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怒りの奥から汲み取った声は、大切なことを教えてくれました。

先週、出張に行ってきました。
同行した上司は、言葉を選ばずに言えば…
残念な人…。

もっと上の上司に媚び、アピールや、よかれと余計なことばかりをするタイプ。
勘なしだから、仕事の意味も大切な部分も考慮せず、とにかく早く仕事を終わらせたがる、そんなところのある人です。

そんな上司との出張では、その上司に割り当てられたはずの仕事を突然振られたりして、ストレスの溜まる旅でした。

上司への苛立ちを抱えたまま土日を過ごし、週が明けてもなんだかイライラしたまま出勤。

またその上司と顔を合わせ、訳のわからないことを言われて、ほとほと疲れた月曜日でした。


帰宅中、どうにも疲れ、体も力んでいた私は、今学んでいるチャネリングの講座で練習中の、天使へのサポート依頼をして、帰宅しました。

家に着き、妻の顔を見た途端、出るわ出るわ上司への愚痴が次々と。

一通りしゃべったあと、風呂に入ってもなかなかおさまらず、今度は枕をたたいて発散!(笑)

そうしていると、少〜し落ち着いてきました。

そして、体の感覚を感じていくと、自分の体の内側に、しとしとと雨が降る感覚が…。

それを言葉にしていくと、
その感覚は、ねぎらいを求めているのでした。

わたしは、頑張って頑張って疲れていたんですね。
そして、振り回してくる上司という自分の外側にばかり関心が向いてしまい、我慢して我慢して、頑張っていた自分をねぎうことを忘れていたんです。
そして自分にねぎらいの言葉をかけていきました…。

天使よ、サポートしてくれて、ありがとう (笑)


ところが…
次の日でした。

まだ何かしっくり来ない。

改めて天使にサポートを依頼。

そして、何となく…

本当の自分は、どうありたいのだろう?

本当の本当は?

そう問いかけていると、ふと…


本当のわたしは…

細かいことなんてどうでもいい。

あの日の出張に、そもそも意義を感じていない。

今やっている仕事は、本当に誰かの、何かの役に立つのか?

もっとやることがあるんじゃないか?

そんなことを伝えてくれました。

私は、幼い頃から、周囲から細かいことによく気がつく子と言われ、よく言う"気が利く人"として生きてきたのだと思います。

確かに、細かい変化や違いに気がつくし、人の感情などにも敏感でした。

人が求めていると感じたことを先回りしてやっていたこともあったから、気が利いているように見えたこともあったかも知れないし、人が傷つくことなんて、なかなか言うことなんてなかった。

世にいう、"いい人"。

本当にそうなのか?
本当にそれは自分なのか?

細かいことに気がつくことと、細かいことが好きなのは、違うんじゃないか?

周りの目線や世の的に"良い"とされている形に、自分を当てはめようとしていないか?
そこに縛りつけようとしていないか?

実は、細かいことなんてどうでもよくて、本当は、ガチガチの上下関係になんて興味はない。

結構好き勝手にやるし、破天荒なところもある、あまのじゃくなところもある。


でも、大局的な観点はあって、ものごとを俯瞰して見ることもできる。

自分でいうのもなんですが、大局観でありながら、細かいことや人の感情に気がつくことができる、繊細な部分もある。

矛盾しているようだけど、両方ある。

それが、本当のわたしのようです。



ではなぜ、上司に腹を立てていたのか。


こっちはどうでもいいと感じていることを我慢してやっているのに、あんたは我慢もせずに、気ままにやりやがって。

こっちも好き勝手にやらせろよ。

なんで自分だけ我慢しなきゃいけないんだ。

あんたも我慢しないのか?

いいなあ、あんただけ。

上司に対して、そんな思いがあったのかも知れません。


怒りの感情を吐き出して、

本当の自分が発している声を汲み取っていくと、
深いところにある自分を感じることができ、
腑に落ちていく。

少しずつ、少しずつですが、本当の自分との出会いが、私をわたしたらしめていっているようです。


これまで経験してきたものの中から正解を選択しようとするのは、もうやめる。

外側の形にこだわらず、当てはめず、
本当の自分として生きる。

創造する。


怒りの奥の声が教えてくれたのは、とっても大切なことでした。

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