんと配属されたのがブラックな部署でした。ちなみに15年後に私が退職する時まで、その部署の労働環境がホワイトになることはありませんでした。

当時はまだ20代。今ほどインターネット上に情報があふれていなかった時代です。その部署が異常であることに気づかず、ありのままを受け入れようとしていました。現代でも同じようにつまずく人は沢山いるんでしょうね。

2.歯車が壊れ始めた

この作業をお願い、手順はそこにあるから自分で読んで、分からなければ自分で考えて、それでもダメなら聞いて、作業は慎重かつスピーディーによろしく、経験者だから分かるでしょ、みたいな感じでどんどん仕事を渡されていきます。微妙に怪しい言葉が紛れ込んでいるのは気のせいではありません。

同業の方にはお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、「外部パートナーとしてのIT企業」と「ユーザ系IT企業」が担う仕事は内容も立場も責任も大きく異なります(近年は垣根が低くなったように思いますが)

ですので未経験の仕事が大多数を占め、仕事が思うように回せないうちに数ヶ月が過ぎ、そのうち直属の先輩から毎日のようにキレられるようになりました。ドラマのパワハラシーンには一歩及びませんが、まあそんなに遠くはないぐらい。普通に質問するだけでも、どう話しかけたらいいだろう、どう説明したら怒られないで聞いてもらえるだろう、と頭がグルグルしていました。

そのうち正体不明の微熱に悩まされ、夢の中でもトラブルが起こってうなされ、目が覚めてもしばらく夢と現実の区別がつかなくなりました。週末は意識が朦朧としたまま過ごし、妻には家のことも少しは考えてくれとお小言を言われる始末。そんな精神状況なので仕事量は増えるも効率は上がらず、残業が100時間を超える月もありました。

3.そして限界を超えた

そんな極限状態ではありましたが、夢で仕事にうなされつつ、ミスして怒られつつも仕事が多少なりとも自分で回せるようになっていました。後から思うと毎日キレていた先輩は私に仕事を渡して、ユーザからの電話もほとんど私に回るようになり、暇になっていたのでしょう。チャットでの雑談やネットサーフィンに興じる頻度が上がっていたように思います。

そんなある日。
「あのさ、キミがどんな仕事してんのか分からんくなってきてさ。箇条書きでまとめてメールしてくれる?」

いや、都度、会話してるやん、と思いながらメールしたところ、先輩が週次ミーティングでその文書をコピペして「自分の担当業務として」報告を上げまして。私もびっくりしましたが、事情を知る同世代の同僚が唖然としていました。

心が折れる音がしたのはあの時だったと思います。
もう何をやってもあかん、自分でやっと回せるようになった仕事の成果は、毎日パワハラをかましてくるこの人のものになるんや。

当時の独り言が「世の中は悲しいことばっかり」だったのを今でも覚えています。

この頃には妻に相談の上、心療内科に通うようになっていました。
病院では、初診ですぐに休職を進められましたが、今とは職場のメンタルヘルスを取り巻く環境が異なる時代。直接先輩に打ち明けられるわけもなく、上司に相談したのですが「申し訳ないけど会社に休職や時短、残業制限といったメンタルヘルスからの復帰をバックアップする制度が無い。対策は検討するからしばらく頑張ってほしい」といった状況でした。

とりあえず処方された薬を色々と試してはみたものの、体調は悪化の一途を辿っていました。

4.ある日のこと

ある朝。
会社に向かう駅のホームでふらっと足が前に出ていました。
不自然な場所に立ったところで我に返りました。

ああ、あかん。
これはまずい。命を落としてしまう。

当時通っていた病院の先生は飄々としたおっちゃんだったのですが「会社の上司が何を言おうが診断書の方が強い。お勤め先はそれなりの会社ですからすぐにクビになるようなことはないですよ。むしろ辞めずにちゃんと対応してもらってください」と言い切ってくれてようやく腹を括りました。

妻は反対はしませんでしたが、あとから聞くと「これでウチは普通の生活はできなくなるんだろうな」と思ったそうです。そりゃ思いますよね。僕も思いましたもん。

診断書を受け取り、翌日会社に提出するとあっさり受理されました。扱いはただの病欠だったようですが、事実上、休職できることになりました。

5.その後

その後、一度は復職したものの、元の部署への復帰を命ぜられた私は結局元のように働くことが出来ず、二度目の休職へ。実は育児以外の理由で残業制限を出来る制度が会社に無かったので普通に残業していました。

二度目の復帰をした時には時短勤務や残業制限など、病院に細かく診断書を出してもらって都度相談する形で会社に対応して頂いたのですが、それでも元部署で業務を出来る状態には回復せず、最終的には異動願いを出して他部署に行くことに・・・なりそうでしたが最後の難関は、人事総務の部長さん。悪い人ではないのですが理解の無い人で「なんで医者に通っているのに治らないんだ」とか「異動してダメだったら誰が責任を取るんだ(そりゃアナタでしょ)」と言うもんですから、私も覚悟を決めて、

「異動してダメだったらサラリーマンとして責任を取ります」

と、言い放ってようやく落ち着いた次第です。
幸い、異動を機に体調は回復に向かいました。
薬は飲み続けていたものの、2年ぐらいはクビになってもおかしくないぐらい酷かった人事評価も人並みに戻りました。

そんなある日の出勤中、自宅から最寄り駅に向かう踏切で、遮断機が上がって前を向いた時に空が急に明るくなったように感じました。

あれ、空ってこんなに明るかったっけ。
俺、まあまあ元気になったんちゃう?

そう思ってからは早かったです。薬がみるみる減っていきました。

回復後、人より数年遅れて昇格試験に合格したと思ったら、すぐさま炎上中のプロジェクトに投入されて「なんて酷い会社なんだ」と思っていたらそこの部長に前述の人事総務部長が就任していたのですが、その話は別の機会に。悪い人ではないのですよ。


長期で休職したのはこの時が最初で最後です。
その後、過労で倒れて2週間お休みというのが一度ありましたが、そこで改めて限界を知り、限界が来る前にサボることを覚え、40代半ばで2回目の転職をするまで色々な経験が出来ました。

会社に休職や時短の制度が整いだしたのは私が回復した後のことでした。良いサンプルになったのかもしれません。

当時の上司には「あの頃は申し訳なかった。それにしても復帰してから普通に昇格していった奴なんてお前以外見たことないわ」と邪気の無い笑顔で言われたものです(ツッコミどころはあれど、人として懐の広い、憎めないキャラの良い上司でした)

諸悪の根源である当時の先輩は、自分は加害者だと思わなかったのか、思いたくなかったのか定かではありませんが、当事者意識を思わせる発言は一切ありませんでした。復帰した時にも「大変やったな」と他人事のように言ってましたし、もちろん謝罪されることもありませんでした。実はその後も何度か同じ部署になったのですが、その頃には簡単に潰されない程度のバックグラウンドが自分にも出来ていたので難を逃れました。

なお、時が流れ、前職を辞めた時、お世話になった方々には思いつく限り片っ端から挨拶をしていったのですが、この先輩だけはしっかりスキップしておきました。

二度と人生で関わらずに済みますように。

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